今日の読書 ラトヴィアを知るための47章/志摩園子・編著

一般的にはラトビアと表記されるものの、編者のこだわりでラトヴィアと統一表記するというこだわりも込めた、ラトヴィア全般の知識をコンパクトにまとめた1冊。

リトアニア、ラトヴィア、エストニアのバルト三国というのは、かつてソ連邦崩壊で真っ先に飛び出た地域と言う事で、非常に存在感を示したわけですが、正直私の知識は偏っているので、ひとまとめとしてのバルト三国という以外の知識はバスケットボール選手から。

リトアニアは早い段階からNBA選手として活躍するだけではなくオリンピック代表でメダルを捕ったり、アメリカのバスケットボールとは全く違うタイプの戦い方をしたり、また名前がサボニスやイルガウスカス、ストンベルガス、ヤシケビシャスと最後がスとつくだけではなく、何となくリトアニアっぽいよねと感覚的に分かる存在感を持っていたのですが、お隣のラトビアも昨シーズンのルーキーであるクリスタプス・ポルジンギスという規格外の選手が出てきて、バルト三国という括りでバスケも凄いんだねと意識するようになりました。

まぁアンドリス・ビエドリンシュという選手もNBAでは短期間だけ活躍していましたけれどもね。

偏った知識を持っているだけでは面白くないですし、バルト三国という存在はソ連という壮大な社会実験に関わった国。

共産主義という経済的実験なだけではなく、ヨーロッパにおける近代民族国家が成立してまだ間もないところから、一気に民族的独自性や土着文化をないがしろにする全体主義という2つを柱とした社会制度の実験につきあわされた被害者という意味でも、やはり歴史的教訓としてしっかりと意識しないといけないですね。

私は、ソ連にしろ旧ユーゴスラビアにしろ、異民族国家を無理矢理一つにまとめる事の無謀さという所に力点を置いて、混ぜるな危険という事にして、行きすぎたグローバリゼーションは土着性破壊の全体主義であり、かつての共産主義国家の過ちを繰り返す可能性が高いという考え方に固まっているので、混ぜすぎる事の悲劇は必要上に喧伝する立場だったりします。

ラトヴィアについて歴史的な背景も少し振れますが、基本は現在についてなので、ソ連から独立した後のことを中心として扱われていますが、やはりソ連に組み込まれていた反動というのは1つのカギになっています。

国家として独立して基本ラトヴィア人のための民族国家となるのを理想としてはいるものの、ソ連時代に移住してきたロシア人の割合が一定数いて、それまではラトヴィア人のアイデンティティとしてラトビア語を話せるようにしている一方、共通語としてのロシア語は必須。

ロシア人は共通語としてのロシア語しか知る必要はなく生活してきたのが、今度はラトヴィア回帰路線に巻き込まれて、それまでのソ連では多数派のロシア人という立場から少数派の立場に入れ替わるという状況。

そしてロシア系ラトヴィア人として生きていくという選択をし、完全ラトヴィア回帰をしたいという、ラトヴィア系ラトヴィア人に対してロシア語も使えるような社会に残して行き、これが逆に完全ラトヴィア化したいけれども、ラトヴィア語しか話せないラトヴィア人は就職で不利になるという、いろいろな捻れというか、独立国家として振り切りたいし、全体的に民族国家回帰しきりたいのに、振り切れないジレンマを抱えている社会というのが何とも皮肉というか何というか。

そういうった社会背景、強烈なアイデンティティ回帰というのを軸に、伝統的なラトヴィアの文化、特に歌の祭典が好きであるとか知らない事ばかりで読んでいて楽しめました。

個人的に興味を惹いたのは、リーマンショックを発端とする世界不況期に、不況期の緊縮財政という普通とは逆、欲しがりません勝つまでは精神で乗り越えたという事ですかね。

日本でも参考にしてみればという扱いではありますが、人口198万人という名古屋と札幌の間くらいの国民の数ということと、国のトップが先頭きって給料減らしたり、共産主義時代の多くの省けるだけの無駄が残っていたという事と、まだ独立国家に戻って間もないと言う事で、国家総動員してナショナリズムを良い方向に使えたし、金持ちがちょろまかそうにも誤魔化すには国家として監視するにはちょうど良い規模、それこそ日本でも国全体では機能しきらない部分が、地方自治体だと何とか経費削減を本当の意味で削減もでき、失業の嵐になってもそれはそれで国民一体で乗り切ろうとする下地があったからこそというのも感じたり。

