今日の仮面ライダーフォーゼ総括
昨日、最終回を迎えました仮面ライダーフォーゼ。
作品の一年間を振り返るというか、一応毎回やっている事ですし、個人的な感想で総括してみようかなと。
フォーゼの特徴は、やはり学園ものと宇宙もの、そしてあのとんがり頭のインパクトのある姿、この3つは始まる前から絶対に外せないものですね。
仮面ライダーで学園ものまでならば、過去に戦隊でも高校生戦隊が2作ある事ですし、想像できなくはないのですが、そこに宇宙を絡めるとなると、始まるまでどう融合させるのか、さっぱり分からない、始まるまでどういう作品になるのか、皆目見当がつかなかったですね。
仮に、おおよその見当がついていたという人がいるのならば、私はいろいろと教えを乞いたいと思えるくらい。
実際に始まってみると、基本的には学園内の事件の解決という正義のヒーローとしては非常にスケール感が小さい事をやっているのに、宇宙規模の力というスケール感の大きな話という、スケールが小さいのか大きいのか分からないという不思議な世界感に、よく融合させようとしたよなと。
特に終盤は日本が壊滅するかもしれないという急激なスケール感の大きな話になりすぎて、もっと中間点を作っておこうよと思った人も多かったのではないかと。
学園ものと言う事ですが、従来の日本の高校というイメージではなく、序盤で忘れ去られましたが、スクールカーストが分かりやすくはっきりしたアメリカンスクールのような舞台設定。
これも、ある意味ツッコミどころとして、変にリアリティを無くして、同じ高校内でいろいろとバラツキがありすぎるだろうという事を、この学園はこういうもの!とある種の開き直りを作った感がありますかね、もちろん、それ故にこの世界観に入れないと思ってしまった視聴者もいるのでしょうけども、この世界観ではこういうものと受け入れてしまうと、ツッコミどころを含めて楽しんだ方が勝ちかなと思えましたね。
主人公の弦太朗の設定も、1人だけ昭和のヤンキーみたいな学ランにリーゼント、でも行動原理は全ての人とダチになるという、見た目とやっている事のチグハグさがある意味浮世離れした存在として、学園内が非日常の世界へと向かう起爆剤としてぶちこまれた感が強くあり、転校してきたからこそいろいろと動き始める事になるという分かりやすさがあったなと。
転校前から、すでにゾディアーツ絡みの事は起きていましたが、弦太朗無しでは対抗策としての仮面ライダーフォーゼはあり得なかったと。
弦太朗のダチになるという行動は、一般常識から大きく逸脱する事が多く、フォーゼとしてゾディアーツ退治と共に、前半ゾディアーツ絡みの事件の解決は、心に闇を持った生徒に対する、憑き物落としの要素が多く、特にライダー部の面々を揃えて行く過程ではゾディアーツのスイッチを使ってしまった生徒というよりも、関係者としてスイッチを押させてしまった側の生徒だった面々が、弦太朗に触れたことで憑き物が落ちたように、若さゆえの視野狭窄から逃れる事になるというパターンが出来上がり、これによって、力技の解決も、弦太朗だから仕方がないと思えるようになったのではないかと。
ただ、弦太朗のみんなとダチになるという行動原理も、理由そのものが明確にあるわけではなく、ダチになる事が目的のための目的になってしまった感があるのは、大いにもったいないというか、ここの理由づけの弱さゆえに、感情移入しづらい側面があったのはあるかもしれないですが、私なんかは、それでも弦太朗だからなぁという結論になってしまうのですが。
この弦太朗だから仕方がないという構造は、力技の解決を肯定的に評価する物ではあるのですが、正直力技すぎるというか、設定の粗があるからこそ力技になってしまっている部分も多くあり、この粗が気になってしまう人には、力技の解決も否定的にしか捕えられなく、もっと細かい所まできちんと詰めて話を作れと感じても仕方がないレベルかなとは思えますね。
ゾディアーツスイッチに関して、結局スイッチが主なのか本人が主なのか分かりにくい部分というか、矛盾すら感じる部分があり、どの星座になるのか、ホロスコープスに進化するのかどうか、条件が曖昧だったかなと。
後半校長がラプラスの瞳の力を得てからは特にそう感じずにはいられなかったというか、元々本人の資質ならば、最初からホロスコープスに覚醒しなければおかしいし(ユウキのジェミニ、蘭のピスケスのようにいきなりホロスコープスになったとか)逆にラストワンを迎えた後に覚醒して進化する条件はじゃあ何だったのか?と分からないままになったのが、ちょっとどうだろうと思わずにはいられなかったですね。
ホロスコープスになるのは容易いことではないとしたかったからというのもあるのでしょうが、やはり12星座というのは多過ぎたという事ですかね。
