今日の読書 倒れるときは前のめり/有川浩
有川浩の初のエッセイ集になります。
いろいろなところで発表されていた、ひとつひとつは短いエッセイを内容別に分けて最初に発表された時期と、その後に現在振り返って一言を付記するという体裁でまとめられ、最後にショートショートと言ってもいいレベルの短編が2つ収まっています。
『書くこと、読むこと、生きること』にまとめられているのは基本的にジャンル分けを細かくしていないもの、書くこと、読むことと言うことで自分の読書経験や書くことで起きたあれこれや、自分についてネタとして書いているものですね。
今までに書かれたエッセイのまとめと言うことで、2011年という年も当然入ってくるわけで、東日本大震災の頃の事、不謹慎と言うことでの自粛、自主規制といういかにも正義として流布した価値観への否定、阪神大震災を経験したからこそ、震災の影響を受けても速攻で日常に戻っている、当時であれば大阪がしれっと日常に戻っている様がどれだけ勇気づけられたか、だからこそ不謹慎だから娯楽を自粛すべき論は速攻止めるべき、これは自粛しているという自己満足によって、実際の被害者達は自分達の責任で多くの人々の楽しみを奪っているという負い目を背負わせる事に繋がるし、そんな事よりも金のあるやつは金を使って経済を回して復興に回させるべきだというのが、改めて今読むと心に刺さりますね。
不謹慎だから自粛すべきと声高に喧伝する人は善意から動いている事が多いが、善意がむしろ足を引っ張る1つの分かりやすい例であり、善意という名の暴力に等しいと、某かの正義を振りかざす人は自分の正義が本当に普遍的なものなのかどうか常に考えるべき事例ですね。
ネット世論でも、剥き出しの悪意は悪意で大問題だし、その悪意を公にするならばその責任を背負う覚悟は必要というのも、作家という個人の名前でやっている仕事ゆえに、剥き出しの悪意をぶつけられる経験をしてきているからこその指摘であると同時に、いかんせん作品に自衛隊が出てきたりするので、ネットだけではなく、いわゆる左巻なマスメディアにも批判的に扱われるだけの人の言葉だなと。
属している組織と個人は別物というのもまたしっかりと意識して書かれていますけれどもね。
『図書館戦争』や『空飛ぶ広報室』という作品がいわゆる左巻な新聞社の特集として軍国主義作品特集として見出しは批判的なのに、中を読むと何が言いたいのか分からない、直接的に作品をボロカスに言っているわけでもなく歯切れが悪かったとして、おそらく社是と記者の感覚の乖離が引き起こしたものだろうという分析とか、なかなか楽しめますね。
『この本大好き!』では読書の楽しさを語るという事で、面白かった本について書かれているというか、書評を頼まれて書いているというものだったりしますが、私が一番共感するのは読書感想文に対する批判ですね。
これが読書を遠ざける要因の1つだと。
私は読書をしたらば読書感想文を書くようにしましょうと教えられたときに、じゃあ読書をしなければ読書感想文を書かなくてすむという思考をして、それまで好きだった読書から離れた時期がありましたが、読書感想文の強要はエンターテインメントとして楽しむ読書を、苦行に変換させる所行でしかないと思えますね。
どうでもいいですが、この苦行を逆手にとれば子供達から禁止させたいものに対して、全てに感想文を強要すれば結構効果があるのではないかと思うくらい、ゲーム感想文、ゲームをやったらば必ず感想文を書くようにしましょうとかすれば、毎日ゲームをすると毎日ゲームの感想文を書かなければいけないという苦行がついてくる、これは結構効果がありそうですが、まぁ面倒だから感想文は書かないですむ話ですね。
『映画も黙っちゃいられない』では好きな映画や楽しいと思った映画について、『阪急電車』『図書館戦争』『県庁おもてなし課』といった自作の映画化についての話が面白いですね。
原作原理主義者、映像化作品を見て残念にしか思えない人、残念な気持ちにしかならないから、映像化して欲しくないと喧伝する人に対してはそう思うのは勝手だし観ない自由もあるが、観る自由もあるしそこから原作を読む方に流れてくる事もあるから、自分の考え方を絶対だとしすぎて喧伝するのは止めてくれという感じになっていて、映像作品は映像作品として作者が楽しんでいる様子を書きまくっていますね。
基本的に悪意の垂れ流しに対して批判的だったり、自分が好きなものを素直に好きと言いにくい時代になっている事を嘆いている部分もありますね、基本悪意の方が力強いですし自分が好きなものを広めるよりも、批判的なもの全否定したいという気持ちの方が簡単だったりしますからね・・・
『いとしい人、場所、物事』はお題通りのネタですね。
児玉清さんとの関係はいいなぁと思えますし、対談したとき最後に会ったときが2011年の3月11日というのもなかなか運命的というかなんというか、いろいろな意味で忘れられない日になっているなと。
『ふるさと高知』は高知について、現在は住んでいないからこそわかる故郷の良さと、高知県民はまだまだ自分たちの良さに気付いていないし、観光業はもっときちんとやれというあたり、『県庁おもてなし』に書かれているのと被りますね。
『特別収録小説』は2作の短編。
何かと批判的な言論が目に付きやすい昨今ですが、そんな非生産的な事よりも楽しむ方向に目を向けた方が良いという気分になりたくなるエッセイ集ですね、ひとつひとつが空き時間に読みやすくもありますし。
