今日のニンニンジャー総括
今日で手裏剣戦隊ニンニンジャーが最終回だったと言うことで、一応毎回恒例にしている総括をしたいと思います。
ニンニンジャーの全体を通すといろいろと惜しかったという評価になってしまいますね。
忍者モチーフの戦隊が3作目と言うことで、過去作とは別の方向性の作品にしたい、忍者モチーフと被らないだけではなく、過去作ではやっていないことを取り込みたいという意識はくみ取れましたが、その意識だけが空回りしていたというか、とにかく初期設定の甘さが目につきましたね。
初期設定を生かした話の作り方、初期設定特に各キャラクターの性格であるとか得手不得手強調できる話を早い段階でしっかりとやらずにいたために余計にその印象が強くなってしまったと思います。
忍者がモチーフでお祖父さんがラストニンジャという伝説の忍者、それを孫達が引き継ぐために戦いながら修業していくという軸がしっかりとしていて、親子三代ネタだけれども、5人兄弟という過去に何例もあるものを避けて、兄妹は1組あとの3人はいとこと言う設定、試みとしては面白かったんですが、生かし切れたかというと生かし切れなかったというのが正直ありますね。
お祖父さんが伝説の忍者でありながら、その息子は忍者の素質を受け継いでないという初期設定、天晴と風花はその子供ですが、伊賀崎直系以外のお祖父さんの子供は八雲の母親でありお父さん旋風さんのお姉さんしか出てこないまま、霞と凪の母親は旋風さんの姉なのか妹なのか、何をしているのか忍者に関することはどういうスタンスなのかも分からずじまい。
旋風の奥さん、天晴と風花のお母さんについてはVシネで出てくることが予告されていましたが、いとこ関係であり忍者の家系であると分かっているのならば、霞と凪の母親が全く絡まないというのもどうだったんだろうと、八雲の母親ははっきりと忍者なんて時代遅れだから嫌だと言われていますが、ラストニンジャ直系の娘が他に2人いたにもかかわらず何も触れられなかったのはなぁと。
初期設定の甘さというかキャラクター描写も早い段階でつかみに失敗したなぁと言う思いは強く、とにかく理屈もへったくれもなく天晴が燃えてくればそれだけで全てが解決、他の4人はほぼおまけ状態。
八雲は魔法とインチキ英語混じりという分かりやすいものがありましたし、霞はまだ中では一番頭が回るというところで意味もあるにはありましたが、凪は初期設定では資格マニアであるとかマニュアル活用しまくりの要領が良いというのは生かされず、はじめてメインになった話で資格マニアの強みであるとかマニュアル活用の成功例を出す前にいきなり何でもマニュアルに頼るようではダメとなってしまい、良さを発揮する余地が無いじゃん状態。
風花も忍者にいまいち乗り気では無く、何も考えずにイケイケドンで突っ走る兄に振り回されるけなげな妹とうくらいで、じゃあ得意なことって何状態。
とにかく天晴一本かぶりすぎて、戦隊においてはバランス至上主義な私は残念な気持ちに、仮に天晴が毎回おいしいところを持って行く存在にしたいのであれば、もう少し燃えてきた以外の根拠を提示できるか、もしくは徹底的にネタとしてそうなるかにして欲しかったんですが、ネタと言うほどネタでやっていなくて、単純に天晴が有能かのように扱ってしまったのは勿体なかった。
天晴一本被りというのは、敵である牙鬼軍との関係性でも、初期幹部の1人である蛾眉雷蔵が天晴をライバル認定して他のメンバーを相手にしなかったというのもバランスが悪かったですね。
他に動きがあるのが九衛門だけと実質行動できる幹部級が2人なのにも関わらずライバル視するのが1人というのでは他の4人が意味を無くしてしまいますし、とにかく初期になればなるほどバランスの悪さにもっと何とかできないものかと言う思いが・・・
とにかく、初期において一定の残念な思いは強かったのですが、全くダメかというとそこまでではなく、惜しいなぁというまでに抑えられたのは、バランス修正さえできれば立て直せそうというのと、ある程度緩い、ネタ戦隊としてならば高い評価を与えられそうな雰囲気は持ち得ていた事ですね。
設定の緩さも、それを上手く突っ込んでくれと開き直る所までもっていけば面白くなりますし、ツッコミどころ満載をこそ武器にできそうな感じ、修業にせよ忍術の使い方、八雲の魔法にせよネタ戦隊になり得る、それこそ私がいつかここまで針が振り切れた欲しいと思っている過去作品、戦う交通安全くらいまで持っていければ、設定の甘さや緩さもそこを笑いにかえることまで持って行けるとも思ったのですが、ネタに振りきれるまでいかずだったのは残念ではありました。
ネタに振りきれるというのも私が想定している基準の方がおかしいので難しいことではあるのですが。
