今日の読書 行動経済学の逆襲/リチャード・セイラー
経済学に限らずですが、いわゆる社会科学系の学問は、現実社会を分析する学問であるはずです。
しかし、その分析結果が現実社会と乖離している事はままあるわけで、その時に一番頭の悪い言い訳は現実社会の方が間違っているというようなものですね、他国の場合は分かりませんが日本の場合、学者というか評論家というような肩書きとして正しいのかどうかよく分からないような人がメディアでしたり顔で分析を披露しておきながら、結果が大きく外れるような時に自分の分析がおかしかったというよりも、社会の方が間違っていると言いがち、とりたて選挙結果のように予想と結果が即座に分かるような物で、持論と大きく乖離する結果になればなるほど、そういう事を言いがちかなあと思うのですが、とかく社会科学系は絶対正しいという分析を提示するのは難しいなということで。
経済学というと、この本では最初に社会科学系の学問の中では一番花形であり、実際に政治分野に一番影響力があるという前書きに書かれていたりしますが、この前提が日本では当てはまらないというか、どうにも胡散臭いというか金儲け至上主義的な扱いを受け、一番政治分野に影響力を与えている社会科学系の学問は法学であり、日本の政治の問題点として法学部出身者が幅を利かせすぎ、法曹界出身者を必要以上に持ち上げすぎだと個人的に思っていて、むしろ弁護士出身の政治家ほど物事を対決や対立でしか考えない職業病に囚われている扱いをしてしまいますが、そえはそれとして別の話であり、また経済学を通ってきていても日本の場合アメリカと大きな違いは、団塊の世代以上は近代経済学を通るのでは無く、マルクス経済学を通ってきてしまっていて、経済政策決定に屁の役にも立っていないのが問題点だろうと思わずにはいられないのですが、それはまた別の話。
日本の場合、アメリカと比べて何周も遅れているのが、市場原理主義という言葉が小泉純一郎政権以降に使われはじめ、使われ始めたのは良いのですが、それが意味するところを理解しないまま罵倒語としてだけ使ったり、官民を単純に対立構造としてだけ見なして、官僚主導が絶対悪で、民間主導の方が間違いがない扱いにしてみたりと、その時々で誰を悪と見なしたいのかで使い分けているだけじゃないかと穿った見方しかできなくなっているのに頭を抱えざるを得ないのですが、それら全てをひっくるめて、裏を返せば何ならば絶対に成功するというものがあり得るという幻想を抱いているという事になるのでしょう。
理論経済学では、人は合理的に行動するので短期的に失敗に見えることが起きたとしても、修正されて収まるところにきちんと収まるという優秀な人々を前提に理論が構築されてきました。
特に、経済学が発展した大きな要素として数式で表されるようになると、それが顕著になり、数式に収まりの悪い要素、人間ってそんな合理的じゃないよねという疑問をきれいにスルーしてきて、理論が発展すればするほど現実と乖離する結果を招いてしまい、どうにも経済学を知らない人ほど胡散臭いものへとなってしまったのではないかと。
そういった、合理的な人々の集団で成り立つとされてきた理論経済学に対して、そんな現実と乖離した人間なんていないと、もっと人間がどう行動するのか分析した上で理論構築をしないといけないというのが行動経済学になります。
その行動経済学の進展というか筆者の研究の進展を時系列で追いながら、経済学理論への疑問から、それを明らかにするために研究してきた経過を書き留めていく方式で進むのですが、単に理論の説明では無く、その時々で起きたこと、ボロカス扱いされたであるとか、誰かの助けを借りたとか、実験前にたてた予測と違った結果になったとか、普通に読み物として面白く読める体裁になっています。
行動経済学というのはざっくり言うと、心理学の要素を経済学に組み込んでいくものであり、個人的に興味を持って関連する物を何冊か読んでいて、それなりに前知識はあるのですが、借りに前知識が無かったとしても、理解出来ない所はそれはそれとして、こういう研究をしている人がいて、こういう苦労をしたりしているんだねという読み方が出来るのではないかと思えて、結構人に薦めやすいかなって思えますね。
そして最後に今後の経済学期待することとして、行動経済学のマクロ経済学分野への応用というのが出てきますが、これは心底私は望んでいることだったりします。
第1部 エコンの経済学に疑問を抱く 1970~78年
第 1章 経済学にとって“無関係”なこと
第 2章 観戦チケットと保有効果
第 3章 黒板の「おかしな行動リスト」
第 4章 カーネマンの「価値理論」という衝撃
第 5章 “神”を追いかけて西海岸へ
第 6章 大御所から受けた「棒打ち刑」
第2部 メンタル・アカウンティングで行動を読み解く 1979~85年
第 7章 お得感とぼったくり感
第 8章 サンクコストは無視できない
第 9章 お金にラベルはつけられない?
