今日の読書 どん底/ゴーリキイ
どうも、去年くらいから、ゴーリキーゴリ押しというものをよく目にするようになり、それは今現在でも続いている気がしますが、ゴリ押しゴリ押しと批判的に騒がれながらも続いているという事は、それだけいろいろと賭けている人がいるんだろうと言う事で、そこまで押すからには、ゴリ押しと言う事だけで避けるというのもよろしくないのではないかと、ある程度自分で判断して空疎なゴリ押しなのか、押されるだけのものなのか判断するのも悪くは無いのではないかという事で、手を出してみましたが、そんなに今の日本ってロシア文学が流行っていましたっけ?
ゴーリキーの名前だけは一応ロシアの文学者という事で知ってはいましたが、どういった背景があるのかとかは全く知らないまま、とりあえずタイトルに惹かれた本書を読んだのですが、戯曲だったんですね。
18世紀後半あたりの、いわゆるメジャーなロシア文学が勃興している頃の作品であり、戯曲というのも取り立てて珍しいわけではないのですが、私は戯曲になれていませんし、それこそロシア文学ですとチェーホフの戯曲は読んだ事があったのですが、改めて読みなれないなぁとは思いましたね。
本作は、タイトル通りに人生でどん底の人達が、どん底な地下室で、どん底さ具合を嘆き、愚痴をぶつけあい、諦めを自嘲するというような、陰気なものにも関わらず、どこか開き直りというか、やけっぱちの陽気さを内包するという、いかにもロシア文学っぽいかもしれないなぁと思えるものになっていますね。
ストーリーというストーリーはそれほど無いんですが、舞台で演じる事を前提に書かれている戯曲だけに、セリフがいかにも舞台っぽいよなぁって思えるテンションだったりするので、読んでいてとりあえず、いかにも舞台セリフっぽい大袈裟な感じにやりやすく書かれているというか翻訳されているとか、そういう楽しさは感じますね。
まぁ、読みなれていない戯曲というスタイルの中では、キャラがはっきりしているので読みやすいとは思いますが、これがゴリ押しされるほどかと言えば、それほどでは無いんじゃないかと思わざるを得ないですねぇ。
ゴーリキーの名前だけは一応ロシアの文学者という事で知ってはいましたが、どういった背景があるのかとかは全く知らないまま、とりあえずタイトルに惹かれた本書を読んだのですが、戯曲だったんですね。
18世紀後半あたりの、いわゆるメジャーなロシア文学が勃興している頃の作品であり、戯曲というのも取り立てて珍しいわけではないのですが、私は戯曲になれていませんし、それこそロシア文学ですとチェーホフの戯曲は読んだ事があったのですが、改めて読みなれないなぁとは思いましたね。
本作は、タイトル通りに人生でどん底の人達が、どん底な地下室で、どん底さ具合を嘆き、愚痴をぶつけあい、諦めを自嘲するというような、陰気なものにも関わらず、どこか開き直りというか、やけっぱちの陽気さを内包するという、いかにもロシア文学っぽいかもしれないなぁと思えるものになっていますね。
ストーリーというストーリーはそれほど無いんですが、舞台で演じる事を前提に書かれている戯曲だけに、セリフがいかにも舞台っぽいよなぁって思えるテンションだったりするので、読んでいてとりあえず、いかにも舞台セリフっぽい大袈裟な感じにやりやすく書かれているというか翻訳されているとか、そういう楽しさは感じますね。
まぁ、読みなれていない戯曲というスタイルの中では、キャラがはっきりしているので読みやすいとは思いますが、これがゴリ押しされるほどかと言えば、それほどでは無いんじゃないかと思わざるを得ないですねぇ。
![]() | どん底 (岩波文庫) (1961/01) ゴーリキイ 商品詳細を見る |