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今日の読書 ドイツリスク「夢見る政治」が引き起こす混乱/三好範英

私は社会分析なり経済分析関係の物を読むと必ず本題に始まる前に、二項対立で物事を考えることが一番危険なものであるという前提から書き始めることが多いわけですが、ある意味で本著は二項対立的な事を政府や国家ぐるみで、無自覚に行っているのがドイツであり、だからこそ危険という分析をした物と言っても過言ではないのかなと。

ドイツで無自覚に行っている二項対立は、理想と現実が対立構造になってしまっていると言うこと、そしてその対立構造に善悪価値固定主義が無自覚に深く入ってしまっていると言うことですね。

理想と現実というのは、本来折り合いをつけるべき物であり、理想のためならば現実を無視、現実を全否定良いというものではなく、また現実の前には理想なんて屁の役にも立たないと蔑んだりするものでもない、あくまでも全否定か全肯定という関係性ではなく、両方必要な物でありいかにバランス良く取り入れるかが全てですね。

それこそ、政治という世界であるのならば、清濁併せのむというのが必要となるものですね。

本来二項対立的な事でもないことを二項対立的に扱うこともやっかいですが、これに倫理的な評価を当てはめて善悪価値固定主義になるとやっかい極まりないものになります。

とにかく、善悪価値固定というもものは善と悪の対立構造ですから、最初から妥協点の模索という視点に欠けますし、またやっかりなのが理想論を善とし現実論を悪とするというのは噛み合わせが良すぎますし、理想論の善に対して、全否定すると言うことは容易ではないということがあります。

妥協点を模索するつもりがない、自分を善であると信じて疑っていない相手に対し、全肯定はしないけれども全否定はできない、妥協点を模索しようという立場はその妥協点を模索というだけですら悪という価値固定のレッテルを貼られてしまい、現実論そのものが悪という事に簡単にすり替えられてしまいうという状況が成り立ってしまいます。

本来理想論は基本的には善意で動きます。

ただし、この善意で動いているということと、善意で動いているから正しいということは大きな違いがあり、理想論が理想論だけで成り立つ社会というのは、基本的にはあり得ないというのが有史依頼の常識ではあると思います。

こういった前置きを踏まえて、現在のドイツは過渡に理想主義に陥っているというのを紹介し分析するのが本著の狙いと言ってもいいでしょう。

理想論は表面的な意味では素晴らしい事ではあるものの、その理想が現実と乖離していたらばどうなるか。

これが、二項対立的、善悪価値固定的な状況でなければ、理想と現実が乖離していた場合、理想の方に無理があると修正する事が可能ですね、掲げた理想に無理があった、まずはできるところから徐々に変えていけばいい、妥協することも現実では必要だよねということも可能です。

しかし、現在のドイツは理想論が現実と乖離していても、理想に間違いはないという硬直化のために歪みが生じてしまっていて、乖離している現実の方が間違いという方向に暴走している部分があると。

その1つは原発問題。

原発に関しては全肯定する人というのは、まぁいないでしょう。

私は原発に関しては必要悪であり、原発は過渡期のエネルギーであり、代替可能な技術革新を望むという考え方をしています。

原発は逆に全否定する事は容易であり、そこに妥協を許さないという立場もわからなくはないものです。

ドイツでは代替可能エネルギーとして自然エネルギーに一気に傾斜しました。

太陽光発電であるとか風力発電であるとか、これが安定供給できる社会になればそれこそ理想というのは、ある意味誰に聞いても異論はないと思います。

問題は大容量安定供給がまだ現段階で現実的ではないと言うこと。

自然相手のことですから、晴れの日もあれば雨の日もある、突風の日もあれば無風の日もある。

そういった不安定な状況であってもきちんと安定的に供給できるシステムが構築されているのならば全く問題はない。

しかし、そうなる前から原発全廃にして自然エネルギーへと転換した結果、不安定な分を補うのが石炭発電になるという本末転倒が起きてしまっている。

せめて石油による火力発電くらいは残しておけよという突っ込みを入れたくなるものですが、補助金の影響で自然エネルギー以外は締め出しを食らう結果になり、電気の供給が不安定になるだけではなく電気料金が値上がりしていく社会ができあがったと。