単純に本気で食えなければ、EUの他の地域に出稼ぎに行っていたというのもあるんですけれどもね、実際に日本国内の地方では食えない人が都市部に流入するのと同じ構図で。

ただまぁ、現段階では国民国家として復活したからこその勢いみたいなのはあるのかもしれないなぁと思ったり、また日本と比較するならば、それこそ戦後復興期かもしれないと思ったり。

あと、ラトヴィアだけのことだとなかなか親近感がわかないので、日本との関係性について触れられていて、日本人に対しては、ロシアを挟んだ隣の国という見方であるとか、小国なのにロシアに勝った国というインパクトであるとか、翻訳された文学のイメージとか、まだまだ実際の日本人との関係がそれほどないからこその偏見はあるものの、その偏見込みで印象は悪くはないようですね。

そのイメージと違う日本人を目の当たりにしてどう思うのかは知りませんが。

このシリーズはとりあえず全体を網羅しているので楽しめますね。

1 自然と都市
2 歴史
3 言語と生活
4 文化
5 社会
6 政治と経済
7 国際関係

テーマ : 読んだ本の感想等
ジャンル : 小説・文学

今日の読書 違和感の正体/先崎彰容

盲目的に自分の正義を振りかざし、単純に善悪二元論に持ち込んでいたり、理想と現実に乖離があった場合その理想が現実的に無理があったんじゃないのかという疑問を持たずに現実の方が間違っていると一足飛びで結果をだして断言する人を見てしまうと、なんだかなぁと思わずにはいられません。

そのなんだかなぁと思ってしまう正義のもって行き方の代表にいわゆるマスメディア、特に左系であるとかリベラルという立ち位置で、かつては良識派であるとか進歩派であるとか、知性をリードする存在であるかのような扱いをされた人々が目立っているような感覚に陥り、保守と改革という単純な二分化をするとして、その改革側の頑ななまでの保守的な思想や態度の捻れ具合は酷いなという感想を持つばかりになっています。

保守と改革という立ち位置という意味での硬直化はむしろ政治家の方が目立ってしまっている気もしますけれどもね、保守や右翼というものが絶対悪であるかのようなレッテル貼りばかりが目立ちますから。

そこら辺、私のそういった感覚が絶対的に正しいと言うつもりはないですし、ある程度感覚的なものであって、何かしらの理論付けが出来ているというものでもなく、単純な二項対立構造、特にその分け方が自分が善という立ち位置と規定して、それに反するものは悪という一番たちの悪い極論の殴り合い状態であるとか、善悪二項対立構造にしてしまったがために、自分の行動は善だから何をしても許されるというような手段を使っていて、例えば戦争反対を叫んでいる人が、平気で暴力手段に訴えたり、手段と目的が完全に入れ替わっているだろうとか思えない事が目に付くなと。

もちろん、目に付くのが酷いだけで、極論をふるって目立とうとしている人と一切関わりを持たない人の方が大多数ですが、そういう目立っている人に対しても全否定か全肯定のどちらかしか許されないかのような空気感があるのではないかと、ここら辺もとりたてて根拠はありませんが。

そういった、ものを社会思想史で考えてみようというのが本書になります。

私は社会思想史というものに対して専門的な知識はありませんので、何となく分かっている気になっているものが、実は社会思想ではこう扱われてきたというのを知る事は新鮮ではありますが、概ね何だかなぁと思っている事そのものは私が感じている事はすでに扱われてきた事に過ぎないんだなと、私の感覚的な事を理論的に補助してくれているなと思えるものでした。

全部が全部、私と感覚的に同じものであるかというと違いますし、扱っている事全てにおいて私が考えている事ではないですけれどもね。

基本的に、今は世間的には『政治の季節』として、何か政治的なネタがあるとみんなが食いついて、ルサンチマンを爆発させている、またはその爆発させている人を揶揄する、単純に分類すると前者をデモ左翼、後者をネット右翼として考えると分かりやすい。

そして、物事の善悪であるとか、寄ってすがれる存在が喪失した状態を「ものさし不在」、何か問題が起きた時に、脊髄反射的に文句を言ったり、短期的に解決する事を声高に迫ったりする「処方箋を焦る社会」として、特に「ものさし不在」故に生じている問題、ものさしが不在だからこそ、俺が正義だ!となってしまい、それぞれがそれぞれの正義を振りかざし、何か建設的な議論をするのではなく、対立構造を作りだしては相手をぶちのめす事に終始したり、スキがあれば足を引っぱって苦しむ顔を見たくてウズウズそのくせ決まった顔で道徳を気取っているという感じになってしまったり。

