今日の読書 南朝研究の最前線 ここまでわかった「建武の新政」から後南朝まで/日本史史料研究会監修 呉座勇一編
タイトルそのままに最新の南朝研究で分かった事を、過去定説としてきたものと照らし合わせ、過去定説化したものの理由を分析し定説が陥ってしまった錯誤とそれを検証し直した結果を新たに出していくというものですね。
正直私が歴史について詳しいわけではなく、定説も表面的な薄っぺらい知識しかないので、新たな説を出されても、それがどれだけどう評価出来るのかというと全く分からないのですが、全体としてこの時代を検証する上で囚われてしまっているものは、『太平記』史観と皇国史観であると分かれば、研究者ではなく一般人としてはいいのかなと勝手に思っておきます。
『太平記』は物語なので、一次史料として使えば間違いであるというのは重々承知されているにも関わらず、人物評価であるとか、それぞれの行動基準や当時の価値観というものについては、どうしても引っ張られるところがあって、それをそのまま裏付けるか、もしくは歴史は勝者によって書き記されるというものを意識して、書かれている評価とは全く別の評価を探そうとしてしまい過ぎるという、良くも悪くも引っ張られてしまっている事が多いというもの。
皇国史観に関しては、南北朝時代の正当な流れは南朝であると決めてしまったがため、足利尊氏は逆臣、楠木正成は希代の英雄というような評価が固定的にせざるを得なくなったり、明治から戦前まで皇国史観をより強めるため、南朝の正当性を強めるような歴史観を作り上げなければならなくなったり、逆に反動で戦後は皇国史観を真っ当ではないという価値固定化を出発点にし過ぎて、足利尊氏再評価と楠木正成は過大評価扱いなど行ってしまってきたというもので、皇国史観の呪縛からどれだけ逃れて歴史を見直せるかというのが重要になっていると。
南北朝時代が今ひとつ有名になりきらないのが、それこそ皇国史観の呪縛、第二次世界大戦を挟んでの極論から極論に振り切ってしまったという事があると思いますし、共に歴史のイデオロギー利用という意味では害悪でしかないよなぁと溜息をつきたくなりますが、好き嫌い横に置けば、歴史の政治利用というのは古今東西逃れられない物になってしまっていますし、だからこそ、歴史を知っておかなければいけないんだろうと思わずにはいられないですね。
この時代、入り乱れていて結構わけが分からない物になっていますが、エンターテインメントの題材としては埋もれさせておくには勿体ないと思うので、本当に政治利用されてしまっているのが勿体ないと。
はじめに──建武政権・南朝の実像を見極める 呉座勇一
第1部 建武政権とは何だったのか
【鎌倉時代後期の朝幕関係】
1 朝廷は、後醍醐以前から改革に積極的だった! 中井裕子
【建武政権の評価】
2「建武の新政」は、反動的なのか、進歩的なのか? 亀田俊和
【建武政権の官僚】
3 建武政権を支えた旧幕府の武家官僚たち 森 幸夫
【後醍醐と尊氏の関係】
4 足利尊氏は「建武政権」に不満だったのか? 細川重男
第2部 南朝に仕えた武将たち
【北条氏と南朝】
5鎌倉幕府滅亡後も、戦いつづけた北条一族 鈴木由美
【新田氏と南朝】
6 新田義貞は、足利尊氏と並ぶ「源家嫡流」だったのか? 谷口雄太
【北畠氏と南朝】
7 北畠親房は、保守的な人物だったのか? 大薮 海
【楠木氏と南朝】
8 楠木正成は、本当に〝異端の武士〟だったのか? 生駒孝臣
第3部 南朝の実像
【建武政権・南朝の恩賞政策】
9 建武政権と南朝は、武士に冷淡だったのか? 花田卓司
【南朝に仕えた廷臣たち】
10 文書行政からみた〈南朝の忠臣〉は誰か? 杉山 巖
【中世の宗教と王権】
11 後醍醐は、本当に〈異形〉の天皇だったのか? 大塚紀弘
第4部 南朝のその後
【関東・奥羽情勢と南北朝内乱】
12 鎌倉府と「南朝方」の対立関係は、本当にあったのか? 石橋一展
【南朝と九州】
13「征西将軍府」は、独立王国を目指していたのか? 三浦龍昭