はじめに残念な所を列挙する形になりましたが、キンジの合流や蛾眉雷蔵が早い段階で離脱などの変化が出てから一定のバランス修正が出来、どうしても何だかんだ天晴が中心になるのはレッドだから仕方が無いという範疇に収まってからは、もっと細かいところをしっかりと決めきっておいた方がいいと思うことはいくらでも目につきはしたものの、ニンニンジャーはこういう作品だと思ってある程度楽しめるようにはなりました。
忍者戦隊つながりと言うことで、カクレンジャーのニンジャレッドサスケ、ハリケンジャーのハリケンレッドの鷹介の2人の忍者つながりゲストの出演に始まり、まさかの戦隊外である世界忍者戦ジライヤから磁雷也の闘破、八雲の魔法つながりでマジレンジャーからマジイエローの翼、名前から被りまくっていると思っていたシュリケンジャーとゲストが来たのも楽しめましたしね。
返す返すも設定をもっとしっかりとしておいて、初期の段階からバランスをもっとしっかりとやっておくか、それができないのならばネタ戦隊として針を振り切っておけばもっと楽しめたのですが、なんだかんだとシリアスな展開がはさまれていましたし、それでいてものすごく追い込まれる展開かというと全体的に解決は思いの外あっさりとしていたんですよね。
最終回もむしろ1話前の方がクライマックス感が強かったですし、ここ数年の作品去年のトッキュウジャーにしろ、その前のキョウリュウジャー、その前のゴーバスターズと挙げただけでも年に数回、これ最終回だっけ?というレベルの話が放り込まれ、いわゆる通常回と言えるような話が少なく感じるくらいだったのに、今年は中間にこれが区切りの話というのはあるにはありましたが、最終回だっけ?というほどの起伏はなかった。
起伏だらけの1年の戦隊ばかりが続いていたので、それが当たり前かのような感覚にもなっていましたが、ニンニンジャーはそこまでの事をしなかった、これがしなかったのかできなかったのかは私には判断できないのですが、狙ってしなかったのならば、本当にもっと全体的に緩いネタに振り切った作品にすればよかったのにと私は残念に思い、惜しかったなぁと。
初期設定の甘さや、長期視点で見ても伏線の張り方(終わりの手裏剣なんて大切なアイテムも設定がぼやけていましたし)や全体の整合性の甘さ(九衛門が人間を捨てる覚悟と言われても、牙鬼軍団が人間じゃないし覚悟も何もとか)など気になる点はいくらもありましたが、そこに目をつぶれば楽しめた作品でありました。
だからこそ、逆にこの作品のマイナス面があまり関係なく、テレビ本放送に比べて制約が緩くやりたい放題ができるVシネは期待できる・・・かもしれない。







ニンニンジャーの全体を通すといろいろと惜しかったという評価になってしまいますね。
忍者モチーフの戦隊が3作目と言うことで、過去作とは別の方向性の作品にしたい、忍者モチーフと被らないだけではなく、過去作ではやっていないことを取り込みたいという意識はくみ取れましたが、その意識だけが空回りしていたというか、とにかく初期設定の甘さが目につきましたね。
初期設定を生かした話の作り方、初期設定特に各キャラクターの性格であるとか得手不得手強調できる話を早い段階でしっかりとやらずにいたために余計にその印象が強くなってしまったと思います。
忍者がモチーフでお祖父さんがラストニンジャという伝説の忍者、それを孫達が引き継ぐために戦いながら修業していくという軸がしっかりとしていて、親子三代ネタだけれども、5人兄弟という過去に何例もあるものを避けて、兄妹は1組あとの3人はいとこと言う設定、試みとしては面白かったんですが、生かし切れたかというと生かし切れなかったというのが正直ありますね。
お祖父さんが伝説の忍者でありながら、その息子は忍者の素質を受け継いでないという初期設定、天晴と風花はその子供ですが、伊賀崎直系以外のお祖父さんの子供は八雲の母親でありお父さん旋風さんのお姉さんしか出てこないまま、霞と凪の母親は旋風さんの姉なのか妹なのか、何をしているのか忍者に関することはどういうスタンスなのかも分からずじまい。
旋風の奥さん、天晴と風花のお母さんについてはVシネで出てくることが予告されていましたが、いとこ関係であり忍者の家系であると分かっているのならば、霞と凪の母親が全く絡まないというのもどうだったんだろうと、八雲の母親ははっきりと忍者なんて時代遅れだから嫌だと言われていますが、ラストニンジャ直系の娘が他に2人いたにもかかわらず何も触れられなかったのはなぁと。
初期設定の甘さというかキャラクター描写も早い段階でつかみに失敗したなぁと言う思いは強く、とにかく理屈もへったくれもなく天晴が燃えてくればそれだけで全てが解決、他の4人はほぼおまけ状態。
八雲は魔法とインチキ英語混じりという分かりやすいものがありましたし、霞はまだ中では一番頭が回るというところで意味もあるにはありましたが、凪は初期設定では資格マニアであるとかマニュアル活用しまくりの要領が良いというのは生かされず、はじめてメインになった話で資格マニアの強みであるとかマニュアル活用の成功例を出す前にいきなり何でもマニュアルに頼るようではダメとなってしまい、良さを発揮する余地が無いじゃん状態。