そんな事を、ある程度自覚的にやっているのならば、それこそ差別反対を叫びながら為政者の人格否定を連呼するような事を、自分達は一線を踏み越えた自己矛盾をはらみながらやらざるを得ないんだという自覚があるのならばまだしも、無自覚に当たり前の正義としてやられている事に違和感を感じるというのが、いろいろな角度でまとめているというのが本書なのかなと思いますね。

そういった分析をするのが社会思想であり、その処方箋たり得るものが文学であるという考え方は果たして正しいのかどうか、私には判断しかねますが、違和感そのものの分析と言う事に関しては非常に腑に落ちるものだらけですね。

どうにも、現在の何でも善悪二項対立と言う事に違和感を感じる人があれば読んでみると分かりやすく説明されていると思いますし、なにがしかの社会的な恨みを市民運動をして憂さを晴らしているような人は、自分のやっている事が本当に正しいのかどうか、むしろ自分のやっている事が社会的に憎悪をまき散らしているだけなのではないかと冷静に判断するために読んでみるのも良いんじゃないですかね。

社会的な繋がりを持ちたくて市民運動とかやって、何か悪を糾弾して正義を振りかざして気分良くなっているような人は、そんな事やめてもっと建設的な事をやろうよとしか私には思えないんですよね。

むしろ、そのパワーをお前らが悪いんだ!と叫ぶよりも、お前らが良いんだ!と叫ぶような活動をすると良いと思うんですよね。

それこそ、サッカーのサポーターなどのようにスポーツの応援をするでもよし、ライブ会場に行って一緒になって歌うも良しって。

デモ論 「知識人」はなぜ舐められるのか
差別論 何が「自由」を衰弱させるのか
教育論 「権威とサービス」は両立するのか
時代閉塞論 「新しいこと」などあるものか
近代化論 「反知性主義」を批評できるか
平和論 「勢力均衡の崩壊」にどう向き合うか
沖縄問題論 「弱者」への同情は正義なのか
震災論 「自己崩壊の危機」をどう生き抜くか

テーマ : 読んだ本の感想等
ジャンル : 小説・文学

今日の契約と引退

NBA契約関係Transactionsメモ

ウルブスがケビン・ガーネットを契約解除

ネッツがチェイス・バティンジャーと契約

ウルブスはまだ契約が残っていたものの引退を表明したガーネットと契約解除、引退表明したので既定路線ではありますが、センターのニコラ・ペコビッチが怪我で全休が決まってしまったということで、実際にプレイしていたかどうかは横に置いて、インサイドが寂しくなりますね、それを見越してコール・オルドリッチやジョーダン・ヒルを補強していたので単に入れ替わっただけとも言えますが。

キャブスのモー・ウィリアムスが引退を表明ということで、シーズン終了後すぐではなく、キャンプ入り前に発表が続いている感じになりますが、まだ33歳なんですよね、一気に出番がなくなって衰えた感があったので、もっと年がいっているイメージになっていましたが、ガードの場合ちょっとした衰えが全く通用しなくなるレベルにまでなる事もありますからね、潮時と判断したのでしょう。

今後どうなるのかは知りませんが、2巡目指名からのなりあがりっぷりと、チームを転々とした旅人っぷりと、スターターもベンチも強豪チームも弱小チームも経験しているというのは指導者としてアドバンテージはありそうとは思いますが、PGでしたが、あまり司令塔ぶりは見せていなかった気もするのでどうなるかは分かりませんな、ベタな司令塔なPGをやっていた選手が指導者として成功するとは決まってもいないですが。

引退ではないですが、クリス・ボッシュは健康診断の結果を考慮してパット・ライリーはヒートでの選手生活は終わりと発表したようで、血栓による長期欠場が2度となるとプレイさせたせいで死んでしまったとかになると怖いですからね、本気で何一つ引っかかる事無く問題なしと太鼓判を押すレベルじゃない限り困るという事なんでしょう。

本人は納得していないようなので、現役を続けるのかどうか分からないですし、それこそ腎臓疾患で選手生命どころか生命そのものの危機で一度引退したアロンゾ・モーニングが引退後1年で復帰した例もありますからね。

