今日の読書 小説 仮面ライダー鎧武/著砂阿久雁 鋼屋ジン 監修虚淵玄

平成仮面ライダーシリーズの小説化、仮面ライダー鎧武になります。

今作は、黒の菩提樹がガッツリと絡んでくるのでテレビ本編だけではなく、その後に制作されたVシネを見ていないと意味不明になりますね。

主役は世界各地に行ってユグドラシルの後始末をしている呉島貴虎と、沢芽市でロックシードを使ったギャングが暴れている事件に関わる事になった呉島光実の呉島兄弟。

本編の主役の葛葉紘汰や準主役扱いの駆紋戒斗んどすでにこの世のものでは亡くなっている方々は基本思い出だけ扱いというのは、本編よりも時間軸を後にするVシネと基本的には変わらないですね。

鎧武は仮面ライダーが多数登場する作品であり、メイン以外のキャラが濃い目に作られているのでスピンオフさせやすく、後日談も作りやすい要素があるわけですが、その後日談をひとまとめにしてみましたという感じの作品になっていますね、特にVシネになってからだと、余計に話を広げる余地があったという感じに。

小説版を単独として読んでもそれなりに楽しめるとは思いますが、少なくともVシネを見ておかないことには理解しきれないと思うので、全部目を通しておけという狙いなんでしょう(笑)

果てしなく、どうでもいいこととして、貴虎がロシアで黒の菩提樹という走り書きを目にするシーンでЧёрный липаと出てくるのが、女性名詞の形容詞の格変化だとЧёрнаяじゃないと間違いじゃ無いかとか頭をよぎってしまい、久しぶりに調べ事をして確認してしまいましたが、今の時代本当に簡単に調べられて便利ですねぇ。

テーマ : 読んだ本の感想等
ジャンル : 小説・文学

今日のBlu-ray鑑賞 仮面ライダー鎧武外伝 仮面ライダーデューク 仮面ライダーナックル

仮面ライダー鎧武外伝第2弾、今回は戦極凌馬が主役のデューク編とザックが主役のナックル編になります。
仮面ライダーは
基本的に本編終了後にMOVIE大戦をやる事が恒例化しているので後日談という感じのスピンオフはやる事が決定していて、それ以外のスピンオフとなると鎧武の前に仮面ライダーWが異例の事としてやっただけで、鎧武までは無かったのですが、鎧武は平成仮面ライダー2期と区切られる扱いになってから初の大人数ライダーと言う事で、スピンオフが作りやすい作品と言う事と、1作目の外伝評判が良かったという事でしょうか、異例の外伝2作目も制作する事になったと。

しかも、発売が次作にあたる仮面ライダードライブ終了後と言う事で、異例も異例ですね。

前回の外伝は残月とバロンと主役ではないものの主役級ののレギュラーですので、スピンオフ作品ができていても驚きは少ないものですが、今回は人選が完全に悪役であった戦極凌馬と本編で変身した事が驚きだったザックですから、相当攻めた企画になりますよね。

デューク編は凌馬が主人公で、基本的な時系列上はゲネシスドライバー本格投入直前の時期、ユグドラシルのライダー4人は固まっているものの、そろって前面には出ていない頃。

この時にユグドラシル本社に自爆テロが起き、その自爆テロが持っていた凌馬も作った覚えの無いロックシードを調べてみると、黒の菩提樹というカルト集団によるものとわかって・・・・という話。

ここに凌馬の前任者であり故人の狗道供界の存在がわかったという事で、凌馬が動くのですが、過去の絡んだ話と言う事で、凌馬と高虎、シド、耀子とそれぞれの出会いが描かれ、どういう集まりの4人なのか今ひとつ謎だったところが、明かされる事になります。

シドと耀子に関しては、まだ掘り起こせる余地がありまくりですがね。

ユグドラシルのライダー4人がゲネシスドライバーを使い始める前はこういう感じだったのかというのがわかって興味深いですね。

ナックル編は、テレビ本編終了後、チームバロンのリーダーとなっていたザックがペコに後を託してニューヨークに渡って1年、そこにペコの姉のアザミからペコの行方不明とネオ・バロンと名乗る不良集団が幅をきかせているという連絡を受けて帰国して解決しようとする話。

