今日の読書 ずる 嘘とごまかしの行動経済学/ダン・アリエリー
行動経済学というのは、心理学と経済学を融合させたものであり、経済学が長い間前提条件としていた合理性というものを否定し、人間は常に合理的であるものではなく、非合理的なものという事を証明しようと研究しているものになります。
経済学は、金と直結する学問分野であるがために、悪用されやすいというか、儲け話と直結しているものと誤解されていたり、また、政策決定にも直結しているので、失敗例を積み重ねやすいものであったりもするので、どうにも胡散臭い扱いになりやすいものだったりします。
もちろん、頭から悪用するというか、自分の都合の良い解釈のために使っている人もいますが、自分の理論が正しいと盲信して頭が悪いとしか思えない事を平気で口走っていたりしますね。
インチキ臭い事を言っているなぁと思う人は、確実に儲かるとか、絶対に損はしないというような断言調の事を言っている人は極論しか言っていないと考えれば、まず間違いないだろうと私は断言しておきます!
アメリカ経済を見ていると、いわゆる市場原理主義と言われる、市場でやれる分野は政府が口出しをせず市場に任せておけば上手くいくというものが、何度失敗を繰り返そうとも幅を利かせています。
市場は合理的な判断を常に迫られているから失敗はしないと言いながら、いわゆる大企業があきれるほどの粉飾決済をして吹っ飛んだり(エンロンが吹っ飛んだり、リーマンショックで金融業が吹っ飛んだり)とても市場に任せておけば何でも大丈夫という事が合理的な判断であるとは思えない事が多々あります。
逆に、資本主義というもの、市場原理主義なんていうものは所詮暴走するものと断言して、自由に何かやらせる事こそが間違いの元として出発した共産主義も、政府は常に合理的で不正を働かないという前提そのものが無理がありすぎて、資本主義以上に短命に大失敗であったという事が露呈しています。
これらすべてひっくるめて、人間のやる事なんて常に合理的にいくものではないという新たな前提条件の元で考えていかなければいけない時代になっているとは思います。
さて、本書は不正について、人はどういう条件でどれくらいの不正をするものなのかという研究に関する物になります。
ザックリと結論を出すと、世の中は巨悪がいきなり登場して例外的に不正を働いて、社会をめちゃくちゃにしたという事ではなく、良心的な一般人も機会があれば、細かなちょろまかしをするものであり、そのちょろまかしが積み重なるとどでかいものになり得るというものだと。
もちろん、そのちょろまかしが大勢に影響がないものがほとんどですし、人によって動かせる金額が大きい人によってはちょろまかしの桁が違いすぎたり、感覚が麻痺したりして1人2人のちょろまかしが大勢に影響を与え過ぎるとい結果を招く事があったりはしますが、ベースはそれほど変わらず、狙って社会的な大規模な不正をしているというものでもなかったりすると。
それを元に、どういう条件だと不正をする確率が上下するのかを細かにやった結果、基本的に人は、ずるして得をしたいと思っているのと同時に、自分は正しい行いをしていると評価されたいという気持ちを持っているという相反する物を持っているという、ある意味人間らしい落ち着き先になったりしますが、その結論に至るまでがなかなか楽しめる実験になっていますね。
個人的に面白かったのは、疲れていると合理的な判断力が弱まったり、一度戒めを破るとどうでもいいやという気持ちになりやすいというもの。
ようは、ストイックになりすぎるよりは、適度には目を外す事をした方が大失敗にはなりにくいとか。
パチもの、バッタものという偽物を身にまとうと、不正をするハードルが下がり、不正を働く確率が、正規のブランド物を身にまとっているよりも顕著に上がるという事。
不正を働いている仲間が身近にいると、不正を働くハードルが下がり不正が連鎖していく事などでしょうか。
実験は実験として、地域差や文化的な差異は、あまり認められなかったとしていますが、それはある意味実験のための実験での結果という事を考えると、バッタものだらけの国で、不正をしている人が多い社会では、それだけで不正が波及的にはびこる社会になるっていう事なんじゃないかと、私は勝手に読みとってしまったんですが、こういう推測が当てはまるのかどうかまでは、検証されていません。
それでも、そういう地域で倫理的な社会がはぐくまれているとも思えないので、仮にそういう、具体例が浮かびそうな国や地域に行く場合は、不正がはびこっていて、人間社会としては受け入れがたいものになっている覚悟は持っておかないとダメなんだろうなと、勝手に判断させてもらいました。
行動経済学は経済学とついてはいますが、別にいわゆる経済学の知識がなくとも関係なく、楽しめる読みものになっていますね。
場合によっては、経済心理学という表現の方が、食い付きが良いんじゃないかなぁと思ったりしますね。
序 章 なぜ不正はこんなにおもしろいのか
第1章 シンプルな合理的犯罪モデル(SMORC)を検証する
第2章 つじつま合わせの仮説
第2B章 ゴルフ
第3章 自分の動機で目が曇る
第4章 なぜ疲れているとしくじるのか
第5章 なぜにせものを身につけるとごかましをしたくなるのか
第6章 自分自身を欺く
第7章 創造性と不正 わたしたちはみな物語を語る
第8章 感染症としての不正行為 不正菌に感染するしくみ
第9章 協働しておこなう不正行為 なぜ1人よりみんなの方がずるをしやすいのか
第10章 半・楽観的なエンディング 人はそれほどごまかしをしない!