テーマ : NBA
ジャンル : スポーツ

今日の仮面ライダーゴースト総括

昨日、仮面ライダーゴーストは最終回を迎えたということで、一応恒例にしている全体総括をしてみようかなと思います。

毎回総括と言いながら、あまり総括っぽくない感想をダラダラと書き捨てているだけですが。

仮面ライダーゴーストが大好きでたまらないという人には申し訳ないですが、個人的には残念な作品になってしまったなぁというのがあるので、基本残念だった所を中心にまとめる事になりますが、結局作品の設定や、全体のポイント、伏線や伏線を回収するタイミング、提示した謎と謎を解明するタイミング、引っ張り方と引っ張っただけの甲斐を感じさせる中身などなど、きちんと細かく詰めておけなかったのかなというのに尽きてしまうのではないかと。

今作はメインプロデューサーが仮面ライダーシリーズとして初のメインというだけでもなく、戦隊でのメインも経験が無い本当に初メイン、脚本も仮面ライダーシリーズで初のメイン脚本というだけではなく、特撮作品初脚本ということで、主軸が初物だったというのが、今までに無い新たな魅力を作り上げる可能性もありました。

しかし、今の仮面ライダーシリーズは戦隊に比べてフォーマットから自由に作り上げられるという自由さがあるものの、逆に自由さが設定をしっかりと作り上げなければいけないという特殊技術を必要とするものになっている、さらに販促アイテムがシリーズを重ねるごとに増え続けて物語展開というだけではなく、アイテムを有効利用しないといけない強制性もあり、ただ話を作るだけではなくアイテム利用を逆算しなければいけない不自由さ、さらにスピンオフの多さ、1年間のテレビシリーズの間にMOVIE大戦があるだけではなく、今回の場合は仮面ライダー1号という作品、夏映画と3つの映画が絡んでくるだけではなく、さらにネット配信まで加わって、それぞれをどれだけ本編にフィードバックさせるのか、それはそれで別物という扱いにするのかの匙具合という多岐にわたる特殊技術が必要になっているのが現状です。

平成仮面ライダーシリーズも、1期の頃ならば自由さと不自由さの共存の中でも不自由さがもう少し緩くて、初めてシリーズを担当する脚本家であっても上手くやり得た可能性もありますが、現状全く初めてでメイン脚本をやるというのは相当ハードルが上がっています。

特撮作品は初めてだけれども、アニメ脚本から起用とかであれば、まだ何とかなったかもしれないですが、今回メインの福田氏は基本一般ドラマを多く手がけていて、今の時代一般ドラマは1クールがほとんどと言う事もあり、余計に特殊技術が必要となった今の仮面ライダーでは難しかったのかなというのが結果論ですね。

そして、メインプロデューサーも初メインだったというのも、今までとは違う事をやってみたいという意欲があったのでしょうが、やりたい事とやらなければいけない事をきっちり交通整理できなかった原因になってしまったのではないかと、両方が初では無く、片方は経験者であったらば全体の詰めの甘さは違った物になっていたのかもしれないと思うのも結果論ですね。

結果論だらけですが、実際に作品を見る前に個人的に危惧していた事は、英雄の眼魂を使ったフォームチェンジの数が最初の時点で多すぎと言う事でした。

個人的趣味になりますがフォームチェンジが多すぎたり、武器が多すぎたりして不遇なフォームがあるというのを残念に思う質ですので、発表があった時から危惧していましたし、その危惧はしっかり当たってしまったわけですが、作品を見る前から今の時代コレクターズアイテムとして商品をガンガン発売させないといけない時代だからと諦めもありました。

タケルが死んで英雄の眼魂集めをする事になるわけですが、英雄の眼魂にしろ眼魂そのものにしろ基本的な説明はなしで、眼魂そのものを謎要素にしていました。

眼魂についての説明、英雄の眼魂を集めたらばタケルは生き返る事ができるという理由、基本いろいろと作品内で明かさないで引っ張った。

初期の段階から、引っ張るネタの引っ張り方、開かすタイミングと内容についてはいろいろとずれていたなというのが個人的な見解になるわけですが、英雄の眼魂の説明はしなくても眼魂って何?っていうのはもっと速いタイミングで明かすべきだったと思いますし、眼魔、眼魔の世界に関するもろもろ、眼魔は死なないというのは、それはそれでインパクトがありましたがだからこそ眼魂って何なんだというのは、少なくともマコトが出てきたタイミング、妹のカノンが眼魂になっているという状況あたりでいろいろと明かせたのではないかなと。