ダンスチームだったはずが、地下格闘技集団になってしまったりと、ニチアサでは流せないなという話になっています。

こっちも、ザックがチームバロンのメンバーであるとか、戒斗との出会いについても描かれています。

前作の外伝と比べると、どちらも渋めの作品になっているなぁと思いましたが、前作が小林豊ショーとでもいう大ネタをいれてきたので、比較する事が間違いだったと気づいたりはします。

今回はともにバックボーンが多く描かれていたわけでは無いキャラだったからこそ、それぞれテレビ本編では描かれない、それぞれの人間関係を描くというのに力点を置いたのかなと思えますね。

わざわざこの時期に外伝を出すだけの意味はあったと思いますが、この先も鎧武は外伝を出し続けるのかという期待と不安と両方ありますかね、外伝が作りやすい作品ですし、何だかんだと主要キャラは主人公の紘太以外は少しだけであっても出演していますし、出てきたキャラを見てもやってやれない事もなさそうかなというのはありますね、若手は早いうちに作っておかないと変化しすぎるので大変でしょうが。

仮に外伝3弾が作られないにしろ、仮面ライダードライブでもスピンオフ作品が作られるのが決定していますから、1つの流れを作り出した事は大きな事でしょう。

スピンオフ作品のVシネって作り手としては自由がきいて楽しそうだなというのは、メイキングやオーディオコメンタリーで伝わってきますし。

今日のBlu-Ray観賞 仮面ライダー鎧武外伝 仮面ライダー斬月/仮面ライダーバロン

仮面ライダー鎧武のスピンオフVシネを観ました。

斬月編とバロン編の2作になるわけですが、共にテレビ本編の時に描かれなかったお話ですね。

斬月編はまだシドが存命中の出来事で、ユグドラシルが襲撃された事を貴虎とシドが捜査を始め、襲撃犯を追うという話と、呉島家に貴虎、光実の父親の世話係をしていて貴虎と同年代の朱月藤果がやって来て、テレビ本編で描かれなかった呉島家について描かれるというもの。

テレビ本編中一度も出てこなかった呉島父、出てこなかったのはそう言う事なのねというのが分かると同時に、父親役が寺田農さんですから、ガイアメモリ開発していそうとか思ってしまうくらい存在そのものが怪しすぎる(笑)

呉島家やユグドラシルに関しては、描かれていない部分が多々ありましたし、外伝で細かな設定を埋めてきたなという感じですね。

鎧武は登場人物が多いので描かれていなくて、埋める余地のある材料が多いのでかなり正統派な隙間を埋める外伝だなという感じですね。

バロンの方は・・・スーパー小林豊タイムですね。

駆紋戒斗と戒斗にそっくりの南アジアからやってきた御曹司シャプールという1人2役。

戒斗と演じる小林豊の落差というか別人ぶりは知っていましたが、その別人ぶりをいかんなく発揮しているのがシャプールという役、ほぼ役作り無しでそのままという感じ(笑)

ツッコミどころも多くいろいろとカオス過ぎて楽しめましたね。

カオスの大部分はシャプールなんですが、改めて役者って凄いなって思いました。

オーディオコメンタリ―が金田監督、貴虎役の久保田悠来、戒斗役の小林豊、戦極凌馬役の青木玄徳の4人でやっているんですが、まぁ自由過ぎですね(笑)

一番いじっていたのは湊耀子のスカートの長さの限界に挑戦!

これを話している時の楽しそうな事楽しそうな事、舞台あいさつでもいじっていましたが、それだけネタとしていじりたくなるというのも分かりやすかったです。

仮面ライダーはなんだかんだでテレビ本編の続編扱いのMOVIE大戦でやるのが定番化していますが、スピンオフのVシネは仮面ライダーW以来、まぁ鎧武に関してはキャラが多いのでスピンオフを作ろうと思えばまだ作る余地が今回のように本編の中の穴埋めとしてもできますし、後日談もまぁ生きているキャラなら作れますが、果たしてどうなるのか。

舞台挨拶では、まだ作る気はありそうですが実際問題いろいろと大変ですからね。

もういいだろうというくらい映画をやりまくった電王のような例もあるにはありますが、どうなるんでしょう?
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今日の仮面ライダー鎧武総括 その2