第10章 勝っている時の心理、負けている時の心理
第3部 セルフコントロール問題に取り組む 1975~88年
第11章 いま消費するか、後で消費するか
第12章 自分の中にいる「計画者」と「実行者」
幕 間
第13章 行動経済学とビジネス戦略
第4部 カーネマンの研究室に入り浸る 1984~85年
第14章 何を「公正」と感じるか
第15章 不公正な人は罰したい
第16章 マグカップの「インスタント保有効果」
第5部 経済学者と闘う 1986~94年
第17章 論争の幕開け
第18章 アノマリーを連載する
第19章 最強チームの結成
第20章 「狭いフレーミング」は損になる
第6部 効率的市場仮説に抗う 1983~2003年
第21章 市場に勝つことはできない?
第22章 株式市場は過剰反応を起こす
第23章 勝ち組の方が負け組よりリスクが高い
第24章 価格は正しくない!
第25章 一物一価のウソ
第26章 市場は足し算と引き算ができない
第7部 シカゴ大学に赴任する 1995年~現在
第27章 「法と経済学」に挑む
第28章 研究室を「公正」に割り振る
第29章 ドラフト指名の不合理
第30章 ゲーム番組出場者の「おかしな行動」
第8部 意思決定をナッジする 2004年~現在
第31章 貯蓄を促す仕掛け
第32章 予測可能なエラーを減らす
第33章 行動科学とイギリス気鋭の政治家たち
終章 今後の経済学に期待すること
しかし、その分析結果が現実社会と乖離している事はままあるわけで、その時に一番頭の悪い言い訳は現実社会の方が間違っているというようなものですね、他国の場合は分かりませんが日本の場合、学者というか評論家というような肩書きとして正しいのかどうかよく分からないような人がメディアでしたり顔で分析を披露しておきながら、結果が大きく外れるような時に自分の分析がおかしかったというよりも、社会の方が間違っていると言いがち、とりたて選挙結果のように予想と結果が即座に分かるような物で、持論と大きく乖離する結果になればなるほど、そういう事を言いがちかなあと思うのですが、とかく社会科学系は絶対正しいという分析を提示するのは難しいなということで。
経済学というと、この本では最初に社会科学系の学問の中では一番花形であり、実際に政治分野に一番影響力があるという前書きに書かれていたりしますが、この前提が日本では当てはまらないというか、どうにも胡散臭いというか金儲け至上主義的な扱いを受け、一番政治分野に影響力を与えている社会科学系の学問は法学であり、日本の政治の問題点として法学部出身者が幅を利かせすぎ、法曹界出身者を必要以上に持ち上げすぎだと個人的に思っていて、むしろ弁護士出身の政治家ほど物事を対決や対立でしか考えない職業病に囚われている扱いをしてしまいますが、そえはそれとして別の話であり、また経済学を通ってきていても日本の場合アメリカと大きな違いは、団塊の世代以上は近代経済学を通るのでは無く、マルクス経済学を通ってきてしまっていて、経済政策決定に屁の役にも立っていないのが問題点だろうと思わずにはいられないのですが、それはまた別の話。
日本の場合、アメリカと比べて何周も遅れているのが、市場原理主義という言葉が小泉純一郎政権以降に使われはじめ、使われ始めたのは良いのですが、それが意味するところを理解しないまま罵倒語としてだけ使ったり、官民を単純に対立構造としてだけ見なして、官僚主導が絶対悪で、民間主導の方が間違いがない扱いにしてみたりと、その時々で誰を悪と見なしたいのかで使い分けているだけじゃないかと穿った見方しかできなくなっているのに頭を抱えざるを得ないのですが、それら全てをひっくるめて、裏を返せば何ならば絶対に成功するというものがあり得るという幻想を抱いているという事になるのでしょう。