また、英雄の眼魂を集めてタケルが生き返るとなった時に代わりにカノンを生き返らせた。

願いが何でも叶うという事なのか1人しか生き返らせられないのか、英雄の眼魂が揃っていればもう一回願いを叶えられないのか、などなど前提条件の提示の仕方がふんわりし過ぎていたのを始め、前提条件の提示をしないで話を進めてしまったのは初期段階から気になりました。

アランは眼魔の世界を完璧な世界だと言い続けていながら、何がどう完璧なのか、不合理が無い、完全な平等、死なないあたりは一応説明している事になると言えばなりますし、死なないという以外は極左共産主義的な全体主義を勝手にイメージしましたが、眼魔の世界に飛ばされて戻ってきたマコトは地獄だと言わせてみたり、またマコトというキャラクターが極度に説明する事をしない人物になってしまったため、落ち着いて話せば何とかなるレベルの事から、勝手にタケルを逆恨みしたり、タケルを甘いと言ってみたり、カノンが生き返るまでは妹の事が全部だったから仕方が無い部分もあったのでしょうが、その後もケジメをつけなければいけないと1人で眼魔世界に行こうとしたり、そっくりさんが出現しても1人で解決しなければいけないという縛りでもあるのかと言うくらいの行動をし続けて、作品内で特にタケルが絆を強調しているのとは真逆の行動というか、タケルは絆を口にするなら身近にいる人物ともっとコミュニケーションをとった方が良いんじゃないかと思うくらいでした。

眼魔の世界が完璧というならば、じゃあなんで人間世界にわざわざ来るの?というのもなかなか提示されなかったものの1つになりますかね。

初期のアランなんかはアランもよく分からないままやっていたのがあるので仕方が無いのでしょうが、アランが知らない事がいろいろ動いていると分かったタイミングでもう少し提示できなかったのかなぁと。

この提示するタイミングを後ろに後ろに持っていこうとする事そのものは悪いとは言いません。

私はミステリー小説読みもしているので、いろいろな謎が最後に集約して、これはこう繋がっていたのか!と驚かされる事そのものに喜びを感じたりもするので、狙ってい引っ張りたいという思いがあるのも分かります。

しかし、問題は引っ張った割に全部が集約されていくのではなく、伏線っぽくしたもの(回収されなかったものも多々あり)は明かされてみたらば1つに繋がった!という形になっておらず、それぞれが勝手に実はこうでしたとしかなっていなかった感があったわけですね、少なくとも私はそう感じました。

こと、タケル関係にしてみれば、一度目の消滅が延期出来た理由も何か具体的な理由というよりも結局はタケルには無限の可能性があって、その無限の可能性のおかげ、とりあえず奇跡は起きた理由は聞くなというのとほぼ同義語になってしまっていた、別に他の出来事リンクしていたわけでも無かったし、それ以降タケルに起きる出来事のほとんどは無限の可能性で片付けられるもの、タケルは奇跡製造マシーンでしたになってしまっていた、少なくとも具体的な何かの提示無しにいろいろとすまされてしまったと。

引っ張った謎や伏線は別に1つに集約されず、じゃあ引っ張る必要が無いじゃないか、明かされたけれども具体的な何か理由があったわけでは無かったが目に付きすぎたというのも作品の負の面だったと言わざるを得ないですね。

具体性の無さというのも繰り返しになりますが目に付きました。

前半は英雄の眼魂を造り出すために、とりあえずタケルが抱きついておけば眼魂出現という感じになりましたし(語弊はありますが)、眼魔の世界を完璧な世界と言い続けるのも具体的ではなく、完璧と言っているから完璧という結論ありきのふわふわとしたもの、アランの兄であるアデルが敵のメインとなっていくと余計に完璧を連呼しますが、どう完璧にしたいのか完璧にして何をしたいのか取り立てて無く、父親への反抗心だけで暴走した感がありあり、まるで政権交代したらばそれだけで成功するというような感じに近いものを感じました。

終盤のガンマイザーにしろグレートアイにしろどういうものなのか明かすタイミングも遅いと感じましたし、それを明かす存在となる仙人というかイーディス長官も結局何で別人のように振る舞っていたのか具体的に納得出来るものも提示しなければ明かされたのもコントのようなものだったり、繰り返しになりますが作品全体像をもっとしっかりと作り上げられなかったのかと思わされる事だらけでした。

