今日の読書 不道徳な見えざる手/ジョージ・A・アカロフ、ロバート・J・シラー
自由市場は人間の弱みにつけ込むという副題のついた、ノーベル賞受賞経済学者による、自由市場はそれに任せていれば良い形に均衡するというのはウソだという事を釣り師とカモの関係に例えて説明したものになります。
ノーベル経済学賞を同時に受賞したジョセフ・スティグリッツは翻訳された著書も多く、実社会の問題提起という事もあり、結構目を通しているので、市場こそが至上という市場原理主義批判としての情報の非対称性という事では基本線は一緒ですが、扱い方が別アプローチという意味では興味深く読むことが出来ました。
自由主義経済は、制度として多くの恩恵を生み出していることは事実だが、同時にいわゆる定義されている市場の失敗以外にも問題点が内包されていて、その内包されている問題点というのは、基本的に稼ぐという事は他人の利益のために働くということではなく、自分の利益のためであり、その自分の利益のためには他人からぼったくってかすめ取る方に向かうように制度が仕向けられているという事。
釣り師とカモの関係というのも、ずる賢い悪人が善良なバカをだますと言うような単純な関係ではなく、自称優秀な人間であったとしても簡単に釣られるような構造であり、実際に自分もそういった経験をしているとしていくつか例を示しています。
基本的にアメリカでの事例の検証ですので、日本との違いを感じる部分もあったり(アメリカの経済関係のものを読むと、市場への信頼感が日本よりも高いことが前提としてあったり、市場の失敗例が政府や官僚の失敗例があまり検証されないなど逆転現象があるので)ちょっと何でもかんでも、釣り師とカモという世の中こんなにぼったくられているとまとめるのも、それはそれで単純化しすぎかなって思ったりもしますが、これは私が意図的に市場原理主義批判を目的としたアメリカの経済関係のものを読んでいるので、前知識があったりするからという影響もありそうですね。
アメリカの何でもかんでもぼったくり感、日本ではそれほど感じないと思うのは日本が他国に類を見ないデフレスパイラルに慣れきっていること、逆にアメリカはバブルがしょっちゅう弾けている、弾けるだけのバブルがしょっちゅう作られるという、懲りない状況があるという国民性の違いなのか文化的な違いなのか、バカじゃないかと思う反面羨ましくもある、日本にもアメリカの1/3くらいバブルに持っていくくらいのノリがあればいいのにと思う状況があるからなんでしょうが・・・
日本だと釣りとカモの検証に使うのならば、パチンコのような立地条件が良い場所に大量にあり誰にでも簡単にできてしまうギャンブルの害悪であるとか、ソーシャルゲームの大量課金なんていう問題は同じ事例の延長線上で簡単にできそうだなというのがありますが、社会全体の問題、デフレスパイラルを引き起こしている釣りとカモの理論に当てはめるならば、労働環境、サービス残業であるとか、ブラック企業、インフレをハイパーインフレかスタグフレーションのどちらしかないかのように誘導したり、欲しがりません勝つまでは理論が大好きで赤字財政を絶対悪と価値固定しているようなマスメディアあたりは十分に検証対象になるんじゃないかなって思ったりします。
日本では自覚的な市場原理主義者というのはそれほど多いとは思わないですが(無自覚では多そうですが)全肯定するっていうのは、それはそれで違うというのを知るには比較的読みやすいんじゃないですかね、少なくともノーベル経済学賞だから難しそうというのは全くありません、若干アメリカと日本との違いに慣れるのが面倒というくらいで。
まえがき 経済はごまかしに満ちている
序章 みんな操作されてしまう:釣りの経済学
第1部 釣り均衡を考える
第1章 人生至るところ誘惑だらけ
第2章 評判マイニングと金融危機
第2部 あちこちにある釣り
第3章 広告業者、人の弱点を突く方法を発見
第4章 自動車、住宅、クレジットカードをめぐるぼったくり
第5章 政治でも見られる釣り
第6章 食品、医薬品での釣り
第7章 イノベーション:よいもの、悪いもの、醜いもの
第8章 たばこと酒と釣り均衡
