今日の読書 天皇になろうとした将軍/井沢元彦
日本の天皇制というのは世界的に見て奇妙なというと言葉が悪いですが、とかく変わっている制度であると思います。
いわゆる絶対権力者と言う形の王政国家であるのならば、天皇制はそれこそ古代に終焉していてもおかしくはない、少なくとも平安時代の実権は藤原氏になっていますし、それ以降も鎌倉幕府など実際に政治を動かしているわけではないわけで、それならば存在自体がなくなっていてもおかしくは無いというか、他の国であれば実権を失った王家というのはそのまま滅ぼされておしまいというのが普通になります。
天皇家は単なる権力者ではなく、神道という宗教的な存在としてのトップだという考え方も同時に出来ると思います。
だからこそ、宗教のトップとして生きながらえていても別段おかしくは無い。
そういう考え方も一応の納得が出来るものではあると思います。
古事記や日本書紀に天皇家の正当性を語るのに、神の家系であるという事にしているわけでもありますし、日本と言う国の国教のトップだから存続させていて、万世一系というところに正当性があるという事で、侵してはならずる領域というのも、まぁ分かる気はします。
しかし、実際問題、天皇家を好きか嫌いか、絶対的に信奉すべきか絶対的に忌避すべきか個人の感情は横においておいて、個人的には何が一番面白い存在かというと、やはり存続しつづけている事そのものなのではないかと。
宗教として片付けるにはあまりにも政治に密接に関わってきていますし、政治に密接に関わって来ているにしてはあまりにも、実権がない時期の方が長いというか、場合によってはないがしろにしまくられている時期がありすぎるという、これはやっぱり日本らしさというか、ガラパゴス的なものなんでしょうねと。
で、外国のいわゆる王政ならば、王家が変わるというのは当たり前ですし、日本でも実権を握る勢力が変更されるのはあったわけですが、この実権を握った者が天皇になりたいと思う事があってもおかしくはないとは思うのですが、そういった実例は少なく、自分の血筋を天皇家に入れる藤原家のような事はすでにやっていても、自ら天皇になろうとした例が希少であり、その1人が足利義満というのは頭の片隅にありました。
というよりも、それこそ井沢元彦の著書を読んで行くうちにどんどん刷り込まれていて、この例については本書である、『天皇になろうとした将軍』に記したという文章が何度も何度も目に入ってきていたりしたので、一度は読んでおこうという事で手を出しました。
元々は、別の雑誌に寄稿した「天皇になろうとした将軍 足利義満」と「祖父・尊氏の秘密を解く 足利尊氏」を一冊にまとめたものになるわけですが、先に義満あとに尊氏と時系列では逆に配置されているのは、少し面白い趣向かもしれないですね。
基本的には、一連の井沢元彦の著書に流れるものというか、歴史を今の価値観で観ないで当時の人の価値観に照らすようにしてみるということ、歴史書にストレートに物事を記せないようなヤバイ事は暗喩的に記されたり、それこそ完全に消されてしまっている。
そして、宗教的影響力が今よりも果てしなく強い事を意識するという事ですね。
義満に関しては死後の扱いが怨霊信仰によるものであるとの考えや、南北朝の争乱は後醍醐天皇の朱子学の強すぎる影響力が招いた側面がありすぎるという事ですね。
逆説の日本史でもそうですが、井沢元彦は朱子学の悪影響については、力点を置きまくっているなぁと思いますが、朱子学が極端なまでの善悪二元論に行きつくという事から、マルクス主義との相似性を指摘していますが、私もその指摘が書かれる前から露骨にマルクス主義、またはそれに影響されたいわゆる左翼的な革新思想に近いなと思っていたので、いつの時代も極端な善悪二元論がいかに面倒なものかというのを意識しないといけないなと思わされますね。
本当に善悪二元論でしか物事を考えられず、また自分は絶対的に善と言う立場で、自分の事を棚上げにして、その棚上げした事を突っ込まれるとただただ逆切れしかできない人間が政治に首を突っ込もうとすると、どれだけ迷惑なことか。
そういった政治家に心当たりがあるような人は、そういう勢力には絶対に投票して欲しくは無いんですが、それは別の話。
南北朝時代や室町時代というのは、戦前と戦後で扱いが一気に変わった時代と言う事もあり、どうにも分かりにくく、また戦国時代のようにあまたの歴史小説に溢れているというものでもなく、私はなかなか手を出しきっていないのですが、やっぱり歴史というのは繋がりがあるわけで、偏った時代ばかりに手を出すのはいけない事だよなぁと再認識はするものの、やっぱり南北朝のような天皇家が2つに分かれてという時代については、いろいろとタブーがありますよねぇって。
第1話 天のになろうとした将軍 足利義満
第1章 なぜ戦乱記を「太平」記と呼ぶのか
第2章 後醍醐天皇の「遺言」に秘められた事
第3章 悲劇の南朝から見えてくるもの
第4章 足利義満は「天皇」になろうとした
第5章 「世阿弥」は「南朝」のスパイだった!?