作品の悪いところだけあげていくときりが無くなるのでそろそろやめておきますが、逆にもう少しきちんと設定や全体像を作り上げていれば面白くなり得たのではないかとは思います。

前半だけで面倒になってやらなくなったというのもあるのでしょうが、タケルが幽霊で一般人から見えなくなるという設定だけでは無く、一般人には眼魔が見えないので不可思議現象になってしまうという設定は面白かったと思いますし、見えないから何とか見えるようにとアカリが不知火を作ろうとしたり、御成がネタキャラながら見えない敵と何とかしようと奮闘していたのは、1年間やるのはきついだろうと思いましたが面白かった設定ですね。

また、初期の不可思議現象研究所に持ち込まれた事件を解決する平成仮面ライダー2期でよくある流れを2話完に固定しないで1話ものを多めに速すぎるくらい速い展開していたのも詰め込みすぎは感じたものの、新たな事をしようとする意欲は見えましたし、ここら辺もコレクターズアイテムとして商品の問題がもう少しやらずに済めば、いろいろと負担は軽くなったのかもしれないなぁと思ったりもします。

アランも仲間になってから、特にたこ焼き屋のフミ婆とのエピソードは良かったと思いますし、眼魔の世界を完璧と信じていたのが実は違うのではないかと疑ってからの葛藤、人間世界の自由を知っていく当たり、自由の存在しない平等という極左的思考からの逸脱という眼で見ていて、むしろ主人公と思えるくらいで評価しやすい部分だと思ったりします。

結局長々と書いた結論としては、今の仮面ライダーは作品を作る上で特殊技術が必要になりすぎていて、それを分かった人がきっちりと設定を作っておいて、それを踏まえて全体像を作って、どのタイミングで何をするのかをしっかりと計算できる事が必要と言う事になってしまいますね。

それができないと、単体では面白い話はあっても全体で気になる事だらけでなかなか作品全体で楽しめないものになってしまうと。

だからこそ、オレならもっと面白い物が作れる!なんて言う気はさらさらなく、条件が大変になった中スタッフの皆さん頑張ってねと言うしかないなぁと。

今日の仮面ライダーゴースト 第50話

「未来!繋がる想い!」

実質的な最終回は前回ですが、今回は仮面ライダーの引き継ぎとなる特別編で本当の最終回。

ガンマイザーを倒し人間の世界にも眼魔の世界にも平和が訪れ、グレートアイの力でタケルは生き返った。

みんなでタケルの父龍の墓参りし、これまでの事を報告し、これからの決意を話していると、ジャベルがやって来て大天空寺で修業する事に決まります。

タケルは半年ぶりに高校に通うようになりましたが、休んでいたせいで勉強が分からなくなっていました。

アカリが家庭教師となりタケルに勉強を教えますが、タケルは早々にギブアップ。

壁抜けしてアカリから逃げ出そうとしますが、人間に戻ったので失敗。

それでも、逆にそれが人間に戻った事の喜びにも。

アランは青空を絵に描いて眼魔の世界もいつかこのような空になるのだろうかと想像します。

マコトとカノンは一緒に買い物をして幸せを謳歌していましたが、マコトはそれを破るように父の後を継ぐとカノンに言い出します。

カノンもアランを助けたいんだろうとすでに察していました。

すると突然空中にゲートが浮かび上がり、それを見たマコトとアランは現場へと向かいます。

ゲートに向かって黒い仮面ライダーエグゼイドがシャカリキスポーツと奇妙なものをぶつけると、そこから現れた少年がそれを手にして、世界を変える力を持つものと。

マコトとアランが駆けつけ変身し戦い始めますが、チュ・ドーンと攻撃され押され気味。

何とか反撃を試みると、あっさり撤退してしまい現状を理解できません。

マコトはどこかへ行こうとする少年に声をかけると、天空寺タケルの名前を出し驚きます。

気合いを入れる言葉がグンダリになってしまったジャベルは大天空寺で高速ぞうきんがけ。

御成は何故かご執心のゴエモンを呼び出そうと不思議な儀式と、シブヤとナリタは呆れるばかり。

タケルの名前を出した少年は大天空寺にやって来てタケルに会うと、アユムと名乗り、仮面ライダーゴースト世界を救ったんだよねと聞きます。

アユムはタケルが普通の高校生をやっている様子を目にして、こんなことをしているくらいならばゴーストをやっていた方が良かったのではないかと指摘。

タケルは生きている事そのものが奇跡だと反論します。

タケルが無事に生き返った第二の誕生日パーティーが開かれます。

皆浮かれる中、アランはジャベルにたこ焼きを教えるという(笑)