総括が長くなりそうなので、分けてその2

呉島兄弟は初期から登場のキャラとして、紘汰と戒斗というライバル2人という大きな軸とは別の立ち位置として設定されているんだなというのは、1話で鎧武とバロンそれぞれがインベスを率いて合戦をするのを上から2人で見下ろすという所で強く意識させられました。

しかし、実際には呉島兄弟が手を取り合ってという方向にはならずに、それぞれ別の思惑で動く結果に。

兄の貴虎は、ユグドラシルという大企業の次のトップとして期待される血筋と地位を持つエリートと言う事で、鎧武に変身して浮かれ気分の紘汰を斬月で圧倒的に追いつめてボコボコにしたり、理由の無い悪意という思わせぶりなもので、当初はユグドラシル全体が怪しい企業というのをミスリードする存在であったと思います。

実際問題、貴虎はヘルヘイムの脅威によって人類を生かすために削減しなければいけないという相反する責務に対して、ノブレス・オブリージュがために自分で責任を背負い込み過ぎたエリートでした。

結局私利私欲の無さが故に、任せるべき事と、任せきりにしてはいけない事、人を使いこなすべき立場にいながら、人を見る目が甘かったという事になるキャラだなぁと。

紘汰と戒斗の対立を保守や革新という立場から考えてみたりしたので、それに当てはめると、貴虎は人類存続と言う保守の立場ながら、現状維持を許されない現実によって、保守のための革新という相反する立場で苦しめられたという感じでしょうか。

弟のミッチは、チーム鎧武で楽しく踊り続ける日常を守るという事のみに全てを費やしたキャラという立ち位置になりますかね。

守るというのが、ユグドラシル関係者だとばれたくないという所から保身という形で出てしまい、保身のために一度ついた嘘が嘘に嘘を重ねる結果になって、策士策に溺れるという悲劇につながって行ったと。

日曜の朝で無ければ、裏切りを重ねたりと普通に取り返しのつかない事をやり続けて、自業自得で浅はかな若者で切り捨てられた可能性もありますが、間違えて突っ走ってしまったとしても、引き返して謝ってやり直す事も出来るという、教育上よろしい救いのある形で最終回を迎えたのは、日曜の朝だからかなと再認識する結果になりましたね。

伏線としては、どれだけ暴走し頭のネジが飛んでしまっていても、紘汰が必要以上にミッチの事を気にし、やり直せるんだと繰り返していた結果なんだろうなぁって。

さすがに、あれだけの事をして、ミッチに対してもう一度一緒に踊ろうとみんなに誘いをかけられたり、気にかけてもらえたりとかは中々できないものですし、私なんかではあれだけ壮大な裏切りをしたとすれば、いくらいいように騙されていた所があるにせよ、受け入れたいとは思えないですしね。

なんにせよ、あれだけの事をして壊れてしまったミッチと水落ちは死んでいないという事を、一応継続したものの、意識を取り戻さない可能性が高いというのを、紘汰が人外の力を使って救うという事にした貴虎。

この2人にやり直しのチャンスを作るという救いのある形の着地点を作った、この事は予想外の大団円であり、ここまでを想定した着地点にしていたのだとすると、上手いなぁと感心したものです。

舞というキャラクターは黄金の果実にされたり、始まりの女になってみたりと、ライダーになって直接戦うよりも散々な巻き込まれ方をしたなぁという印象ですね。

ある意味紘汰に近い普通の感覚というか、それこそ戦いが当たり前の非日常な状況に放り込まれても、一番日常を大事にしていて、それが故に巻き込まれてしまったというか。

ダンスが好きという事が重要で、ビートライダーズの順位に関しても、いつのまにかインベスゲームが入りこんで手段と目的がごちゃごちゃになったり、ビートライダーズがひっくるめて悪者扱いにされても、ダンスで何とかする、何とか出来ると信じつづけていただけと言えばそれだけ。

面倒見が良かったり、やや理想主義な所がミッチの琴線に触れまくられて、暴走したミッチが理想化し過ぎたり、戒斗がそのブレ無い態度に強さを見出したりしたせいで、本人が意識しないうちに勝手に祭り上げられたなぁという感じでしょうか、ミッチはともかく、戒斗が黄金の果実となってしまった舞を手に入れようとした時には、違和感を抱くくらいにまで存在を大きくされてしまったなぁって。

