今日の読書 ナオミとカナコ/奥田英朗
本来希望していた仕事ではなく、デパートの外商部で働きトラブルにも巻き込まれたりストレスにさらされている直美と高学歴で見栄えも良い銀行員という人には羨ましがられそうな夫でありながら、実は酷いDVに身の危険をさらしている専業主婦の加奈子。
大学時代からの親友の2人が現実の泥沼から逃れようと犯罪計画を実行する事になり、共犯関係となった2人は現実の泥沼から逃れる事が出来るのかというお話になります。
誰しも、実際に実行するかどうかは別として現実逃避したいと思った時に、その現実逃避のために犯罪行為であったり、実際に法に触れないとしても常識外れの行動をするという妄想する事はあると思います。
実際に行動にまで移さないのは、行動に移した事で被るデメリットがあるわけで、それが犯罪であれば逮捕される危険性であったり、本当に現実逃避であるのならば、逃避した一瞬のために人生を完全に棒に振ってしまう危険性を回避するという事が頭をよぎるからであり、それを振り切ってまで行動するほど実は追いつめられていないかもしれないという事だと思います。
自分だけの問題ではなく、家族などに迷惑が行くというのも十分にストッパーになるでしょうし。
そこまで追い詰められていて、それでいて実際に行動に移しても何とかなりそうな条件が後押ししてきたらどうなるか?このお話では、そこまで追い詰められているし、まるで実行に移すために後押ししてくれる条件がどんどん舞い込んできます。
そして・・・どうなるかというものなのですが、犯罪に手を染めるまで、そして手を染めてからの展開が一転二転とごろごろと転がりまくりますし、読んでいて引き込まれると同時に一緒になって変に緊張させられるサスペンスに仕上がっています。
想定以上に上手く行く事と想定外のところから危機が訪れる事、このバランスとテンポが凄いですし、想定外の事がどんどん押し迫ってくるあたり、現代社会っていろいろと張り巡らされているよねと思わずにはいられないです。
そして、登場人物に華僑が出てくるのですが、本当に日本人と行動や思考原理が真逆と言ってもいい形で描かれています。
私は正直付き合うのは面倒だとしか思わないですが、徹底した利己主義というか、まず信頼ありきで成り立っている日本と、信頼なしで成り立っている所から動いている中国という対比、どちらが良いか悪いかであるとか、どちらが好きか嫌いかは別として出発点が違うという所の面白さはありますね、まぁ世界的に見ては日本的なやり方っていうのは感覚として難しいだろうなぁというので、誤解も受けやすいし、増長して居丈高に扱おうとするのが出てくるのも理解できるというというものですね。
大学時代からの親友の2人が現実の泥沼から逃れようと犯罪計画を実行する事になり、共犯関係となった2人は現実の泥沼から逃れる事が出来るのかというお話になります。
誰しも、実際に実行するかどうかは別として現実逃避したいと思った時に、その現実逃避のために犯罪行為であったり、実際に法に触れないとしても常識外れの行動をするという妄想する事はあると思います。
実際に行動にまで移さないのは、行動に移した事で被るデメリットがあるわけで、それが犯罪であれば逮捕される危険性であったり、本当に現実逃避であるのならば、逃避した一瞬のために人生を完全に棒に振ってしまう危険性を回避するという事が頭をよぎるからであり、それを振り切ってまで行動するほど実は追いつめられていないかもしれないという事だと思います。
自分だけの問題ではなく、家族などに迷惑が行くというのも十分にストッパーになるでしょうし。
そこまで追い詰められていて、それでいて実際に行動に移しても何とかなりそうな条件が後押ししてきたらどうなるか?このお話では、そこまで追い詰められているし、まるで実行に移すために後押ししてくれる条件がどんどん舞い込んできます。
そして・・・どうなるかというものなのですが、犯罪に手を染めるまで、そして手を染めてからの展開が一転二転とごろごろと転がりまくりますし、読んでいて引き込まれると同時に一緒になって変に緊張させられるサスペンスに仕上がっています。
想定以上に上手く行く事と想定外のところから危機が訪れる事、このバランスとテンポが凄いですし、想定外の事がどんどん押し迫ってくるあたり、現代社会っていろいろと張り巡らされているよねと思わずにはいられないです。
そして、登場人物に華僑が出てくるのですが、本当に日本人と行動や思考原理が真逆と言ってもいい形で描かれています。
私は正直付き合うのは面倒だとしか思わないですが、徹底した利己主義というか、まず信頼ありきで成り立っている日本と、信頼なしで成り立っている所から動いている中国という対比、どちらが良いか悪いかであるとか、どちらが好きか嫌いかは別として出発点が違うという所の面白さはありますね、まぁ世界的に見ては日本的なやり方っていうのは感覚として難しいだろうなぁというので、誤解も受けやすいし、増長して居丈高に扱おうとするのが出てくるのも理解できるというというものですね。