みんなで一緒にご飯が食べられて喜んでいると、アランはタケルに人間の素晴らしさと命の意味を教えて貰ったと礼を言い、自分達の世界も人々が自由に生きられる美しい世界にするつもりだと言います。

さらにマコトは自分も眼魔の世界に行ってアランを手伝うとタケルに言います。

カノンも自分も行くといい、しんみりとなりますが、仙人が今日は盛り上がる日だと陽気すぎるくらいに振る舞います。

そんな中アユムは何でここにいるんだと言うくらい何一つ浮かれた様子もなくたたずんでいると、浮かれていたタケルも真顔に戻り、襲ってきた奴について尋ねます。

アランはタケルに似顔絵を見せます。

タケルはどこかで見た事があると気になります。

アカリは狙われる理由を聞くと、アユムはこれが世界を変える力を持つものだからと奇妙なものを見せます。

タケルは世界を変えるという事は幸せな未来も作れるのかと聞きますが、アユムは未来に希望を持っても無駄だと、未来は絶望しかないと頑なな態度を見せます。

アランはたこ焼き器を手土産に、マコトとカノンと共に眼魔の世界へと帰って行きました。

タケルがアラン達が眼魔の世界をよくしてくれると願っていると、アユムは未来なんて変えられないと言い切ります。

タケルは最初は3人でも思いが繋がり世界を変える力になる、自分も1人で世界を救えたのではなくはでく、人の繋がりが世界を変える力になると悲観論を復そうとしますが、アユムはそれでも考えを変えずに逃げ出してしまいます。

アユムが逃げた先には奇妙な怪物が出てきて、タケルはゴーストに変身して戦い始めます。

そこに、仮面ライダーエグゼイドがやって来てタケルと一緒に戦って怪物退治をします。

タケルはアランの絵からアユムを襲っていた奴だと思い、アユムを守ろうとします。

エグゼイドはアユムが持っている者は世界を救うために必要だから渡すように言いますが、タケルは世界を救うためなどと言うのは嘘だとして戦い始めます。

タケルは世界を好きなように変えるつもりだろうと言うと、エグゼイドは変えるのは運命だ反撃。

人の命を救って運命を変えるという言葉にタケルも同意していると、突如アユムを襲う光があり、タケルとエグゼイドは体を張ってアユムを守ります。

エグゼイドはアユムの無事を確かめると、アユムは無事でしたが世界を変える力を落としてしまいます。

タケルはとっさにアユムをかばったのを見て、悪者扱いが違うのではないかと疑問に思い始めると、もう1人同じ姿で色違い、黒いエグゼイドが現れてアユムの落とした世界を変える力を拾い上げ消えてしまいます。

タケルは奪われてしまった事を謝りますが、アユムの命を救えただけで良いとします。

そこにまた怪物達が現れ、2人は力を合わせて倒します。

2人はまたどこかで会おうと約束するとエグゼイドは去って行き、タケルはエグゼイドの眼魂を手に入れます。

人と出会い思いが繋がって未来を変える力になるとタケルは改めてアユムを諭しますが、未来なんて変わらない思いなんて意味が無いと頑なに拒否。

タケルはアユムを抱きしめると、思いはずっと一緒にいると、未来は変えられる人間の可能性を信じていると。

世界を変える力を持つ者というと、アユムは来て良かったと言い去って行きます。

御成は不可思議現象研究所を続ける気満々ですが、仙人は大天空寺の新住職、シブヤとナリタはジャベルと一緒に修業、アカリも科学の道に戻り、タケルも学校に戻ったと言う事で不可思議現象研究所は御成1人状態に。

と言う事でおしまい。

アユムはMOVIE大戦への前振りになるんでしょうかね。

Vシネは仮面ライダースペクターで眼魔の世界に旅立ったマコトを軸にしたお話のようで、仮面ライダーの引き継ぎと同時に、今後の作品への前振りという感じですね。

テレビ本編の最終回はあくまでも1つの区切りで、後日談があって当たり前になっているので、こういう感じになるんでしょうね。

全体の総括はまた別に。

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