舞に関してはもう少し、プラスアルファとなる具体的なエピソードがあればよかったのにと思ったり。

話の本筋としてはビートライダーズ同士の戦闘から、対ユグドラシル、子供と大人の対立軸となった時、貴虎以外のユグドラシルのライダーの胡散臭さというのは、分かりやす引き立っていたなぁと。

凌馬、耀子、シド三者三様の行動原理ではあるものの、基本ラインは私利私欲で行動していたという事、それ故にラスボス扱いにはならなかったなと。

貴虎に対してヘルヘイムの情報、オーバーロードという存在や黄金の果実という情報をストップする事によって、本当の狙いを隠すという情報の非対称性という、分かりやすい悪の行動をしていましたしね。

凌馬は分かりやすく一貫したマッドサイエンティストであり引っ掻き回し役、耀子の慾は新しい王を見届けたい、シドは昔虐げられていた事があるらしく、その立場を見返したいという慾。

シドに関しては、行動原理の奥は明かされないままになってしまいましたが、凌馬にせよ耀子にせよ私利私欲があるとはいえ、ある種の好奇心が行動原理とも言い変えられるので、単純な善悪二元論に落とし込む事には出来ない感じも中盤の分かりやすい倒すべき目標としてのキャラは立っていたかなと。

次の軸になる相手としてのオーバーロード、フェムシンムの皆さん。

ヘルヘイムの侵食に打ち勝った存在でありながら、大半は単なる好戦的な存在。

黄金の果実を使って種として進化したのが果たして良かったのか?と疑問しか残らなかったわけですが、パターンとしてはオーバーロードを最終的な敵として人類が一致して危機を乗り越えるという形に持って行ってもおかしくない強さを見せたという事と、進化しても結局滅びるじゃんというのを見せるために出てきたと思うと、なかなか上手い設定だったのかなと思ったりもしますね。

そして、全体の戦いを煽る立場になっていたDJサガラ。

最初は単なるビートライダーズの番組DJなのかと思ったらば、実はユグドラシルと通じていて、ユグドラシルの人間と思わせたらば、実はユグドラシルの側についているわけではない監視者というトリッキーな役。

神話において、いろいろと吹き込む存在であるヘビという事ですが、成り行きを見守ると言いながら、何だかんだで裏で煽っていた存在だったなぁと。

黄金の果実争奪戦もある意味強制参加させているわけですし、種の進化という名の強制塗り替えもさせるわけですし、全然監視するだけの立場では無かったと。

だから、黒幕として消されるかなぁとも思ったんですが、消されなかったのが意外と感じたり。

本筋を進める主軸では無かったライダーの凰蓮、城乃内、初瀬、ザック。

凰蓮はインベスゲームでビートライダーズ同士が戦っている時の引っ掻き回し役で、戦極ドライバーの上を行くゲネシスドライバーが出て以降は正直もてあまし気味にしか見えなかったのが、最終的には真っ当な大人として(真っ当に見えるかは別として)の役割をこなして終盤に生きてきた形ですね。

城乃内と初瀬はザコキャラ扱いなのかと思ったらば、初瀬がインベスはヘルヘイムの実を食べれば人間がなるものだよという説明のために重要な役割を果たしましたし、城乃内もスケールの小さい策士かと思いきや、まさか最終話で初瀬の事の罪滅ぼしという形で着地点があったり、何気にケーキ職人になって、実はビートライダーズの中で一番真っ当な社会人になっていたりと一番恵まれていたり、ザックはいつの間にかすごく回りの見えてリーダーシップのある人になっていたりと、脇役がないがしろにされないという点で終盤私個人の作品評価を上げる要因になったりしましたね。

鎧武という作品は1年通して安定して楽しめたかというと、決してそうではありませんし、映画版は最初のムービー大戦は残念過ぎましたし、次の仮面ライダー大戦と夏映画もハードルを下げておいて、まぁこんなものか程度の評価までしか出来ませんでしたし、映画の宣伝のために、長編という作りをしているのを中断する形に足をひっぱられたりと、マイナス点も露骨に目だったりはしました。

