今日の読書 罪と罰/ドストエフスキー・亀山郁夫訳
夏休みの宿題、未だに読書感想文という読書嫌い製造企画というものが行われているのかどうか知りませんし、いい加減読書感想文という授業課題は読書好きを減らすものだからやめてくれという出版業界から抗議が大々的に出ていない事を不思議に思っていたりするのですが、それはそれとして、仮に夏休みの宿題である読書感想文対策として、間違えてさまよってくる人もいるかなぁと計算して、この時期になるといかにもな古典文学作品を読むようにしていたりします。
今年は、ロシアの文豪であるドストエフスキーの恐らく最も有名な作品であると思う『罪と罰』を読みました。
ブログのタイトルがブログのタイトルですし、本当はもう少し定期的にドストエフスキー絡みのものを読んだりしていた方が良いとは思うのですけれども、何だかんだで古典は読むのにいつも以上にパワーを必要としてしまうので、しょっちゅうは読んでいられないと。
『罪と罰』に関してはすでに一度読んでいますが、それは新潮文庫版の工藤精一郎訳であり、今回読んだのは光文社古典新訳文庫版で亀山郁夫訳という違いはあります。
新訳版の方がより現代的な読みやすさ重視であったり、訳者の研究が進んでいたりで解釈が新たになっていたりとありますが、正直連続で読んでいるわけではないので細かな解釈の違いということについては気がつきません、最大の違いを感じるのが新潮文庫だと上下巻だったのが光文社古典新訳文庫版だと3巻になっているという事だったり、後書きや開設に当たる部分の違いだったり。
ロシアの文豪ドストエフスキーという感じで紹介されることが多いと思いますが、文学作品として必要以上に構えない方が良いんじゃ無いかと言うのが、文学作品を真面目に真摯に読まなければいけないという考えを持っていないエンターテインメント読みな私のドストエフスキー感であったりします。
その中でもこの『罪と罰』という作品、衒学的なミステリー小説として読めば肩肘張らずに楽しめるんじゃないかというのが、最初に読んだ時から思い続けている感想です。
主人公である、極貧の元大学生であるロジオン・ロマヌーイチ・ラスコリーニコフが、質屋で金貸しである老女の殺害を考え実行し、殺人犯として現行犯で捕まっておかしくない状況から脱出成功するという、犯人視点のミステリー小説といってしまってもいいのではないかと。
殺人動機の1つに、選ばれた人間は法律を超えた所にあり、ナポレオンのように多くの人を殺したとしても英雄として許される資質を持っているとする思想があったり、犯罪を行う前も行った後も、ある種の自意識過剰による発狂であるとか、論理の暴走による人々との討論であるとか、明確な探偵こそいないものの、ミステリー小説の古典の1つ、もしくは中二病主人公の1つの原型として後世のエンターテインメントに多大な影響を与えた作品という評価をもっと前面に押し出しても良いのではないかと思える作品ですね。
あまり、そういった評価はされないと思いますが。
文学作品としては、19世紀後半のロシア、農奴解放という自由が与えられたが、むしろ与えられた自由のせいで貧乏人だらけになってしまっているというあたり、市場原理主義的な経済状況の現代と似通っている部分もあり、19世紀末も21世紀初頭も実はそれほど価値観に大差はなく、古典作品の普遍的な強さを感じたりもしますが、当時の人にしか分からない小ネタもふんだんに盛り込まれているというのは、作品そのものを読んで気付くというよりも、解説に記されていることですが、暗喩する事によって気付く人には気付くという作り方によって、歴史的な出来事を後世に伝えるという意味で面白さもあります。
大長編といってもいいくらい長い作品ですので、気楽に読むにはハードルが高い作品だと思いますが、仮にこの作品を読んで読書感想文の宿題に使おうという人がいるのならば、作品を読んで感動したから、自分もラスコリーニコフのような人になりたいというような感想を仕立てて欲しいと思いますね、もしくはラスコリーニコフの考える犯罪論に共感し、このナポレオン的な人間とは自分の事を指しているんだと思いましたみたいな感想でも構わないですね。
今年は、ロシアの文豪であるドストエフスキーの恐らく最も有名な作品であると思う『罪と罰』を読みました。
ブログのタイトルがブログのタイトルですし、本当はもう少し定期的にドストエフスキー絡みのものを読んだりしていた方が良いとは思うのですけれども、何だかんだで古典は読むのにいつも以上にパワーを必要としてしまうので、しょっちゅうは読んでいられないと。
『罪と罰』に関してはすでに一度読んでいますが、それは新潮文庫版の工藤精一郎訳であり、今回読んだのは光文社古典新訳文庫版で亀山郁夫訳という違いはあります。
新訳版の方がより現代的な読みやすさ重視であったり、訳者の研究が進んでいたりで解釈が新たになっていたりとありますが、正直連続で読んでいるわけではないので細かな解釈の違いということについては気がつきません、最大の違いを感じるのが新潮文庫だと上下巻だったのが光文社古典新訳文庫版だと3巻になっているという事だったり、後書きや開設に当たる部分の違いだったり。
ロシアの文豪ドストエフスキーという感じで紹介されることが多いと思いますが、文学作品として必要以上に構えない方が良いんじゃ無いかと言うのが、文学作品を真面目に真摯に読まなければいけないという考えを持っていないエンターテインメント読みな私のドストエフスキー感であったりします。
その中でもこの『罪と罰』という作品、衒学的なミステリー小説として読めば肩肘張らずに楽しめるんじゃないかというのが、最初に読んだ時から思い続けている感想です。
主人公である、極貧の元大学生であるロジオン・ロマヌーイチ・ラスコリーニコフが、質屋で金貸しである老女の殺害を考え実行し、殺人犯として現行犯で捕まっておかしくない状況から脱出成功するという、犯人視点のミステリー小説といってしまってもいいのではないかと。
殺人動機の1つに、選ばれた人間は法律を超えた所にあり、ナポレオンのように多くの人を殺したとしても英雄として許される資質を持っているとする思想があったり、犯罪を行う前も行った後も、ある種の自意識過剰による発狂であるとか、論理の暴走による人々との討論であるとか、明確な探偵こそいないものの、ミステリー小説の古典の1つ、もしくは中二病主人公の1つの原型として後世のエンターテインメントに多大な影響を与えた作品という評価をもっと前面に押し出しても良いのではないかと思える作品ですね。
あまり、そういった評価はされないと思いますが。
文学作品としては、19世紀後半のロシア、農奴解放という自由が与えられたが、むしろ与えられた自由のせいで貧乏人だらけになってしまっているというあたり、市場原理主義的な経済状況の現代と似通っている部分もあり、19世紀末も21世紀初頭も実はそれほど価値観に大差はなく、古典作品の普遍的な強さを感じたりもしますが、当時の人にしか分からない小ネタもふんだんに盛り込まれているというのは、作品そのものを読んで気付くというよりも、解説に記されていることですが、暗喩する事によって気付く人には気付くという作り方によって、歴史的な出来事を後世に伝えるという意味で面白さもあります。
大長編といってもいいくらい長い作品ですので、気楽に読むにはハードルが高い作品だと思いますが、仮にこの作品を読んで読書感想文の宿題に使おうという人がいるのならば、作品を読んで感動したから、自分もラスコリーニコフのような人になりたいというような感想を仕立てて欲しいと思いますね、もしくはラスコリーニコフの考える犯罪論に共感し、このナポレオン的な人間とは自分の事を指しているんだと思いましたみたいな感想でも構わないですね。