今日の読書 かくて行動経済学は生まれり/マイケル・ルイス著 度会圭子訳 阿部重夫解説
メジャーリーグの中で貧乏球団であるアスレチックスが独自の統計数字を元にチーム編成をして成功したという事を扱った『マネーボール』の著者が、『マネーボール』とは要するに行動経済学だよねという反応があり、指摘されるまで行動経済学を知らなかった著者が行動経済学の生みの親である2人の天才であるダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーについて取材し、心理学を科学的に扱ってきたところから行動経済学に結びつく過程を物語として追っていくものになります。
いわゆる行動経済学の専門書ではなく、出来上がるまでを描いているため導入部は著者の大ヒット作であるマネーボールを元に、専門家が失敗する理由としてNBAのヒューストン・ロケッツのGMにスポットを当て、他のNBAのチームよりも先に統計学の手法を使いデータを集め、データで計りきれなかった失敗が起きるとさらに細かなデータを集めるという作業によって、成功例の1つとしてはドラフト下位指名でパトリック・ベバリーの指名を出来たこと、失敗例の1つとしては、専門家のバイアスによってアジア系プレイヤーでは身体能力に劣るとしてドラフト指名を見送ったジェレミー・リンがその後大ブレイクをして、データを取り直してみると実は俊敏性のデータが非常に優れた数字を出していたのに、まだデータとして生かす記録ではなかったために、指名を見送ったというもの。
多くの選手を見てきて、成功も失敗も予測がつけられそうなものなのに、得てして失敗するのは、見ている側にバイアスがかかってしまうから。
人は自分が信じたい方に物事を考える傾向はなかなか捨てにくく、NBAのドラフト候補の選手を見る場合でも、それぞれ似たタイプの選手と重ね合わせて考えてしまいがちであるので、ロケッツでは同じタイプの選手だと当てはめて考える場合に、同じ人種や似たような経歴の選手に例えて評価する事を禁止、誰に似ているかと考えるならば絶対に別の人種で例えるようにとしたところ、それだけで選手の評価にバイアスがかかる事を防ぐことが出来るようになったなど、個人的にはこれを読めただけでも十分面白く感じられるものを出してきて、人間が間違った判断をしがちであり、では何故間違った判断をするのか、間違った判断に傾向があるのかと突き詰めていく2人の天才学者の物語へともって行きます。
現在いわゆる主流派経済学理論で回してきた結果、理論と現実社会が乖離しているというのは明白となっています。
そもそも経済学の大前提として人は皆合理的に行動するというものを掲げて、だからこういう政策をすれば上手くいくんだという事にしていますが、現実の人間は合理的に行動し続けるわけではないというのは当たり前、しかし合理的ではないとした時点で理論構築が面倒になってしまうので、現実社会との乖離という問題点を横に置いて経済学理論のための経済学理論として研究し続けるという失敗への道を進んでしまいました。
まぁ経済学に限らず社会学系の学問の大半は、現実社会と乖離した状況であるのは、例えば政治学理論としてのリベラリズムの理想論が暴走して現実社会を破壊する勢いになっているなんていうのもありますし、こういうのも結局は人間の直感は間違うという大前提を元に理論構築し直せば、また変わってくるのかもしれないと思わずにはいられないですね。
行動経済学はまだまだ理論としては新しい分野といっていい物であり、私は面白いなと注目しているものですが、成立過程を追うことでまた余計に面白いと思えるようになり、もっと現実社会で応用されるようになるといいなぁと思わずにはいられなくなりましたね。
序 章 見落とされていた物語
第1章 専門家はなぜ判断を誤るのか
第2章 ダニエル・カーネマンは信用しない
第3章 エイモス・トヴィルスキーは発見する
第4章 無意識の世界を可視化する
第5章 直感は間違える
第6章 脳は記憶にだまされる
第7章 人はストーリーを求める
第8章 まず医療の現場が注目した
第9章 そして経済学も
第10章 説明のしかたで選択は変わる
第11章 終わりの始まり
第12章 最後の共同研究
第13章 そして行動経済学は生まれた
いわゆる行動経済学の専門書ではなく、出来上がるまでを描いているため導入部は著者の大ヒット作であるマネーボールを元に、専門家が失敗する理由としてNBAのヒューストン・ロケッツのGMにスポットを当て、他のNBAのチームよりも先に統計学の手法を使いデータを集め、データで計りきれなかった失敗が起きるとさらに細かなデータを集めるという作業によって、成功例の1つとしてはドラフト下位指名でパトリック・ベバリーの指名を出来たこと、失敗例の1つとしては、専門家のバイアスによってアジア系プレイヤーでは身体能力に劣るとしてドラフト指名を見送ったジェレミー・リンがその後大ブレイクをして、データを取り直してみると実は俊敏性のデータが非常に優れた数字を出していたのに、まだデータとして生かす記録ではなかったために、指名を見送ったというもの。
多くの選手を見てきて、成功も失敗も予測がつけられそうなものなのに、得てして失敗するのは、見ている側にバイアスがかかってしまうから。
人は自分が信じたい方に物事を考える傾向はなかなか捨てにくく、NBAのドラフト候補の選手を見る場合でも、それぞれ似たタイプの選手と重ね合わせて考えてしまいがちであるので、ロケッツでは同じタイプの選手だと当てはめて考える場合に、同じ人種や似たような経歴の選手に例えて評価する事を禁止、誰に似ているかと考えるならば絶対に別の人種で例えるようにとしたところ、それだけで選手の評価にバイアスがかかる事を防ぐことが出来るようになったなど、個人的にはこれを読めただけでも十分面白く感じられるものを出してきて、人間が間違った判断をしがちであり、では何故間違った判断をするのか、間違った判断に傾向があるのかと突き詰めていく2人の天才学者の物語へともって行きます。
現在いわゆる主流派経済学理論で回してきた結果、理論と現実社会が乖離しているというのは明白となっています。
そもそも経済学の大前提として人は皆合理的に行動するというものを掲げて、だからこういう政策をすれば上手くいくんだという事にしていますが、現実の人間は合理的に行動し続けるわけではないというのは当たり前、しかし合理的ではないとした時点で理論構築が面倒になってしまうので、現実社会との乖離という問題点を横に置いて経済学理論のための経済学理論として研究し続けるという失敗への道を進んでしまいました。
まぁ経済学に限らず社会学系の学問の大半は、現実社会と乖離した状況であるのは、例えば政治学理論としてのリベラリズムの理想論が暴走して現実社会を破壊する勢いになっているなんていうのもありますし、こういうのも結局は人間の直感は間違うという大前提を元に理論構築し直せば、また変わってくるのかもしれないと思わずにはいられないですね。
行動経済学はまだまだ理論としては新しい分野といっていい物であり、私は面白いなと注目しているものですが、成立過程を追うことでまた余計に面白いと思えるようになり、もっと現実社会で応用されるようになるといいなぁと思わずにはいられなくなりましたね。
序 章 見落とされていた物語
第1章 専門家はなぜ判断を誤るのか
第2章 ダニエル・カーネマンは信用しない
第3章 エイモス・トヴィルスキーは発見する
第4章 無意識の世界を可視化する
第5章 直感は間違える
第6章 脳は記憶にだまされる
第7章 人はストーリーを求める
第8章 まず医療の現場が注目した
第9章 そして経済学も
第10章 説明のしかたで選択は変わる
第11章 終わりの始まり
第12章 最後の共同研究
第13章 そして行動経済学は生まれた