第6章 「北朝の黒幕」義満と世阿弥との意外な関係
第7章 「天河」の能面が語る世阿弥一族の悲劇
第8章 金閣寺に塗り込められた足利義満の「野心」
第9章 そして足利義満は「天皇」を超えた!?
第10章 足利義満「急死」の謎に挑む
第11章 朝廷は義満に「太上天皇」の尊号を贈ろうとした
第12章 義満暗殺の「実行犯」と「大文字焼き」の秘密
第2話 祖父・尊氏の秘密を解く 足利尊氏
第1章 悪を背負った室町幕府初代将軍
第2章 足利家に伝わる置文の謎
第3章 勇敢で慈悲深く無欲な男
第4章 討幕前の1人の功労者
第5章 同床異夢が成し遂げた討幕
第6章 宿敵の二人、鎌倉を討つ
第7章 二度目の「裏切り」を導いたもの
第8章 反逆者、帝の命に逆らわず
第9章 「朝敵」尊氏、髪の元結を落とす
第10章 大敗北から奇蹟を起こす
第11章 「嘘」により、和議まとまる
第12章 誤解されていた“やさしい男"
いわゆる絶対権力者と言う形の王政国家であるのならば、天皇制はそれこそ古代に終焉していてもおかしくはない、少なくとも平安時代の実権は藤原氏になっていますし、それ以降も鎌倉幕府など実際に政治を動かしているわけではないわけで、それならば存在自体がなくなっていてもおかしくは無いというか、他の国であれば実権を失った王家というのはそのまま滅ぼされておしまいというのが普通になります。
天皇家は単なる権力者ではなく、神道という宗教的な存在としてのトップだという考え方も同時に出来ると思います。
だからこそ、宗教のトップとして生きながらえていても別段おかしくは無い。
そういう考え方も一応の納得が出来るものではあると思います。
古事記や日本書紀に天皇家の正当性を語るのに、神の家系であるという事にしているわけでもありますし、日本と言う国の国教のトップだから存続させていて、万世一系というところに正当性があるという事で、侵してはならずる領域というのも、まぁ分かる気はします。
しかし、実際問題、天皇家を好きか嫌いか、絶対的に信奉すべきか絶対的に忌避すべきか個人の感情は横においておいて、個人的には何が一番面白い存在かというと、やはり存続しつづけている事そのものなのではないかと。
宗教として片付けるにはあまりにも政治に密接に関わってきていますし、政治に密接に関わって来ているにしてはあまりにも、実権がない時期の方が長いというか、場合によってはないがしろにしまくられている時期がありすぎるという、これはやっぱり日本らしさというか、ガラパゴス的なものなんでしょうねと。
で、外国のいわゆる王政ならば、王家が変わるというのは当たり前ですし、日本でも実権を握る勢力が変更されるのはあったわけですが、この実権を握った者が天皇になりたいと思う事があってもおかしくはないとは思うのですが、そういった実例は少なく、自分の血筋を天皇家に入れる藤原家のような事はすでにやっていても、自ら天皇になろうとした例が希少であり、その1人が足利義満というのは頭の片隅にありました。
というよりも、それこそ井沢元彦の著書を読んで行くうちにどんどん刷り込まれていて、この例については本書である、『天皇になろうとした将軍』に記したという文章が何度も何度も目に入ってきていたりしたので、一度は読んでおこうという事で手を出しました。