理論経済学では、人は合理的に行動するので短期的に失敗に見えることが起きたとしても、修正されて収まるところにきちんと収まるという優秀な人々を前提に理論が構築されてきました。
特に、経済学が発展した大きな要素として数式で表されるようになると、それが顕著になり、数式に収まりの悪い要素、人間ってそんな合理的じゃないよねという疑問をきれいにスルーしてきて、理論が発展すればするほど現実と乖離する結果を招いてしまい、どうにも経済学を知らない人ほど胡散臭いものへとなってしまったのではないかと。
そういった、合理的な人々の集団で成り立つとされてきた理論経済学に対して、そんな現実と乖離した人間なんていないと、もっと人間がどう行動するのか分析した上で理論構築をしないといけないというのが行動経済学になります。
その行動経済学の進展というか筆者の研究の進展を時系列で追いながら、経済学理論への疑問から、それを明らかにするために研究してきた経過を書き留めていく方式で進むのですが、単に理論の説明では無く、その時々で起きたこと、ボロカス扱いされたであるとか、誰かの助けを借りたとか、実験前にたてた予測と違った結果になったとか、普通に読み物として面白く読める体裁になっています。
行動経済学というのはざっくり言うと、心理学の要素を経済学に組み込んでいくものであり、個人的に興味を持って関連する物を何冊か読んでいて、それなりに前知識はあるのですが、借りに前知識が無かったとしても、理解出来ない所はそれはそれとして、こういう研究をしている人がいて、こういう苦労をしたりしているんだねという読み方が出来るのではないかと思えて、結構人に薦めやすいかなって思えますね。
そして最後に今後の経済学期待することとして、行動経済学のマクロ経済学分野への応用というのが出てきますが、これは心底私は望んでいることだったりします。
第1部 エコンの経済学に疑問を抱く 1970~78年
第 1章 経済学にとって“無関係”なこと
第 2章 観戦チケットと保有効果
第 3章 黒板の「おかしな行動リスト」
第 4章 カーネマンの「価値理論」という衝撃
第 5章 “神”を追いかけて西海岸へ
第 6章 大御所から受けた「棒打ち刑」
第2部 メンタル・アカウンティングで行動を読み解く 1979~85年
第 7章 お得感とぼったくり感
第 8章 サンクコストは無視できない
第 9章 お金にラベルはつけられない?
第10章 勝っている時の心理、負けている時の心理
第3部 セルフコントロール問題に取り組む 1975~88年
第11章 いま消費するか、後で消費するか
第12章 自分の中にいる「計画者」と「実行者」
幕 間
第13章 行動経済学とビジネス戦略
第4部 カーネマンの研究室に入り浸る 1984~85年
第14章 何を「公正」と感じるか
第15章 不公正な人は罰したい
第16章 マグカップの「インスタント保有効果」
第5部 経済学者と闘う 1986~94年
第17章 論争の幕開け
第18章 アノマリーを連載する
第19章 最強チームの結成
第20章 「狭いフレーミング」は損になる
第6部 効率的市場仮説に抗う 1983~2003年
第21章 市場に勝つことはできない?
第22章 株式市場は過剰反応を起こす
第23章 勝ち組の方が負け組よりリスクが高い
第24章 価格は正しくない!
第25章 一物一価のウソ
第26章 市場は足し算と引き算ができない
第7部 シカゴ大学に赴任する 1995年~現在
第27章 「法と経済学」に挑む
第28章 研究室を「公正」に割り振る
第29章 ドラフト指名の不合理
第30章 ゲーム番組出場者の「おかしな行動」
第8部 意思決定をナッジする 2004年~現在
第31章 貯蓄を促す仕掛け
第32章 予測可能なエラーを減らす
第33章 行動科学とイギリス気鋭の政治家たち
終章 今後の経済学に期待すること