ただ、いろいろと要素を詰め込み過ぎていると危惧した中で消化不良を起こしているとは思いませんでしたし、平成仮面ライダーの初期へのオマージュもいくらでも見る事が出来ましたし、実験作としては後に好影響を与えうる作品かなぁというのが私の評価ですね。

大絶賛する出来では無いんだけれども、何だかんだと引っかかりを覚えているからこそ、長々とまとまりの無い総括を書こうと思えるだけの作品だったと。

そして、仮にこの総括を全部読んだ人がいるのならば、よくこのまとまりの無い文章を最後まで読む気になったとある意味尊敬します。

今日の仮面ライダー鎧武総括 その1

仮面ライダー鎧武、最終回を無事に終えたという事で、恒例にしている総括という名のまとまりに欠ける全体感想を。

鎧武は始まる前は期待と不安の割合はどちらかというと不安寄り、ただし実験作としての意味合いもあるだろうという事で、仮に鎧武という作品そのもので残念な結果になったとしても、後継作には何がしかの新たな影響を与える事はあるだろうなという考えではありました。

不安の割合が大きかった理由は、個人的な趣味というのもあるのですが、前情報の時点で戦国時代、フルーツ、ダンス、多人数ライダーという事とレギュラー準レギュラー陣の多さというものから、詰め込み過ぎによる全体的な消化不良の懸念。

いろいろな要素を詰め込むというのは、初めからしっかりと消化した上でのものであれば、問題は無いのですが、単に削るには勿体ないからというだけで詰め込んだ場合、全体像として軸がぼやけてしまい、とっちらかって何がやりたいんだが分からなくなってしまうという感想しか出来ないものになりがち。

登場人物が初期設定から多い場合もまた、登場人物が多いけれども軸が定まっているというのならば問題は無いのですが、せっかくキャスティングしたんだから勿体ないという形で、本筋に関係ない話にいつのまにか力点がずれていってしまい、バランスが悪く、この人って本来重要な役割じゃなかったの?という登場人物がないがしろにされてみたり、それぞれ伏線っぽい感じの話が作られながら、そんなのあったっけ?とばかりに放り投げられたりする傾向があったりする(これは、そういう傾向が強い脚本家がすぐに頭をよぎるのですが)

ここら辺の事は、単に私が理解の範疇を越えてしまっただけの場合も当然あるんでしょうが、少なくとも私は楽しめなくなる部分という事で。

逆に期待という意味では、W以降2話完ものが続いてきた中で久しぶりに2話完固定を辞めて連作短編型長編ではなく、1年を通しての長編の話作りにするという事、そして、ややマンネリ傾向のあるメイン脚本に、それまで全く特撮作品の脚本経験の無い虚淵玄を抜擢した事。

個人的には2話完ものは嫌いではないですし、2話完ベースの作品に好きなものは多いのですが、2話完固定による話作りの弊害というか、1年を通しての長編としてキーになる話が、固定によって無理矢理に尺を引き伸ばしたり、逆に説明不足に陥ったりというのも目につき始めていたので、そろそろ作品によって使い分ける時期だろうと思っていたので、それはそれで期待、また脚本家もそろそろ新規を出さないと、特にライダーは作品作りの自由さがある分作品毎の違いをはっきりさせないといけなかったりもするので、ちょうどいい時期だったのかなと。

しかし、この期待にあげた2つのポイントは同時に不安要素でもあったりしました。

長編型の作品作り、特に多人数ライダーでのものは、ライダー同士を戦わせる事をメインにすると、決着をある程度引き伸ばさなくてはならないので、中途半端になりがちで、決着がつかない理由をしっかりと出したり、2話完のようにある程度強制的に区切りがあるものではないからこそ、何がしかの区切りは常に意識しないと、グダグダになりがち。

また特撮作品初でいきなりメインという脚本家のチョイスも、当然ギャンブルである事は間違いなく、アニメ脚本との勝手の違いが悪い方に出る可能性も当然あったと。

実際に見始める前で想定していた事はこれくらいになるでしょうかね。

フルーツライダーなんていう外見の問題は、もはやライダーを見続けていたらば、初見で何これ!?であっても見ているうちに慣れるで済んでしまったりしますから。

見始めてからですが、ビートライダーズによるダンスバトルであるとかインベスゲームの頃、正直私は楽しめていたかというと、そうでもなかったというのが正直なところですね。

