今日の読書 私に似た人/貫井徳郎
貫井徳郎に外れ無しというくらいに、私は信用している作家ですが、今作もその気持を強める作品になっていますね。
一見すると無差別殺人と思われる事件、しかし無差別殺人を行う理由が、日本社会への抗議、復讐といった意味合いを持つというテロ行動、しかし、一般的なテロとは違い組織的な犯行ではなく、それぞれのテロの間には直接的な関係は無く、それ故に小口テロと呼ばれるものであったと。
そういった小口テロが日常化した日本において、そのテロに何がしかの関わりを持つ10人が主人公となった短編小説が結果として1つの物語となってという構造のお話になります。
現在の日本は、世代間格差などのように個人の資質とは関係なく結果だけが否応なく押し付けられる不平等が顕在化し、貧しいものは個人の努力では絶対に越えられない壁が存在し、それに対し社会が悪いと言う事がそれほど的外れではない状況。
全体的に余裕を失い非寛容になっているのは、寛容になればそれでどうとなると言う所を越えていたり、また、社会が悪いという批判をするものもまた、単に声が大きいだけで悪い社会に対して批判するポイントがずれいたり、別の意味で非寛容というか、単純な善悪二元論に陥ってしまったりしている事も多かったり。
テロ行為そのもは許されるものではない、また小口テロが無差別殺人をしているという事で、襲うならば当事者を狙えという、ある意味真っ当な批判がありながらも、無差別殺人の大量出現こそが、社会を変化させるという理屈に行きつくのも全面的に賛成できるものではないが、全否定まではできず、一定の意味あいも分かるという何とも言えない状況。
こういうものを上手く包含して立場の違う主人公を作った事によって、それぞれの立場によって見え方も変わるという物語にするというあたり、さすが貫井徳郎だなぁと。
単純な善悪二元論に持ち込めない、勧悪懲悪といえるようなネタは今までにもすでに使われていますし、日本の社会が悪いという時の悪い社会構造、他人への無関心と、その無関心によって救われてもおかしくなかった命が失われるというパターンも、前例がいくつもあるようなテーマも、光の当て方を変えまくって一冊にまとめるというあたりが、本当に楽しめました。
一見すると無差別殺人と思われる事件、しかし無差別殺人を行う理由が、日本社会への抗議、復讐といった意味合いを持つというテロ行動、しかし、一般的なテロとは違い組織的な犯行ではなく、それぞれのテロの間には直接的な関係は無く、それ故に小口テロと呼ばれるものであったと。
そういった小口テロが日常化した日本において、そのテロに何がしかの関わりを持つ10人が主人公となった短編小説が結果として1つの物語となってという構造のお話になります。
現在の日本は、世代間格差などのように個人の資質とは関係なく結果だけが否応なく押し付けられる不平等が顕在化し、貧しいものは個人の努力では絶対に越えられない壁が存在し、それに対し社会が悪いと言う事がそれほど的外れではない状況。
全体的に余裕を失い非寛容になっているのは、寛容になればそれでどうとなると言う所を越えていたり、また、社会が悪いという批判をするものもまた、単に声が大きいだけで悪い社会に対して批判するポイントがずれいたり、別の意味で非寛容というか、単純な善悪二元論に陥ってしまったりしている事も多かったり。
テロ行為そのもは許されるものではない、また小口テロが無差別殺人をしているという事で、襲うならば当事者を狙えという、ある意味真っ当な批判がありながらも、無差別殺人の大量出現こそが、社会を変化させるという理屈に行きつくのも全面的に賛成できるものではないが、全否定まではできず、一定の意味あいも分かるという何とも言えない状況。
こういうものを上手く包含して立場の違う主人公を作った事によって、それぞれの立場によって見え方も変わるという物語にするというあたり、さすが貫井徳郎だなぁと。
単純な善悪二元論に持ち込めない、勧悪懲悪といえるようなネタは今までにもすでに使われていますし、日本の社会が悪いという時の悪い社会構造、他人への無関心と、その無関心によって救われてもおかしくなかった命が失われるというパターンも、前例がいくつもあるようなテーマも、光の当て方を変えまくって一冊にまとめるというあたりが、本当に楽しめました。
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