だから、原発が正しいという結論を出すつもりはありませんが、理想と現実と比べたときに理想へ暴走した結果、環境に優しいクリーンなという表看板がかすむような石炭発電との併存という意味がわからない状況になっていると。

とにかく、ドイツの原発アレルギーは強固な物で、2011年日本をおそった東日本大震災において、地震や津波による被害で日本人が大量に亡くなったという惨劇よりも、福島第一原発の事故だけに力点を置き、死者に対する敬意もそっちのけで、放射能による被害ばかりに力点を置き、むしろ反原発派のプロパガンダとして利用されまくり、原発推進国家日本はなるべくして原発事故を起こし、その対応に大失敗し日本国民は頭がおかしいというような報道であるとか、学者の考察ばかりがドイツ国内にあふれたと。

同じ状況を、もっと普通に自然災害という側面を踏まえて報道していたイギリスの物と比較して、偏りのひどさに当時ドイツで生活していた筆者は愕然として怒りを覚える状況であったり、倫理的に日本は悪という価値固定報道も他のヨーロッパ諸国と比べてもドイツは特筆物であったと。

エネルギー問題というのは、絶対的に正しい解決策というのは、存在しないと思いますし、徐々に改善へと向かうという事くらいしかできないと思うのですが、とかく二項対立的な思考法になるとそれが許されなくなってしまうと。

それ以前に、反原発を筆頭に環境保護大好き国家として暴走しているドイツですが、その国の最大の自動車会社であるフォルクスワーゲンがクリーンディーゼルエンジンなんていう詐欺行為をしてしまったというのも、何というか嘆かわしいことですが、ここら辺も理想論者が理想と現実を語るとき、理想と現実が乖離しているとしたらば、現実の方が間違っているというような答えにいきがちなものが、実はドイツ国民全体に浸透してた一つの答えなのかもしれないと思うと、感慨深いですね。

理想論の暴走はユーロでの立場でもよく見られる物として扱っています。

ユーロ統一通貨圏というのは今では理想とはかけ離れた失敗というのが、現実だと思います。

このユーロ圏というのもある意味ではドイツの理想主義の産物であると。

ドイツは第2次世界大戦の敗戦で単なる敗戦国というだけではなく、ナチスのホロコーストというやっかいな十字架を背負わされる事になりました。

このせいで、ドイツはナチスの排他的民族主義はあくまでもナチス主導の一時的なものでしか亡いというのを証明するがごとく、過渡な寛容主義ぶりを表にせざるを得なくなってしまいました。

最近もシリア難民を無条件に受け入れると大風呂敷を広げて、予想以上に難民が押し寄せてきて理想としている受入量を大幅に上回る現実に驚いて慌てて手のひらを返して、難民大量受付というものが、単なるええかっこしいの戯れ言だったという形になってきて、見事なまでに偽善者っぷりをさらけだしたりしました。

寛容主義というのも、もちろんそれそのものを否定することはできません。

というか、寛容さが一切ない社会なんていうものは恐怖以外の何物でもないのですが、これが行き過ぎると、出発点が倫理的に正しいとなり、だから自分たちの考え方が絶対に正しいというような方向に容易になってしまう。

ナチスというもののせいで、ドイツは戦後贖罪意識に悩まされ、同時にこれだけ贖罪意識を持っている俺かっこいい!というような傾向を内包するようになっていると。

そのため、国家的な保守主義を悪と断罪しやすい傾向が出ていて、同時にやっかいなのは国家や伝統で物事を考えることの否定へと暴走しやすくなっていると。

まぁこれはどこかの国でも同じ病理があるわけで、ドイツ世論の形成というか世論形成を担おうとしている人たちの思考は、日本で言う朝日新聞のようなものというか、朝日新聞そのものだよねというところになっていると考えると、理解しやすいとすら思えるくらい。

本当に朝日新聞だなというのは、贖罪意識がある種のステータスとなっていて、いつの間にか贖罪意識のあるドイツが善で、贖罪意識の無い日本は悪という善悪価値固定が定着していると言うこと。