元々は、別の雑誌に寄稿した「天皇になろうとした将軍 足利義満」と「祖父・尊氏の秘密を解く 足利尊氏」を一冊にまとめたものになるわけですが、先に義満あとに尊氏と時系列では逆に配置されているのは、少し面白い趣向かもしれないですね。
基本的には、一連の井沢元彦の著書に流れるものというか、歴史を今の価値観で観ないで当時の人の価値観に照らすようにしてみるということ、歴史書にストレートに物事を記せないようなヤバイ事は暗喩的に記されたり、それこそ完全に消されてしまっている。
そして、宗教的影響力が今よりも果てしなく強い事を意識するという事ですね。
義満に関しては死後の扱いが怨霊信仰によるものであるとの考えや、南北朝の争乱は後醍醐天皇の朱子学の強すぎる影響力が招いた側面がありすぎるという事ですね。
逆説の日本史でもそうですが、井沢元彦は朱子学の悪影響については、力点を置きまくっているなぁと思いますが、朱子学が極端なまでの善悪二元論に行きつくという事から、マルクス主義との相似性を指摘していますが、私もその指摘が書かれる前から露骨にマルクス主義、またはそれに影響されたいわゆる左翼的な革新思想に近いなと思っていたので、いつの時代も極端な善悪二元論がいかに面倒なものかというのを意識しないといけないなと思わされますね。
本当に善悪二元論でしか物事を考えられず、また自分は絶対的に善と言う立場で、自分の事を棚上げにして、その棚上げした事を突っ込まれるとただただ逆切れしかできない人間が政治に首を突っ込もうとすると、どれだけ迷惑なことか。
そういった政治家に心当たりがあるような人は、そういう勢力には絶対に投票して欲しくは無いんですが、それは別の話。
南北朝時代や室町時代というのは、戦前と戦後で扱いが一気に変わった時代と言う事もあり、どうにも分かりにくく、また戦国時代のようにあまたの歴史小説に溢れているというものでもなく、私はなかなか手を出しきっていないのですが、やっぱり歴史というのは繋がりがあるわけで、偏った時代ばかりに手を出すのはいけない事だよなぁと再認識はするものの、やっぱり南北朝のような天皇家が2つに分かれてという時代については、いろいろとタブーがありますよねぇって。
第1話 天のになろうとした将軍 足利義満
第1章 なぜ戦乱記を「太平」記と呼ぶのか
第2章 後醍醐天皇の「遺言」に秘められた事
第3章 悲劇の南朝から見えてくるもの
第4章 足利義満は「天皇」になろうとした
第5章 「世阿弥」は「南朝」のスパイだった!?
第6章 「北朝の黒幕」義満と世阿弥との意外な関係
第7章 「天河」の能面が語る世阿弥一族の悲劇
第8章 金閣寺に塗り込められた足利義満の「野心」
第9章 そして足利義満は「天皇」を超えた!?
第10章 足利義満「急死」の謎に挑む
第11章 朝廷は義満に「太上天皇」の尊号を贈ろうとした
第12章 義満暗殺の「実行犯」と「大文字焼き」の秘密
第2話 祖父・尊氏の秘密を解く 足利尊氏
第1章 悪を背負った室町幕府初代将軍
第2章 足利家に伝わる置文の謎
第3章 勇敢で慈悲深く無欲な男
第4章 討幕前の1人の功労者
第5章 同床異夢が成し遂げた討幕
第6章 宿敵の二人、鎌倉を討つ
第7章 二度目の「裏切り」を導いたもの
第8章 反逆者、帝の命に逆らわず
第9章 「朝敵」尊氏、髪の元結を落とす
第10章 大敗北から奇蹟を起こす
第11章 「嘘」により、和議まとまる
第12章 誤解されていた“やさしい男"