今日の読書 怨霊とは何か 菅原道真・平将門・崇徳院/山田雄司
高田崇史や井沢元彦の本を読んでいると、かなり頻繁に目にする怨霊という存在。
祟りであるとか、呪いというのは言葉や概念は微妙に違ったとしても洋の東西問わずに何かしらあるのではないかと思いますが、そういった怨霊を鎮めるために祭あげて神にしてしまうというのは、恐らく日本独自の概念になるのではないかと思います。
宗教的な概念というのは、今の日本では希薄になって行っていると思いますが、土着文化と宗教的思想というのは基本的には不可分であり、普段強く意識していなくても、そういった土着文化や習慣、思考傾向は絶対に影響を受けていると思います。
怨霊を理解するという事は、日本人の綿々と無意識に受け継がれている死生観について理解するには良い題材なのではないかと思い、手に取ってみました。
怨霊信仰の面白さは、悪人扱いされて死んだ人が、その怨みを晴らすために祟りを起こしたという事であって、普通の感覚であれば力づくで封印ようのうな押さえつける方向に向かうのではないか、封印どころか悪魔払いのような扱いになるのではないかと思うのですが、鎮めた後に神様扱いする、生前よりもむしろ良い扱いにするという方向に向けるというのは、不思議ですし今の日本人でも理解しにくいのに、これが日本以外の文化圏からすると余計に意味不明であり、自分たちの価値観によって邪悪扱いしかねないと思えるくらいですね。
という事で、本書は三代怨霊として菅原道真・平将門・崇徳院をメインに扱って、それぞれどういった経緯で怨霊扱いされるようになったのか生前から死後を扱い、さらに怨霊扱いが広まった経緯、それこそ物語に組み込まれてイメージが強まったなどという個別事例と、そもそも怨霊とは何かを軸に、怨霊とそれ以外の霊との扱いの違い、そして土着宗教としての日本人の死生観について解説しています。
言われるとそうなんですが、思いこみで気付かなかったのは、当時怨霊を鎮める部門は仏教であったという事。
それこそ、日本各地に国分寺を建立したり、大仏を作ったりという国家鎮護という事をして来ていたので、怨霊を鎮めるのが仏教の役割である事に不自然な事は何もないのですが、怨霊は神社に祭られているというのがあるので、神道の役割だと思いこんでいたのですよね。
日本の場合神仏習合があるので、両方関わっている事の方が自然なのかもしれないですが。
そして、これは絶対に日本の基本的な考え方の違いとして、宗教弾圧的に利用されているなぁと改めて思うのは、怨親平等思想。
敵も味方も死んでしまえば平等に弔うというもの、怨む相手であろうとも死んでしまえば一緒と敵味方問わずに平等というのが仏教の概念からも定着していたわけですが、本気で仏教伝来の通り道になっていた国では、現在定着していない概念になっていますし、中途半端に仏教を分かっているから、また違う概念の神道を政治利用して問題視してきたりと、本気で面倒になっているなぁと。
日本人も無自覚の宗教観や土着文化によるものですので、外部に説明出来なくなっているというのも問題なんでしょうねぇ。
怨霊は今でも何となく残っている概念ですし、それこそ将門に関しては神田明神はじめ近代でもいじると大変な事が起きているので怨霊だけをまとめているというのも分かりやすくて、面白く読む事は出来ましたね。
第1章 霊魂とは何か
1.身体と霊魂
2.魂の行方
第2章 怨霊の誕生
1.国家による慰霊
2.民衆による慰霊
第3章 善神へ変化した菅原道真
1.才能豊かな道真
2.怨霊化する道真
3.信仰の変容
第4章 関東で猛威をふるう平将門
1.武威を誇った将門
2.将門の伝説化
3.恐怖の拡大
第5章 日本史上最大の怨霊・崇徳院
1.史実の崇徳院
2.怨霊の虚実
3.江戸時代の崇徳院怨霊
第6章 怨霊から霊魂文化へ
1.中世の怨霊
2.怨親平等の思想