その贖罪意識があるかないかの違いは謝罪をしているかいないかであり、その謝罪しているかどうかの基準が被害国が謝罪を受け入れているか否かだったりするあたり、結論ありきの浅薄な思考ではあるのですが、いかんせん倫理的に善であるというところから出発している人は基本的に論理的な調査に関しては軽視する傾向がありますからね。

論理的に調査することによって倫理的に正しいという前提が崩れてしまうこともあるので、無自覚の拒否反応があるのかもしれないですが、往々にして倫理と論理は食い合わせは悪いとはお思います。

ユーロ構想としてドイツが入れ込んだのは国家主義を悪という前提で物事を考え、ヨーロッパで統一的になれば国家意識が薄れ、ナチスの悲劇は起きないという理想論ありき。

そして、それをドイツ主導で動かせば贖罪意識のある倫理的に善なドイツという満足感も得られるという、理想主義者にとってはこの上ない喜びにつながるからというもの。

しかし理想主義が先行して形成された統一ユーロ通貨圏は、理想とは違った結果を引き起こす現実になっています。

結局国家単位で別物であるにもかかわらず、通過を統一したことによって為替変動による調整ができなくなり、経済面ではドイツ一人勝ち状態ができあがり、それによる怨嗟の声がドイツに向かい、不景気な国に対してドイツが援助するという形も原則至上主義のドイツではとうてい受け入れられるものでは無く、一緒になったが故のナショナリズムが勃興する現実へと向かいつつあると。

そういった、理想と現実が乖離している現状、贖罪主義と理想主義がある種の現実逃避として向かった先がユーロ圏としての仲間である西側ヨーロッパ諸国ではなく、なぜかロシアやドイツへの接近であり、贖罪意識があって倫理的に素晴らしいドイツというものを証明するがために向かう反日というものですね。

ロシアや中国に接近する事の方がよっぽど危険であると理解している人は当然大勢いるわけですが、そういう声を封殺するがごとく、ある種ネット社会になる前の日本の朝日新聞的な価値観が幅をきかせていた状態に大いに向かってしまったと。

この朝日新聞的な価値観というのが、どうにもドイツにとっては心地よく感じるのは善悪価値固定をしやすいと言うこと、日本を倫理的に下であると価値固定をする事によって優越感に浸れるだけでは無く、中国と接近する事によって金も手に入れることができると。

ここら辺、価値固定の硬直化による歪みであると私なんかは思ってしまいますが、朝日新聞の価値観をそのままドイツに持ち込んだ状況では、ドイツが硬直的なのでは無く現在の日本が極度に歴史修正主義に陥っているという事に落ち着いてしまうと。

私はドイツという国に対して嫌悪感は持っていないですし、文化やスポーツでは大いに敬意を表する国ではありますが、理想論による暴走はやはり危惧すべきだなぁと思わざるを得ないですし、このドイツ的価値観に基づく行動は、日本の朝日新聞的価値観大好きな人たちが大喜びだろうなぁと言う事ばかりが頭をよぎって何だかなぁと・・・


はじめに 危うい大国ドイツ 夢見る政治が引き起こす混乱

第1章  偏向したフクシマ原発事故報道
   1 グロテスクだったドイツメディア
   2 高まる日本社会への批判
   3 原発を倫理問題として扱うドイツ

第2章  隘路に陥ったエネルギー転換
   1 原発推進を掲げる政治勢力は存在しない。
   2 急速な自然エネルギーの普及
   3 不安定化する電力供給システム
   4 ドイツ人ならやり遂げるという幻想

第3章  ユーロがパンドラの箱をあけた
   1 それはギリシャから始まった
   2 「戦後ドイツ」へのルサンチマン
   3 夢を諦めない人々
   4 綱渡りを強いられるメルケル
   5 「夢見るドイツ」がユーロを生み出した

第4章  「プーチン理解者」の登場
   1 緊密化する対ロシア関係
   2 「東への夢」の対象としてのロシア、中国

第5章  中国に共鳴するドイツの歴史観
   1 歴史問題での攻勢
   2 歴史認識がなぜ中国に傾くのか
 
おわりに ロマン主義思想の投げかける長い影 

テーマ : 読んだ本の感想等
ジャンル : 小説・文学

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