ダンスに対しての興味が薄いというのもありますが、仮面ライダーという装置を使って、ヤンキーマンガでの縄張り争いをしているような感じにしか思えなかったんですね(コメントの少ない当ブログで珍しくコメントされていて、ヤンキーマンガの方法論というよりも、ダンス絡みでウエストサイドストーリーじゃないかという、ありがたい指摘もありましたが)

多人数ライダーで2話完ものを脱して、善悪の基準での戦いではなくそれぞれの戦う理由というのがバラバラというのが狙いであるというのは理解していても、少なくともインベスゲームなどで、チーム同士のバトルをやっていた頃は、これが1年続いたらばどうしようでした。

物語の構造として面白いなと思えるようになったのは、それまでビートライダーズが順位を上げるために戦ってきたのが、インベスゲームそのものがユグドラシルという巨大企業の実験台にされていただけではないかとなって、それまでの戦いの対立軸であるとか、戦う理由そういったものが変化した時ですね。

子供同士の遊びの延長としての戦いから、対企業という形を通して子供対大人という構図にスライドした。

これが、対ユグドラシルという形で、ユグドラシルという怪しげな企業が私利私欲のために何かしら悪だくみをしているのではないかという流れになり、この対立軸で話が進んで行くと、次にはユグドラシルは悪だくみをするために怪しげな隠蔽工作などをしていたのではなく、ヘルヘイムの森の侵食という人類の危機が迫っていて、人類を全て救う事は不可能だから、可能なだけ人類を救うという方向で活動していたとまたもや対立軸が変化。

これが、その次には実はヘルヘイムの森の侵食は絶対に食い止められないものというから、オーバーロードという存在がいて、さらにオーバーロードになるために知恵の実、黄金の果実というものがあり、それを得た者が世界を書きかえる権利を得るという人類とオーバーロードという新たな対立軸と黄金の果実争奪という明確な目的の登場。

それぞれ対立関係になった者が、外部からの新たな脅威で一致団結するというのは、1つのパターンではあり、全員が一致団結するというのはあり得ないとしても、その方向性に持って行って、対オーバーロードで決着をつけるのもそれはそれで1つの落とし所かと思った所、対オーバーロードを終着点とせず、オーバーロードに決着がついた後、最後はまた人類同士の黄金の果実争奪戦に対立軸を戻し、それぞれ果実争奪後を見据えての物になるという段階を踏んでの話の作り方になりました。

元々、初期段階から話の全体構成が出来上がっていたという事ですので基本線は予定に沿った形になってると思うのですが、それぞれの対立軸が変化した時の話の時期に好き嫌いがあるにせよ、対立軸の変化、戦う理由の変化、話のスケールの変化、それぞれの思惑の変化や離合集散は1年という長編をしっかりと計算されて出来ていて、私は今後の長編型の作品作りにも大いに影響を与えうるものとして高い評価をしても良いと思います。

主要登場人物ですが、主人公の紘汰は元々戦う理由というものをしっかりと持って戦っていたわけではないという意味では軸がはっきりしない扱いをされ続けましたが、基本的には普通の感覚なのではないかなぁという印象を私は持ち続けてはいたんですよね。

目の前に困っている人がいたらば、とりあえず理由なく助ける、ライダーに変身する力を得て、それが誰にでも出来るものではないからとりあえず変身して戦った。

最初のうちは家で変身ポーズを考えてみたり、バイトで無駄に変身してみたりとお調子者の反応を示しましたが、ヘルヘイムの侵食であるとか、そういうものを一切説明されないまま覚悟ばかり問われても困るかなぁと、何のために戦うのかというのも、とりあえず目の前に起きている事に対するリアクションとして戦っていても、ある意味ではそういうものではないかとか。

成り行きで変身するようになって、それが人の役に立っているからと戦う紘汰のある種のぼんやりとした戦う理由が何度も作中で回りに否定されますが、それは回りがある意味目的がはっきりし過ぎていたり、戦う事の正当化というか戦いそのもので決着をつける事に何の疑問も持っていなさ過ぎただけなんじゃないかなぁというのは結構思いました。

