今日の読書 反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体/森本あんり
反知性主義とは、その字面だけ見るとバカ万歳!みたいな状況を思い描いてしまい、本のタイトルだけ見て、今のアメリカはバカばっかりなんて事を書いているのではないかと勘違いしてしまいそうになりますし、私もそういう現代のアメリカはバカが大手をふるっておかしくなっているというような分析本なのかと思ったりしましたが、そういうのを読みたくて手にすると全く別物なので戸惑ってしまうものになります。
現代のアメリカについてのものではなく、アメリカという実験国家というか、宗教国家の成り立ちから考えるアメリカの宗教思想史、建国から20世紀初頭までを扱ったものになります。
こういったバックボーンからアメリカという近代以降しか伝統が無い(現地人の歴史が現代のバックボーンに全く生かされずにリセットされて作られた)国の、近代以降から突然作られて形成された伝統を知るには大いに参考にはなるものの、移民が増えてしまっている現状、アメリカの伝統的価値観って成り立っていないんじゃないかという疑問と、今後どういう風に動いて行くのかについては、実は参考にできずにアメリカ人自身も分からなくなりそうだなというあたりの疑問を残すというか、個人的には現在から将来のアメリカが反知性主義とどう向き合うのか、どう転がっていくのかが気になるという意味では、ちょっと興味の方向とは別物の事がまとめられている本だったなというのが正直なところですし、キリスト教という私には理解しがたい文化についての事ですので、読んでどれだけ理解出来たかというと、かなり大雑把にしか理解出来ていない感じですね。
反知性主義というのは、簡単にまとめると神については考えるな感じろという事ですね。
伝統的なキリスト教が知性のあるものが聖書を通じて神の言葉を教えるというのから、そのまま聖職者の利権構造へと流れていくのに対し、とりあえず聖書がすべてだから、そう考えれば神にとって信者は平等、知性があろうが無かろうが関係ないというピューリタン思想が、旧来の利権構造のないアメリカで独自進化していったのが軸になります。
ここら辺の構造は日本の鎌倉仏教に近いという意味では近いですね、坊主を間に通さず、とりあえず南無阿弥陀仏と唱えておけばいいという念仏至上主義とか、南無妙法蓮華経とお題目を唱え解けというような事を知っていると、多少理解はしやすいかなと。
そう言うのをひっくるめて、ヨーロッパを旧態依然としたものに対し、アメリカは新しく、更に自主独立性を保ったものとして宗教の国家権力化は望まないし、国家権力が何でもかんでもやるような大きい政府というものは阻止し、自然と調和し頭で考えすぎずにやっていく事がアメリカの理想だというようなものになっていくと。
大学に行かずに、独自の才能だけでいろいろと切り開く事が出来た時代ならではの価値観、日本でもよく大学出たって使えない奴は使えないし、高卒で働いている奴の方が上みたいな話になったりしますが、それに近い感覚、反エリート主義こそが正義みたいな感じですね。
それに宗教的な教えがあり、宗教布教があり、アメリカンドリームもあったというもので、アメリカが伝統に縛られない若い国家だったからこそ生まれ育ったという感じですね。
保守と革新という立場がありますが、アメリカの場合アメリカという国家を作った事そのものがヨーロッパという守旧派保守派に対する革新であったわけですが、永遠の革新というのはあり得ないものであり、かつて革新的であったものが現在は保守的になっていてというねじれについて、どうこうする前に終わってしまっているのは、私はここからがむしろ興味があるになってしまうので、ちょっと残念ですね。
革新的なアメリカという伝統の始まりから終わりという歴史上の出来事としては20世紀初頭までが区切りなんだなと理解する事にします。
第1章 ハーバート大学 反知性主義の前提
1 極端な知性主義
2 ピューリタンの生活ぶり
第2章 信仰復興運動 反知性主義の原点
1 宗教的熱狂の伝統
2 「神の行商人」
3 反知性主義の原点
第3章 反知性主義を育む平等の理念
1 アメリカの不平等
2 宗教改革左派とセクト主義
3 宗教勢力と政治勢力の結合
第4章 アメリカ的な自然と知性の融合
1 釣りと宗教
2 「理性の詩人」と「森の賢者」
第5章 反知性主義と大衆リバイバリズム
1 第二次信仰復興運動
2 反知性主義のヒーロー