経済学は、金と直結する学問分野であるがために、悪用されやすいというか、儲け話と直結しているものと誤解されていたり、また、政策決定にも直結しているので、失敗例を積み重ねやすいものであったりもするので、どうにも胡散臭い扱いになりやすいものだったりします。
もちろん、頭から悪用するというか、自分の都合の良い解釈のために使っている人もいますが、自分の理論が正しいと盲信して頭が悪いとしか思えない事を平気で口走っていたりしますね。
インチキ臭い事を言っているなぁと思う人は、確実に儲かるとか、絶対に損はしないというような断言調の事を言っている人は極論しか言っていないと考えれば、まず間違いないだろうと私は断言しておきます!
アメリカ経済を見ていると、いわゆる市場原理主義と言われる、市場でやれる分野は政府が口出しをせず市場に任せておけば上手くいくというものが、何度失敗を繰り返そうとも幅を利かせています。
市場は合理的な判断を常に迫られているから失敗はしないと言いながら、いわゆる大企業があきれるほどの粉飾決済をして吹っ飛んだり(エンロンが吹っ飛んだり、リーマンショックで金融業が吹っ飛んだり)とても市場に任せておけば何でも大丈夫という事が合理的な判断であるとは思えない事が多々あります。
逆に、資本主義というもの、市場原理主義なんていうものは所詮暴走するものと断言して、自由に何かやらせる事こそが間違いの元として出発した共産主義も、政府は常に合理的で不正を働かないという前提そのものが無理がありすぎて、資本主義以上に短命に大失敗であったという事が露呈しています。
これらすべてひっくるめて、人間のやる事なんて常に合理的にいくものではないという新たな前提条件の元で考えていかなければいけない時代になっているとは思います。
さて、本書は不正について、人はどういう条件でどれくらいの不正をするものなのかという研究に関する物になります。
ザックリと結論を出すと、世の中は巨悪がいきなり登場して例外的に不正を働いて、社会をめちゃくちゃにしたという事ではなく、良心的な一般人も機会があれば、細かなちょろまかしをするものであり、そのちょろまかしが積み重なるとどでかいものになり得るというものだと。
もちろん、そのちょろまかしが大勢に影響がないものがほとんどですし、人によって動かせる金額が大きい人によってはちょろまかしの桁が違いすぎたり、感覚が麻痺したりして1人2人のちょろまかしが大勢に影響を与え過ぎるとい結果を招く事があったりはしますが、ベースはそれほど変わらず、狙って社会的な大規模な不正をしているというものでもなかったりすると。
それを元に、どういう条件だと不正をする確率が上下するのかを細かにやった結果、基本的に人は、ずるして得をしたいと思っているのと同時に、自分は正しい行いをしていると評価されたいという気持ちを持っているという相反する物を持っているという、ある意味人間らしい落ち着き先になったりしますが、その結論に至るまでがなかなか楽しめる実験になっていますね。
個人的に面白かったのは、疲れていると合理的な判断力が弱まったり、一度戒めを破るとどうでもいいやという気持ちになりやすいというもの。
ようは、ストイックになりすぎるよりは、適度には目を外す事をした方が大失敗にはなりにくいとか。
パチもの、バッタものという偽物を身にまとうと、不正をするハードルが下がり、不正を働く確率が、正規のブランド物を身にまとっているよりも顕著に上がるという事。
不正を働いている仲間が身近にいると、不正を働くハードルが下がり不正が連鎖していく事などでしょうか。
実験は実験として、地域差や文化的な差異は、あまり認められなかったとしていますが、それはある意味実験のための実験での結果という事を考えると、バッタものだらけの国で、不正をしている人が多い社会では、それだけで不正が波及的にはびこる社会になるっていう事なんじゃないかと、私は勝手に読みとってしまったんですが、こういう推測が当てはまるのかどうかまでは、検証されていません。
それでも、そういう地域で倫理的な社会がはぐくまれているとも思えないので、仮にそういう、具体例が浮かびそうな国や地域に行く場合は、不正がはびこっていて、人間社会としては受け入れがたいものになっている覚悟は持っておかないとダメなんだろうなと、勝手に判断させてもらいました。
行動経済学は経済学とついてはいますが、別にいわゆる経済学の知識がなくとも関係なく、楽しめる読みものになっていますね。
場合によっては、経済心理学という表現の方が、食い付きが良いんじゃないかなぁと思ったりしますね。
序 章 なぜ不正はこんなにおもしろいのか
第1章 シンプルな合理的犯罪モデル(SMORC)を検証する
第2章 つじつま合わせの仮説
第2B章 ゴルフ
第3章 自分の動機で目が曇る
第4章 なぜ疲れているとしくじるのか
第5章 なぜにせものを身につけるとごかましをしたくなるのか
第6章 自分自身を欺く
第7章 創造性と不正 わたしたちはみな物語を語る
第8章 感染症としての不正行為 不正菌に感染するしくみ
第9章 協働しておこなう不正行為 なぜ1人よりみんなの方がずるをしやすいのか
第10章 半・楽観的なエンディング 人はそれほどごまかしをしない!
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