基本紘汰は長期視点や大勢を意識したものではなく、まずは目の前の事だけを考えるものであり、インベスは話が通用しない害虫駆除のような意識ですが、これが話が通じる人間同士であるとか、話が通じると分かったオーバーロード相手ならば、話せば分かるという理想論による平和的解決主義者。

理想論ですから、話し合いで解決不能な現実があると突きつけられて初めて覚悟を決めるというか強制的に覚悟を決めさせられる。

黄金の果実争奪戦にしても、黄金の果実を手に入れた者が世界の作り替えの権利を手にするということになるので、話しても分からない相手に渡すわけにはいかないから自分で手にせざるを得ないと、それこそ戒斗との最終決戦直前まで自分の主体的な決断というよりも、強制的に決断させられたにすぎない。

主体性であるとか芯が感じられないので、主人公としてはいろいろとブレて見えますが、一般的よりも少し自己犠牲の精神があるだけで、極々一般的な感覚なのではないかと思います。

それは、最終的に戒斗が黄金の果実を手にした後のビジョンが現在の人類は強者が弱者を虐げる、だからそうではない世界に作り替えるために何のためらいもなく現在の人類を書き変えようとするに至って、戒斗が二元論による改革主義者という分かりやすい立場と対比するように、現在は理想的な社会とは言い切れないかもしれないが、だからと言って全否定するしか答えは無いというものに対して否と言う、ぼんやりとした保守主義者としてはっきりしたのではないかと。

保守と革新という二元論で済ましてしまうと、戦う理由が善悪二元論ではない作品世界を単純化しすぎてしまう形になりますが、極論の戒斗と仮に方向性は正しいとしても極論はおかしいという紘汰という対立軸にして考えてみると、なかなか興味深く思え、意図されたものかどうかは知りませんが、終盤はちょっとしたイデオロギー闘争として楽しんでいたりしました。

黄金の果実が世界の王になる権利、世界を書きかえる権利と言う名の、種の進化のために世界を強制的に書きかえる義務でしかないとなった答えも、自己犠牲であるとか自分のやるべき事を見つけたとか大きな事をしているようで、実は目の前の問題を解決しただけと考えると作中では芯がないような扱いをされていたのに、実は一番自分を貫いたというように見えるのは、私の勝手すぎる解釈かなと。

戒斗は強者と弱者という単純な二元論が行動原理であり、自分の親が小規模工場の主という弱者の立場で、ユグドラシルという強者の大企業に蹂躙された事から、強さだけを追い求めるという分かりやすく、それが一貫されて最後までブレ無かったキャラだと思います。

初期は、自分が強者になる事で弱者をないがしろにする事を良しとするのかなぁと思える描写も多かったのですが、途中からはただただ強さを求める、一度負けてもあきらめなければ本当の負けではないみたいなストイックなものだったと思います。

黄金の果実を手に入れた者が世界を書きかえる権利になると知ってからの戒斗は、自分が強くならなければいけない理由と、同時に強くなった先に求めていたものの実現というのが、これ以上ないくらい一致すると言う事で、余計にブレ無くなった感じがあります。

私は自分が理解しやすいように自分の持っている知識の中で近似性のあるものに置き換えて考えますが、戒斗の究極の目的は本当の意味での革命による共産主義の実現のようなものだったのだと。

強者と弱者という単純な二元論は、そのままマルクスのいう搾取するものと搾取されるものという二元論に限りなく近いですし、その構造がいずれ終焉を迎えるとその先には平等な社会へと移行するという。

マルクスは資本主義の崩壊が共産主義への始まりという幻想を持ち得ていましたが、戒斗は現在の人類ではそんなのは幻想でしか無いとして、マルクスの資本主義全否定の更に上を行く現在の人類全否定というところまで行ってしまったと。

元々、二元論というのは力強く分かりやすいのですが、単純に過ぎるために自分と相いれないものは全否定につながりやすいですし、信念の出発点や方向性が正しい事が、目的達成のための手段をも全肯定しやすく、暴走すらも肯定する危険なものなのですが、戒斗はそれを分かりやすく提示してくれたかなと。

長くなりそうなので続きにします。

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