いろいろなところで発表されていた、ひとつひとつは短いエッセイを内容別に分けて最初に発表された時期と、その後に現在振り返って一言を付記するという体裁でまとめられ、最後にショートショートと言ってもいいレベルの短編が2つ収まっています。
『書くこと、読むこと、生きること』にまとめられているのは基本的にジャンル分けを細かくしていないもの、書くこと、読むことと言うことで自分の読書経験や書くことで起きたあれこれや、自分についてネタとして書いているものですね。
今までに書かれたエッセイのまとめと言うことで、2011年という年も当然入ってくるわけで、東日本大震災の頃の事、不謹慎と言うことでの自粛、自主規制といういかにも正義として流布した価値観への否定、阪神大震災を経験したからこそ、震災の影響を受けても速攻で日常に戻っている、当時であれば大阪がしれっと日常に戻っている様がどれだけ勇気づけられたか、だからこそ不謹慎だから娯楽を自粛すべき論は速攻止めるべき、これは自粛しているという自己満足によって、実際の被害者達は自分達の責任で多くの人々の楽しみを奪っているという負い目を背負わせる事に繋がるし、そんな事よりも金のあるやつは金を使って経済を回して復興に回させるべきだというのが、改めて今読むと心に刺さりますね。
不謹慎だから自粛すべきと声高に喧伝する人は善意から動いている事が多いが、善意がむしろ足を引っ張る1つの分かりやすい例であり、善意という名の暴力に等しいと、某かの正義を振りかざす人は自分の正義が本当に普遍的なものなのかどうか常に考えるべき事例ですね。
ネット世論でも、剥き出しの悪意は悪意で大問題だし、その悪意を公にするならばその責任を背負う覚悟は必要というのも、作家という個人の名前でやっている仕事ゆえに、剥き出しの悪意をぶつけられる経験をしてきているからこその指摘であると同時に、いかんせん作品に自衛隊が出てきたりするので、ネットだけではなく、いわゆる左巻なマスメディアにも批判的に扱われるだけの人の言葉だなと。
属している組織と個人は別物というのもまたしっかりと意識して書かれていますけれどもね。
『図書館戦争』や『空飛ぶ広報室』という作品がいわゆる左巻な新聞社の特集として軍国主義作品特集として見出しは批判的なのに、中を読むと何が言いたいのか分からない、直接的に作品をボロカスに言っているわけでもなく歯切れが悪かったとして、おそらく社是と記者の感覚の乖離が引き起こしたものだろうという分析とか、なかなか楽しめますね。
『この本大好き!』では読書の楽しさを語るという事で、面白かった本について書かれているというか、書評を頼まれて書いているというものだったりしますが、私が一番共感するのは読書感想文に対する批判ですね。
これが読書を遠ざける要因の1つだと。
私は読書をしたらば読書感想文を書くようにしましょうと教えられたときに、じゃあ読書をしなければ読書感想文を書かなくてすむという思考をして、それまで好きだった読書から離れた時期がありましたが、読書感想文の強要はエンターテインメントとして楽しむ読書を、苦行に変換させる所行でしかないと思えますね。
どうでもいいですが、この苦行を逆手にとれば子供達から禁止させたいものに対して、全てに感想文を強要すれば結構効果があるのではないかと思うくらい、ゲーム感想文、ゲームをやったらば必ず感想文を書くようにしましょうとかすれば、毎日ゲームをすると毎日ゲームの感想文を書かなければいけないという苦行がついてくる、これは結構効果がありそうですが、まぁ面倒だから感想文は書かないですむ話ですね。
『映画も黙っちゃいられない』では好きな映画や楽しいと思った映画について、『阪急電車』『図書館戦争』『県庁おもてなし課』といった自作の映画化についての話が面白いですね。
原作原理主義者、映像化作品を見て残念にしか思えない人、残念な気持ちにしかならないから、映像化して欲しくないと喧伝する人に対してはそう思うのは勝手だし観ない自由もあるが、観る自由もあるしそこから原作を読む方に流れてくる事もあるから、自分の考え方を絶対だとしすぎて喧伝するのは止めてくれという感じになっていて、映像作品は映像作品として作者が楽しんでいる様子を書きまくっていますね。
基本的に悪意の垂れ流しに対して批判的だったり、自分が好きなものを素直に好きと言いにくい時代になっている事を嘆いている部分もありますね、基本悪意の方が力強いですし自分が好きなものを広めるよりも、批判的なもの全否定したいという気持ちの方が簡単だったりしますからね・・・
『いとしい人、場所、物事』はお題通りのネタですね。
児玉清さんとの関係はいいなぁと思えますし、対談したとき最後に会ったときが2011年の3月11日というのもなかなか運命的というかなんというか、いろいろな意味で忘れられない日になっているなと。
『ふるさと高知』は高知について、現在は住んでいないからこそわかる故郷の良さと、高知県民はまだまだ自分たちの良さに気付いていないし、観光業はもっときちんとやれというあたり、『県庁おもてなし』に書かれているのと被りますね。
『特別収録小説』は2作の短編。
何かと批判的な言論が目に付きやすい昨今ですが、そんな非生産的な事よりも楽しむ方向に目を向けた方が良いという気分になりたくなるエッセイ集ですね、ひとつひとつが空き時間に読みやすくもありますし。