とはいえ、星座という物を使う以上12星座の特別感は外せないでしょうが。
世界観や解決法に力技が多かった事は、それはそれで楽しんだ事は確かな中でマイナス点にしなければいけないのですが、とんがり頭のインパクトの強かったフォーゼの姿形、変身ギミック、変身後ギミックに関しては、途中参加のメテオも含めて非常に良かったのではないかと思いますね。
変身するためにカウントが必要で時間がかかるというのも、そのカウントのたびに、いろいろな画面を挿入するという楽しみにというか、見せ場として成り立たせていましたし、変身後も40もあるスイッチをどう使うのか、使いこなせるのかという当初の疑問も、もちろんスイッチによって使用頻度も違いますし、存在そのものがツッコミ待ちなものもありましたが、最強フォームであるコズミックステイツが出た以降でも、見せ場として上手く使って、アクションで活用していましたし、パワーアップしたらば、それまでのものは用無しという事にならずに楽しませてもらえたかなとは思っています。
スイッチの数がありすぎて、きちんと把握しているわけでは無かったですけどもね。
仮面ライダー部という仮面ライダーを部活にしてしまうなど、過去に例がないある種の実験作な部分があった今作ですが、実験的な要素と王道展開な部分と、スケールが大きいのか小さいのか分からないという事などもひっくるめて、実験作なのか王道作なのかわからない、振れ幅のある作品だったかなぁというのがあるでしょうか。
1年間楽しめた事は間違いないんですが、同時に伏線?と気になった事が実はそうではなかったようだったり(弦太朗の両親不在は何か意味があるのだと勝手に思っていた)江本教授がダークネビュラに送ったふりをしてM-BUSにかくまっていた人達が最終回で完全スルーだったりと気になる所も多く存在してしまった作品ですね。
いろいろと詰め込み過ぎたと言えるのかもしれないかなぁと。
ただ、今は最終回後にライダー大戦の映画が定着してきているので、スルーしたかのように見えた物がスルーでは無かったという可能性も残しているのが、評価を難しくはしていますかね。
それを前提にしたとしても、きちんと最終回らしい決着は付いているので問題はないと言えますけども。
何度も繰り返しになりますが、力技だらけで満点の評価をする事はできませんでしたが、1年間私は楽しむ事ができましたと。
作品の一年間を振り返るというか、一応毎回やっている事ですし、個人的な感想で総括してみようかなと。
フォーゼの特徴は、やはり学園ものと宇宙もの、そしてあのとんがり頭のインパクトのある姿、この3つは始まる前から絶対に外せないものですね。
仮面ライダーで学園ものまでならば、過去に戦隊でも高校生戦隊が2作ある事ですし、想像できなくはないのですが、そこに宇宙を絡めるとなると、始まるまでどう融合させるのか、さっぱり分からない、始まるまでどういう作品になるのか、皆目見当がつかなかったですね。
仮に、おおよその見当がついていたという人がいるのならば、私はいろいろと教えを乞いたいと思えるくらい。
実際に始まってみると、基本的には学園内の事件の解決という正義のヒーローとしては非常にスケール感が小さい事をやっているのに、宇宙規模の力というスケール感の大きな話という、スケールが小さいのか大きいのか分からないという不思議な世界感に、よく融合させようとしたよなと。
特に終盤は日本が壊滅するかもしれないという急激なスケール感の大きな話になりすぎて、もっと中間点を作っておこうよと思った人も多かったのではないかと。
学園ものと言う事ですが、従来の日本の高校というイメージではなく、序盤で忘れ去られましたが、スクールカーストが分かりやすくはっきりしたアメリカンスクールのような舞台設定。
これも、ある意味ツッコミどころとして、変にリアリティを無くして、同じ高校内でいろいろとバラツキがありすぎるだろうという事を、この学園はこういうもの!とある種の開き直りを作った感がありますかね、もちろん、それ故にこの世界観に入れないと思ってしまった視聴者もいるのでしょうけども、この世界観ではこういうものと受け入れてしまうと、ツッコミどころを含めて楽しんだ方が勝ちかなと思えましたね。
主人公の弦太朗の設定も、1人だけ昭和のヤンキーみたいな学ランにリーゼント、でも行動原理は全ての人とダチになるという、見た目とやっている事のチグハグさがある意味浮世離れした存在として、学園内が非日常の世界へと向かう起爆剤としてぶちこまれた感が強くあり、転校してきたからこそいろいろと動き始める事になるという分かりやすさがあったなと。
転校前から、すでにゾディアーツ絡みの事は起きていましたが、弦太朗無しでは対抗策としての仮面ライダーフォーゼはあり得なかったと。
