今日の読書 連続殺人鬼カエル男/中山七里
中山千里のデビュー作の『さよならドビッシュー』はこのミステリーがすごい!大賞2009年の大賞作品になりますが、その時に同時に応募し高い評価を得た『厄災の街』を改題した作品になります。
『さよならドビュッシー』が青春ミステリーという事で作品のクオリティとしては変わらないけれども一般受けするとの判断で受賞する事になりましたが、こっちは一般受けではやや劣るというか、読む人を一定以上選んでしまうサイコスリラーテイストの作品になります。
飯能で起きた猟奇殺人事件は、あまりにも常軌を逸しているので刑法三十九条により責任能力を問われない心神喪失者、異常者による犯行ではないかと世論を騒がせることになるも、その世論やマスメディアの対応も下世話な方向に行きそうなネタがあるにも関わらず、恐怖のため論調もいつもとは違うようになるほどのもの。
精神異常者が犯人かもという事で、サイコスリラーな方向、刑法三十九条を中心に罪に問われないで犯人が一般社会に戻ってくる意味、連続殺人鬼という事で殺人がなぜ連続するのか、連続する意味は何なのかという本格ミステリーの要素とサイコスリラーと社会派ミステリーと本格ミステリー、さらにクラシック音楽という中山七里作品に頻出する要素と、最後の最後まで話しがひっくり返りまくる要素、といったものを詰め込めるだけ詰め込み、それでいてしっかりまとめ上げている作品になります。
ミュージシャンやバンドなどは、時間がありそれまでの蓄積を詰め込めるだけ詰め込めるためにデビュー作が一番良かった、セカンドアルバム以降残念な結果になって尻すぼみになってしまったという例がよくありますが、この作品もデビュー前の応募作というのも関係するのか詰め込めるだけ詰め込みましたという感じになっているのですが、小説の場合詰め込めるだけ詰め込むことが必ずしも正解ではなく、詰め込みすぎて消化不良やとっちらかった印象を残すこともあるのに対し、それに関してはしっかりまとまっている感じあり楽しめますね。
若干、世論のあり方というか事件を受け手の社会のパニック状態が現実感としてどうかなぁというのも気にはかかりますが、それはそれとして問題なく楽しめる範疇だと思います。
ただ、タイトルのカエル男っていうのは、いくら連続殺人鬼というのが先についていてもあまりサイコサスペンスのタイトルっぽく思えないのは、愛媛にいるカエルの影響かもしれない。
『さよならドビュッシー』が青春ミステリーという事で作品のクオリティとしては変わらないけれども一般受けするとの判断で受賞する事になりましたが、こっちは一般受けではやや劣るというか、読む人を一定以上選んでしまうサイコスリラーテイストの作品になります。
飯能で起きた猟奇殺人事件は、あまりにも常軌を逸しているので刑法三十九条により責任能力を問われない心神喪失者、異常者による犯行ではないかと世論を騒がせることになるも、その世論やマスメディアの対応も下世話な方向に行きそうなネタがあるにも関わらず、恐怖のため論調もいつもとは違うようになるほどのもの。
精神異常者が犯人かもという事で、サイコスリラーな方向、刑法三十九条を中心に罪に問われないで犯人が一般社会に戻ってくる意味、連続殺人鬼という事で殺人がなぜ連続するのか、連続する意味は何なのかという本格ミステリーの要素とサイコスリラーと社会派ミステリーと本格ミステリー、さらにクラシック音楽という中山七里作品に頻出する要素と、最後の最後まで話しがひっくり返りまくる要素、といったものを詰め込めるだけ詰め込み、それでいてしっかりまとめ上げている作品になります。
ミュージシャンやバンドなどは、時間がありそれまでの蓄積を詰め込めるだけ詰め込めるためにデビュー作が一番良かった、セカンドアルバム以降残念な結果になって尻すぼみになってしまったという例がよくありますが、この作品もデビュー前の応募作というのも関係するのか詰め込めるだけ詰め込みましたという感じになっているのですが、小説の場合詰め込めるだけ詰め込むことが必ずしも正解ではなく、詰め込みすぎて消化不良やとっちらかった印象を残すこともあるのに対し、それに関してはしっかりまとまっている感じあり楽しめますね。
若干、世論のあり方というか事件を受け手の社会のパニック状態が現実感としてどうかなぁというのも気にはかかりますが、それはそれとして問題なく楽しめる範疇だと思います。
ただ、タイトルのカエル男っていうのは、いくら連続殺人鬼というのが先についていてもあまりサイコサスペンスのタイトルっぽく思えないのは、愛媛にいるカエルの影響かもしれない。