祟りであるとか、呪いというのは言葉や概念は微妙に違ったとしても洋の東西問わずに何かしらあるのではないかと思いますが、そういった怨霊を鎮めるために祭あげて神にしてしまうというのは、恐らく日本独自の概念になるのではないかと思います。
宗教的な概念というのは、今の日本では希薄になって行っていると思いますが、土着文化と宗教的思想というのは基本的には不可分であり、普段強く意識していなくても、そういった土着文化や習慣、思考傾向は絶対に影響を受けていると思います。
怨霊を理解するという事は、日本人の綿々と無意識に受け継がれている死生観について理解するには良い題材なのではないかと思い、手に取ってみました。
怨霊信仰の面白さは、悪人扱いされて死んだ人が、その怨みを晴らすために祟りを起こしたという事であって、普通の感覚であれば力づくで封印ようのうな押さえつける方向に向かうのではないか、封印どころか悪魔払いのような扱いになるのではないかと思うのですが、鎮めた後に神様扱いする、生前よりもむしろ良い扱いにするという方向に向けるというのは、不思議ですし今の日本人でも理解しにくいのに、これが日本以外の文化圏からすると余計に意味不明であり、自分たちの価値観によって邪悪扱いしかねないと思えるくらいですね。
という事で、本書は三代怨霊として菅原道真・平将門・崇徳院をメインに扱って、それぞれどういった経緯で怨霊扱いされるようになったのか生前から死後を扱い、さらに怨霊扱いが広まった経緯、それこそ物語に組み込まれてイメージが強まったなどという個別事例と、そもそも怨霊とは何かを軸に、怨霊とそれ以外の霊との扱いの違い、そして土着宗教としての日本人の死生観について解説しています。
言われるとそうなんですが、思いこみで気付かなかったのは、当時怨霊を鎮める部門は仏教であったという事。
それこそ、日本各地に国分寺を建立したり、大仏を作ったりという国家鎮護という事をして来ていたので、怨霊を鎮めるのが仏教の役割である事に不自然な事は何もないのですが、怨霊は神社に祭られているというのがあるので、神道の役割だと思いこんでいたのですよね。
日本の場合神仏習合があるので、両方関わっている事の方が自然なのかもしれないですが。
そして、これは絶対に日本の基本的な考え方の違いとして、宗教弾圧的に利用されているなぁと改めて思うのは、怨親平等思想。
敵も味方も死んでしまえば平等に弔うというもの、怨む相手であろうとも死んでしまえば一緒と敵味方問わずに平等というのが仏教の概念からも定着していたわけですが、本気で仏教伝来の通り道になっていた国では、現在定着していない概念になっていますし、中途半端に仏教を分かっているから、また違う概念の神道を政治利用して問題視してきたりと、本気で面倒になっているなぁと。
日本人も無自覚の宗教観や土着文化によるものですので、外部に説明出来なくなっているというのも問題なんでしょうねぇ。
怨霊は今でも何となく残っている概念ですし、それこそ将門に関しては神田明神はじめ近代でもいじると大変な事が起きているので怨霊だけをまとめているというのも分かりやすくて、面白く読む事は出来ましたね。
第1章 霊魂とは何か
1.身体と霊魂
2.魂の行方
第2章 怨霊の誕生
1.国家による慰霊
2.民衆による慰霊
第3章 善神へ変化した菅原道真
1.才能豊かな道真
2.怨霊化する道真
3.信仰の変容
第4章 関東で猛威をふるう平将門
1.武威を誇った将門
2.将門の伝説化
3.恐怖の拡大
第5章 日本史上最大の怨霊・崇徳院
1.史実の崇徳院
2.怨霊の虚実
3.江戸時代の崇徳院怨霊
第6章 怨霊から霊魂文化へ
1.中世の怨霊
2.怨親平等の思想
![]() | 怨霊とは何か - 菅原道真・平将門・崇徳院 (中公新書) (2014/08/22) 山田 雄司 商品詳細を見る |