風花も忍者にいまいち乗り気では無く、何も考えずにイケイケドンで突っ走る兄に振り回されるけなげな妹とうくらいで、じゃあ得意なことって何状態。
とにかく天晴一本かぶりすぎて、戦隊においてはバランス至上主義な私は残念な気持ちに、仮に天晴が毎回おいしいところを持って行く存在にしたいのであれば、もう少し燃えてきた以外の根拠を提示できるか、もしくは徹底的にネタとしてそうなるかにして欲しかったんですが、ネタと言うほどネタでやっていなくて、単純に天晴が有能かのように扱ってしまったのは勿体なかった。
天晴一本被りというのは、敵である牙鬼軍との関係性でも、初期幹部の1人である蛾眉雷蔵が天晴をライバル認定して他のメンバーを相手にしなかったというのもバランスが悪かったですね。
他に動きがあるのが九衛門だけと実質行動できる幹部級が2人なのにも関わらずライバル視するのが1人というのでは他の4人が意味を無くしてしまいますし、とにかく初期になればなるほどバランスの悪さにもっと何とかできないものかと言う思いが・・・
とにかく、初期において一定の残念な思いは強かったのですが、全くダメかというとそこまでではなく、惜しいなぁというまでに抑えられたのは、バランス修正さえできれば立て直せそうというのと、ある程度緩い、ネタ戦隊としてならば高い評価を与えられそうな雰囲気は持ち得ていた事ですね。
設定の緩さも、それを上手く突っ込んでくれと開き直る所までもっていけば面白くなりますし、ツッコミどころ満載をこそ武器にできそうな感じ、修業にせよ忍術の使い方、八雲の魔法にせよネタ戦隊になり得る、それこそ私がいつかここまで針が振り切れた欲しいと思っている過去作品、戦う交通安全くらいまで持っていければ、設定の甘さや緩さもそこを笑いにかえることまで持って行けるとも思ったのですが、ネタに振りきれるまでいかずだったのは残念ではありました。
ネタに振りきれるというのも私が想定している基準の方がおかしいので難しいことではあるのですが。
はじめに残念な所を列挙する形になりましたが、キンジの合流や蛾眉雷蔵が早い段階で離脱などの変化が出てから一定のバランス修正が出来、どうしても何だかんだ天晴が中心になるのはレッドだから仕方が無いという範疇に収まってからは、もっと細かいところをしっかりと決めきっておいた方がいいと思うことはいくらでも目につきはしたものの、ニンニンジャーはこういう作品だと思ってある程度楽しめるようにはなりました。
忍者戦隊つながりと言うことで、カクレンジャーのニンジャレッドサスケ、ハリケンジャーのハリケンレッドの鷹介の2人の忍者つながりゲストの出演に始まり、まさかの戦隊外である世界忍者戦ジライヤから磁雷也の闘破、八雲の魔法つながりでマジレンジャーからマジイエローの翼、名前から被りまくっていると思っていたシュリケンジャーとゲストが来たのも楽しめましたしね。
返す返すも設定をもっとしっかりとしておいて、初期の段階からバランスをもっとしっかりとやっておくか、それができないのならばネタ戦隊として針を振り切っておけばもっと楽しめたのですが、なんだかんだとシリアスな展開がはさまれていましたし、それでいてものすごく追い込まれる展開かというと全体的に解決は思いの外あっさりとしていたんですよね。
最終回もむしろ1話前の方がクライマックス感が強かったですし、ここ数年の作品去年のトッキュウジャーにしろ、その前のキョウリュウジャー、その前のゴーバスターズと挙げただけでも年に数回、これ最終回だっけ?というレベルの話が放り込まれ、いわゆる通常回と言えるような話が少なく感じるくらいだったのに、今年は中間にこれが区切りの話というのはあるにはありましたが、最終回だっけ?というほどの起伏はなかった。
起伏だらけの1年の戦隊ばかりが続いていたので、それが当たり前かのような感覚にもなっていましたが、ニンニンジャーはそこまでの事をしなかった、これがしなかったのかできなかったのかは私には判断できないのですが、狙ってしなかったのならば、本当にもっと全体的に緩いネタに振り切った作品にすればよかったのにと私は残念に思い、惜しかったなぁと。
初期設定の甘さや、長期視点で見ても伏線の張り方(終わりの手裏剣なんて大切なアイテムも設定がぼやけていましたし)や全体の整合性の甘さ(九衛門が人間を捨てる覚悟と言われても、牙鬼軍団が人間じゃないし覚悟も何もとか)など気になる点はいくらもありましたが、そこに目をつぶれば楽しめた作品でありました。
だからこそ、逆にこの作品のマイナス面があまり関係なく、テレビ本放送に比べて制約が緩くやりたい放題ができるVシネは期待できる・・・かもしれない。