今日の読書 タブーの正体!マスコミが「あのこと」に触れない理由/川端幹人
元噂の真相副編集長だった筆者が、現在のマスコミにはびこるタブーについて、タブーが形成される理由を、暴力、権力、経済の3つの方向から分析し、肥大化したタブーの危険性を問うというものですね。
元噂の真相というだけで、基本アプローチは反権力となっているだろうなというのは、分かりやすく、また自身が受けた右翼からの暴力的な圧力がトラウマになって、記事を書くにあたって、自主規制へと向かってしまうというヘタレになっていってしまったというあたりは、面白みはあるのですが、タブーがタブーとして定着したが故に、なぜタブーなのかという理由が消えていくという恐ろしさを指摘しながらも、タブー化した出発点、またタブー化したため利権構造への踏み込みという意味では、それほどガッツリと扱っていないかなという印象ですかね。
少なくとも、経済的な部分からのもので、マスメディアがスポンサー様様になっていて、恣意的な偏向報道をしている事や、芸能人が事務所の力関係でスキャンダルがどうとでもなっている事なんていうのは、何を今更としか思えなかったりしますし(まぁ比較対象としてしっかりと実名報道しているという点では、評価できるのでしょうけど)現在のいわゆるマスメディアがそういった大人の事情でがんじがらめで、またそのがんじがらめの状態に嬉々として乗っかっている感がある事で、影響力の低下というか、一般層にそっぽを向かれつつあるところにまで踏み込まないと、タブーをタブーとして放置した結果という面では、それこそタブーなんじゃないの?と思わなくはないですかね。
宗教や同和といった差別を盾に取った暴力的圧力を扱っていますが、タブー化した事による利権化部分まで踏み込まないと、やはりタブー化した事による逆差別問題という事への追及という面では、まだまだタブーを感じますし、新書という手広く読まれる事を前提としたものでの1つの限界は感じますかね。
暴力にしろ、権力にしろ、経済にしろ、古くからある分かりやすい権力と感じられるものを主に扱っているという所からも、旧世代の反権力を出発点とした物の見方になるのかなぁと。
今、一般的にはある程度まで常識化している部分もありますし、またむしろタブーという意味ではもっと今の時代広義にわたっているんじゃないかと思えますからねぇ。
あくまでも、これがタブーの全てだとするのではなく、タブーという物に対するマスメディアの事なかれ主義、儲け至上主義の一端程度かなとは思いますね。
新書ならばむしろ、ピンポイントで何かに絞った方が良かったんじゃないかと。
序 章 メディアにおけるタブーとは何か
第1章 暴力の恐怖 皇室、宗教のタブーの構造と同和タブーへの過剰対応
1私が直面した右翼の暴力
2皇室タブーを生みだす右翼への恐怖
3皇室タブーからナショナリズム・タブーへ
4宗教タブーは「信教の自由」が原因ではない
5同和タブーに隠された過剰恐怖の構造
6同和団体と権力に左右される差別の基準
第2章 権力の恐怖 今も存在する政治家、官僚タブー
1政治権力がタブーになる時
2メディアが検察の不正を批判しない理由
3愛人報道、裏金問題で検察タブーはどうなったか
4再強化される警察・財務省タブー
第3章 経済の恐怖 特定企業や芸能人がタブーとなるメカニズム
1ユダヤ・タブーを作り出した広告引き上げの恐怖
2タブー企業と非タブー企業を分かつもの
3原発タブーを作り出した電力会社の金
4電通という、もっともアンタッチャブルな存在
5ゴシップを報道される芸能人とされない芸能人
6芸能プロダクションによるメディア支配
7暴力、権力の支配から経済の支配へ
第4章 メディアはなぜ、恐怖に屈するのか
元噂の真相というだけで、基本アプローチは反権力となっているだろうなというのは、分かりやすく、また自身が受けた右翼からの暴力的な圧力がトラウマになって、記事を書くにあたって、自主規制へと向かってしまうというヘタレになっていってしまったというあたりは、面白みはあるのですが、タブーがタブーとして定着したが故に、なぜタブーなのかという理由が消えていくという恐ろしさを指摘しながらも、タブー化した出発点、またタブー化したため利権構造への踏み込みという意味では、それほどガッツリと扱っていないかなという印象ですかね。
少なくとも、経済的な部分からのもので、マスメディアがスポンサー様様になっていて、恣意的な偏向報道をしている事や、芸能人が事務所の力関係でスキャンダルがどうとでもなっている事なんていうのは、何を今更としか思えなかったりしますし(まぁ比較対象としてしっかりと実名報道しているという点では、評価できるのでしょうけど)現在のいわゆるマスメディアがそういった大人の事情でがんじがらめで、またそのがんじがらめの状態に嬉々として乗っかっている感がある事で、影響力の低下というか、一般層にそっぽを向かれつつあるところにまで踏み込まないと、タブーをタブーとして放置した結果という面では、それこそタブーなんじゃないの?と思わなくはないですかね。
宗教や同和といった差別を盾に取った暴力的圧力を扱っていますが、タブー化した事による利権化部分まで踏み込まないと、やはりタブー化した事による逆差別問題という事への追及という面では、まだまだタブーを感じますし、新書という手広く読まれる事を前提としたものでの1つの限界は感じますかね。
暴力にしろ、権力にしろ、経済にしろ、古くからある分かりやすい権力と感じられるものを主に扱っているという所からも、旧世代の反権力を出発点とした物の見方になるのかなぁと。
今、一般的にはある程度まで常識化している部分もありますし、またむしろタブーという意味ではもっと今の時代広義にわたっているんじゃないかと思えますからねぇ。
あくまでも、これがタブーの全てだとするのではなく、タブーという物に対するマスメディアの事なかれ主義、儲け至上主義の一端程度かなとは思いますね。
新書ならばむしろ、ピンポイントで何かに絞った方が良かったんじゃないかと。
序 章 メディアにおけるタブーとは何か
第1章 暴力の恐怖 皇室、宗教のタブーの構造と同和タブーへの過剰対応
1私が直面した右翼の暴力
2皇室タブーを生みだす右翼への恐怖
3皇室タブーからナショナリズム・タブーへ
4宗教タブーは「信教の自由」が原因ではない
5同和タブーに隠された過剰恐怖の構造
6同和団体と権力に左右される差別の基準
第2章 権力の恐怖 今も存在する政治家、官僚タブー
1政治権力がタブーになる時
2メディアが検察の不正を批判しない理由
3愛人報道、裏金問題で検察タブーはどうなったか
4再強化される警察・財務省タブー
第3章 経済の恐怖 特定企業や芸能人がタブーとなるメカニズム
1ユダヤ・タブーを作り出した広告引き上げの恐怖
2タブー企業と非タブー企業を分かつもの
3原発タブーを作り出した電力会社の金
4電通という、もっともアンタッチャブルな存在
5ゴシップを報道される芸能人とされない芸能人
6芸能プロダクションによるメディア支配
7暴力、権力の支配から経済の支配へ
第4章 メディアはなぜ、恐怖に屈するのか
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