3 リバイバルのテクニック
第6章 反知性主義のもう1つのエンジン
1 巨大産業化するリバイバル
2 信仰ビジネスの融合
3 宗教の娯楽化
第7章 「ハーバート主義」をぶっとばせ
1 反知性主義の完成
2 知性の平等な国アメリカ
3 アメリカ史を貫く成功の倫理
現代のアメリカについてのものではなく、アメリカという実験国家というか、宗教国家の成り立ちから考えるアメリカの宗教思想史、建国から20世紀初頭までを扱ったものになります。
こういったバックボーンからアメリカという近代以降しか伝統が無い(現地人の歴史が現代のバックボーンに全く生かされずにリセットされて作られた)国の、近代以降から突然作られて形成された伝統を知るには大いに参考にはなるものの、移民が増えてしまっている現状、アメリカの伝統的価値観って成り立っていないんじゃないかという疑問と、今後どういう風に動いて行くのかについては、実は参考にできずにアメリカ人自身も分からなくなりそうだなというあたりの疑問を残すというか、個人的には現在から将来のアメリカが反知性主義とどう向き合うのか、どう転がっていくのかが気になるという意味では、ちょっと興味の方向とは別物の事がまとめられている本だったなというのが正直なところですし、キリスト教という私には理解しがたい文化についての事ですので、読んでどれだけ理解出来たかというと、かなり大雑把にしか理解出来ていない感じですね。
反知性主義というのは、簡単にまとめると神については考えるな感じろという事ですね。
伝統的なキリスト教が知性のあるものが聖書を通じて神の言葉を教えるというのから、そのまま聖職者の利権構造へと流れていくのに対し、とりあえず聖書がすべてだから、そう考えれば神にとって信者は平等、知性があろうが無かろうが関係ないというピューリタン思想が、旧来の利権構造のないアメリカで独自進化していったのが軸になります。
ここら辺の構造は日本の鎌倉仏教に近いという意味では近いですね、坊主を間に通さず、とりあえず南無阿弥陀仏と唱えておけばいいという念仏至上主義とか、南無妙法蓮華経とお題目を唱え解けというような事を知っていると、多少理解はしやすいかなと。
そう言うのをひっくるめて、ヨーロッパを旧態依然としたものに対し、アメリカは新しく、更に自主独立性を保ったものとして宗教の国家権力化は望まないし、国家権力が何でもかんでもやるような大きい政府というものは阻止し、自然と調和し頭で考えすぎずにやっていく事がアメリカの理想だというようなものになっていくと。
大学に行かずに、独自の才能だけでいろいろと切り開く事が出来た時代ならではの価値観、日本でもよく大学出たって使えない奴は使えないし、高卒で働いている奴の方が上みたいな話になったりしますが、それに近い感覚、反エリート主義こそが正義みたいな感じですね。
それに宗教的な教えがあり、宗教布教があり、アメリカンドリームもあったというもので、アメリカが伝統に縛られない若い国家だったからこそ生まれ育ったという感じですね。
保守と革新という立場がありますが、アメリカの場合アメリカという国家を作った事そのものがヨーロッパという守旧派保守派に対する革新であったわけですが、永遠の革新というのはあり得ないものであり、かつて革新的であったものが現在は保守的になっていてというねじれについて、どうこうする前に終わってしまっているのは、私はここからがむしろ興味があるになってしまうので、ちょっと残念ですね。
革新的なアメリカという伝統の始まりから終わりという歴史上の出来事としては20世紀初頭までが区切りなんだなと理解する事にします。
第1章 ハーバート大学 反知性主義の前提
1 極端な知性主義
2 ピューリタンの生活ぶり
第2章 信仰復興運動 反知性主義の原点
1 宗教的熱狂の伝統
2 「神の行商人」
3 反知性主義の原点
第3章 反知性主義を育む平等の理念
1 アメリカの不平等
2 宗教改革左派とセクト主義
3 宗教勢力と政治勢力の結合
第4章 アメリカ的な自然と知性の融合
1 釣りと宗教
2 「理性の詩人」と「森の賢者」
第5章 反知性主義と大衆リバイバリズム
1 第二次信仰復興運動
2 反知性主義のヒーロー
3 リバイバルのテクニック
第6章 反知性主義のもう1つのエンジン
1 巨大産業化するリバイバル
2 信仰ビジネスの融合
3 宗教の娯楽化
第7章 「ハーバート主義」をぶっとばせ
1 反知性主義の完成
2 知性の平等な国アメリカ
3 アメリカ史を貫く成功の倫理