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今日の読書 砂漠の悪魔/近藤史恵

1993年、親友を自殺に追い込んだ大学生が、そのせいで中国に行く事になるというお話になります。

自殺の原因を作った主人公に対し、私は全く共感出来なかったりするのですが、中国で体験する事はなかなかに興味深くつくられていました。

93年ですから、まだ中国が経済大国として台頭する前、天安門事件が起きたりソ連解体などいわゆる共産圏が崩壊していた時代であり、日本ではまだまだ中国に対する情報が恣意的に断片しか伝わってこなかった状況の頃。

主人公は中国に行ってから、逃亡する事になり新疆ウィグルにまで行く事になるのですが、そこで当時の日本では伝えられていない、いわゆる中国人、漢民族によるウイグル人への政治的弾圧、民族同化というか浄化というようなものを経験するわけですが、改めて多民族国家の大いなるマイナス面が見えるなぁと。

特に、少数民族に対する大多数をとる民族の無自覚で傲慢な侵攻というものは、日本ではもう一度よく考えるべきですね。

土着民族を押しのけて入り込んでくる残虐性、日本の場合は移民を受け入れる側として他民族を考える立場になりますが、受け入れる側の差別よりも進出してくるものの凶暴性、これは絶対に忘れてはいけないという事と、差別という言葉の使い方、これは深刻に考えるべきですね。

受け入れ拒否を差別と考えるのは1つの考え方としてけっして間違いではないですが、それに付け込んで土着民を差別するものの傲慢性は絶対に忘れてはいけないと。

日本の場合、他民族に進出された経験がほぼ無いからこそ、進出してくる側の凶暴性に対して非常に鈍感でありますが、中国の新疆ウィグル地区やチベット問題を考えると、進出してくる漢民族の傲慢性、土着民駆逐というものを考えると、移民してくる側の了見はしっかりと見極めなければいけないと、決して移民してくる側がイニシアチブをとるような形で移民させてはいけないと、それを忘れると土着民が駆逐される結果に陥る危険性があると。

それを考えると、移民というものは大量に一か所に受け入れるという事は絶対に避けないといけないという事は考えさせられますね、少数民族か否かというのは実は相対的なものでしか無く、仮に日本全体でみるといわゆる土着系日本人が大多数を占めていたとしても、一定地区では他民族の方が増えてしまうと、本来の土着系日本人が少数民族となってしまい虐げられる立場に追い込まれると。

実際に日本の特定の地域ですと、日本という国単位から見ると少数民族になるものの、地域単位になると少数民族とは言えないような状況になって、自分たちは差別されている立場だという偽装弱者である事を武器に凶暴化してしまっている例もあるようですしね。

そして、この本のタイトルが砂漠の悪魔という意味がラストに明かされるわけですが、悪魔以外の何物でもないなと、その事まで含めて考えさせられる1冊でしたね。

かなり偏った部分を強調した感想ですけど(笑)
砂漠の悪魔砂漠の悪魔
(2010/09/30)
近藤 史恵

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テーマ : 読んだ本の感想等
ジャンル : 小説・文学

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