【南北朝合一と、その後】
14「後南朝」の再興運動を利用した勢力とは? 久保木圭一
【平泉澄と史学研究】
15 戦前の南北朝時代研究と皇国史観 生駒哲郎
正直私が歴史について詳しいわけではなく、定説も表面的な薄っぺらい知識しかないので、新たな説を出されても、それがどれだけどう評価出来るのかというと全く分からないのですが、全体としてこの時代を検証する上で囚われてしまっているものは、『太平記』史観と皇国史観であると分かれば、研究者ではなく一般人としてはいいのかなと勝手に思っておきます。
『太平記』は物語なので、一次史料として使えば間違いであるというのは重々承知されているにも関わらず、人物評価であるとか、それぞれの行動基準や当時の価値観というものについては、どうしても引っ張られるところがあって、それをそのまま裏付けるか、もしくは歴史は勝者によって書き記されるというものを意識して、書かれている評価とは全く別の評価を探そうとしてしまい過ぎるという、良くも悪くも引っ張られてしまっている事が多いというもの。
皇国史観に関しては、南北朝時代の正当な流れは南朝であると決めてしまったがため、足利尊氏は逆臣、楠木正成は希代の英雄というような評価が固定的にせざるを得なくなったり、明治から戦前まで皇国史観をより強めるため、南朝の正当性を強めるような歴史観を作り上げなければならなくなったり、逆に反動で戦後は皇国史観を真っ当ではないという価値固定化を出発点にし過ぎて、足利尊氏再評価と楠木正成は過大評価扱いなど行ってしまってきたというもので、皇国史観の呪縛からどれだけ逃れて歴史を見直せるかというのが重要になっていると。
南北朝時代が今ひとつ有名になりきらないのが、それこそ皇国史観の呪縛、第二次世界大戦を挟んでの極論から極論に振り切ってしまったという事があると思いますし、共に歴史のイデオロギー利用という意味では害悪でしかないよなぁと溜息をつきたくなりますが、好き嫌い横に置けば、歴史の政治利用というのは古今東西逃れられない物になってしまっていますし、だからこそ、歴史を知っておかなければいけないんだろうと思わずにはいられないですね。
この時代、入り乱れていて結構わけが分からない物になっていますが、エンターテインメントの題材としては埋もれさせておくには勿体ないと思うので、本当に政治利用されてしまっているのが勿体ないと。
はじめに──建武政権・南朝の実像を見極める 呉座勇一
第1部 建武政権とは何だったのか
【鎌倉時代後期の朝幕関係】
1 朝廷は、後醍醐以前から改革に積極的だった! 中井裕子
【建武政権の評価】
2「建武の新政」は、反動的なのか、進歩的なのか? 亀田俊和
【建武政権の官僚】
3 建武政権を支えた旧幕府の武家官僚たち 森 幸夫
【後醍醐と尊氏の関係】
4 足利尊氏は「建武政権」に不満だったのか? 細川重男
第2部 南朝に仕えた武将たち
【北条氏と南朝】
5鎌倉幕府滅亡後も、戦いつづけた北条一族 鈴木由美
【新田氏と南朝】
6 新田義貞は、足利尊氏と並ぶ「源家嫡流」だったのか? 谷口雄太
【北畠氏と南朝】
7 北畠親房は、保守的な人物だったのか? 大薮 海
【楠木氏と南朝】
8 楠木正成は、本当に〝異端の武士〟だったのか? 生駒孝臣
第3部 南朝の実像
【建武政権・南朝の恩賞政策】
9 建武政権と南朝は、武士に冷淡だったのか? 花田卓司
【南朝に仕えた廷臣たち】
10 文書行政からみた〈南朝の忠臣〉は誰か? 杉山 巖
【中世の宗教と王権】
11 後醍醐は、本当に〈異形〉の天皇だったのか? 大塚紀弘
第4部 南朝のその後
【関東・奥羽情勢と南北朝内乱】
12 鎌倉府と「南朝方」の対立関係は、本当にあったのか? 石橋一展
【南朝と九州】
13「征西将軍府」は、独立王国を目指していたのか? 三浦龍昭
【南北朝合一と、その後】
14「後南朝」の再興運動を利用した勢力とは? 久保木圭一
【平泉澄と史学研究】
15 戦前の南北朝時代研究と皇国史観 生駒哲郎