弦太朗のダチになるという行動は、一般常識から大きく逸脱する事が多く、フォーゼとしてゾディアーツ退治と共に、前半ゾディアーツ絡みの事件の解決は、心に闇を持った生徒に対する、憑き物落としの要素が多く、特にライダー部の面々を揃えて行く過程ではゾディアーツのスイッチを使ってしまった生徒というよりも、関係者としてスイッチを押させてしまった側の生徒だった面々が、弦太朗に触れたことで憑き物が落ちたように、若さゆえの視野狭窄から逃れる事になるというパターンが出来上がり、これによって、力技の解決も、弦太朗だから仕方がないと思えるようになったのではないかと。
ただ、弦太朗のみんなとダチになるという行動原理も、理由そのものが明確にあるわけではなく、ダチになる事が目的のための目的になってしまった感があるのは、大いにもったいないというか、ここの理由づけの弱さゆえに、感情移入しづらい側面があったのはあるかもしれないですが、私なんかは、それでも弦太朗だからなぁという結論になってしまうのですが。
この弦太朗だから仕方がないという構造は、力技の解決を肯定的に評価する物ではあるのですが、正直力技すぎるというか、設定の粗があるからこそ力技になってしまっている部分も多くあり、この粗が気になってしまう人には、力技の解決も否定的にしか捕えられなく、もっと細かい所まできちんと詰めて話を作れと感じても仕方がないレベルかなとは思えますね。
ゾディアーツスイッチに関して、結局スイッチが主なのか本人が主なのか分かりにくい部分というか、矛盾すら感じる部分があり、どの星座になるのか、ホロスコープスに進化するのかどうか、条件が曖昧だったかなと。
後半校長がラプラスの瞳の力を得てからは特にそう感じずにはいられなかったというか、元々本人の資質ならば、最初からホロスコープスに覚醒しなければおかしいし(ユウキのジェミニ、蘭のピスケスのようにいきなりホロスコープスになったとか)逆にラストワンを迎えた後に覚醒して進化する条件はじゃあ何だったのか?と分からないままになったのが、ちょっとどうだろうと思わずにはいられなかったですね。
ホロスコープスになるのは容易いことではないとしたかったからというのもあるのでしょうが、やはり12星座というのは多過ぎたという事ですかね。
とはいえ、星座という物を使う以上12星座の特別感は外せないでしょうが。
世界観や解決法に力技が多かった事は、それはそれで楽しんだ事は確かな中でマイナス点にしなければいけないのですが、とんがり頭のインパクトの強かったフォーゼの姿形、変身ギミック、変身後ギミックに関しては、途中参加のメテオも含めて非常に良かったのではないかと思いますね。
変身するためにカウントが必要で時間がかかるというのも、そのカウントのたびに、いろいろな画面を挿入するという楽しみにというか、見せ場として成り立たせていましたし、変身後も40もあるスイッチをどう使うのか、使いこなせるのかという当初の疑問も、もちろんスイッチによって使用頻度も違いますし、存在そのものがツッコミ待ちなものもありましたが、最強フォームであるコズミックステイツが出た以降でも、見せ場として上手く使って、アクションで活用していましたし、パワーアップしたらば、それまでのものは用無しという事にならずに楽しませてもらえたかなとは思っています。
スイッチの数がありすぎて、きちんと把握しているわけでは無かったですけどもね。
仮面ライダー部という仮面ライダーを部活にしてしまうなど、過去に例がないある種の実験作な部分があった今作ですが、実験的な要素と王道展開な部分と、スケールが大きいのか小さいのか分からないという事などもひっくるめて、実験作なのか王道作なのかわからない、振れ幅のある作品だったかなぁというのがあるでしょうか。
1年間楽しめた事は間違いないんですが、同時に伏線?と気になった事が実はそうではなかったようだったり(弦太朗の両親不在は何か意味があるのだと勝手に思っていた)江本教授がダークネビュラに送ったふりをしてM-BUSにかくまっていた人達が最終回で完全スルーだったりと気になる所も多く存在してしまった作品ですね。
いろいろと詰め込み過ぎたと言えるのかもしれないかなぁと。
ただ、今は最終回後にライダー大戦の映画が定着してきているので、スルーしたかのように見えた物がスルーでは無かったという可能性も残しているのが、評価を難しくはしていますかね。
それを前提にしたとしても、きちんと最終回らしい決着は付いているので問題はないと言えますけども。
何度も繰り返しになりますが、力技だらけで満点の評価をする事はできませんでしたが、1年間私は楽しむ事ができましたと。