第9章 倒産して儲けを得る
第10章 マイケル・ミルケンがジャンクボンドを餌に釣り
第11章 釣りと戦う英雄たち
第3部 自由市場の裏面
結論 自由市場のすばらしい物語を見直そう
あとがき 釣り均衡の重要性
ノーベル経済学賞を同時に受賞したジョセフ・スティグリッツは翻訳された著書も多く、実社会の問題提起という事もあり、結構目を通しているので、市場こそが至上という市場原理主義批判としての情報の非対称性という事では基本線は一緒ですが、扱い方が別アプローチという意味では興味深く読むことが出来ました。
自由主義経済は、制度として多くの恩恵を生み出していることは事実だが、同時にいわゆる定義されている市場の失敗以外にも問題点が内包されていて、その内包されている問題点というのは、基本的に稼ぐという事は他人の利益のために働くということではなく、自分の利益のためであり、その自分の利益のためには他人からぼったくってかすめ取る方に向かうように制度が仕向けられているという事。
釣り師とカモの関係というのも、ずる賢い悪人が善良なバカをだますと言うような単純な関係ではなく、自称優秀な人間であったとしても簡単に釣られるような構造であり、実際に自分もそういった経験をしているとしていくつか例を示しています。
基本的にアメリカでの事例の検証ですので、日本との違いを感じる部分もあったり(アメリカの経済関係のものを読むと、市場への信頼感が日本よりも高いことが前提としてあったり、市場の失敗例が政府や官僚の失敗例があまり検証されないなど逆転現象があるので)ちょっと何でもかんでも、釣り師とカモという世の中こんなにぼったくられているとまとめるのも、それはそれで単純化しすぎかなって思ったりもしますが、これは私が意図的に市場原理主義批判を目的としたアメリカの経済関係のものを読んでいるので、前知識があったりするからという影響もありそうですね。
アメリカの何でもかんでもぼったくり感、日本ではそれほど感じないと思うのは日本が他国に類を見ないデフレスパイラルに慣れきっていること、逆にアメリカはバブルがしょっちゅう弾けている、弾けるだけのバブルがしょっちゅう作られるという、懲りない状況があるという国民性の違いなのか文化的な違いなのか、バカじゃないかと思う反面羨ましくもある、日本にもアメリカの1/3くらいバブルに持っていくくらいのノリがあればいいのにと思う状況があるからなんでしょうが・・・
日本だと釣りとカモの検証に使うのならば、パチンコのような立地条件が良い場所に大量にあり誰にでも簡単にできてしまうギャンブルの害悪であるとか、ソーシャルゲームの大量課金なんていう問題は同じ事例の延長線上で簡単にできそうだなというのがありますが、社会全体の問題、デフレスパイラルを引き起こしている釣りとカモの理論に当てはめるならば、労働環境、サービス残業であるとか、ブラック企業、インフレをハイパーインフレかスタグフレーションのどちらしかないかのように誘導したり、欲しがりません勝つまでは理論が大好きで赤字財政を絶対悪と価値固定しているようなマスメディアあたりは十分に検証対象になるんじゃないかなって思ったりします。
日本では自覚的な市場原理主義者というのはそれほど多いとは思わないですが(無自覚では多そうですが)全肯定するっていうのは、それはそれで違うというのを知るには比較的読みやすいんじゃないですかね、少なくともノーベル経済学賞だから難しそうというのは全くありません、若干アメリカと日本との違いに慣れるのが面倒というくらいで。
まえがき 経済はごまかしに満ちている
序章 みんな操作されてしまう:釣りの経済学
第1部 釣り均衡を考える
第1章 人生至るところ誘惑だらけ
第2章 評判マイニングと金融危機
第2部 あちこちにある釣り
第3章 広告業者、人の弱点を突く方法を発見
第4章 自動車、住宅、クレジットカードをめぐるぼったくり
第5章 政治でも見られる釣り
第6章 食品、医薬品での釣り
第7章 イノベーション:よいもの、悪いもの、醜いもの
第8章 たばこと酒と釣り均衡
第9章 倒産して儲けを得る
第10章 マイケル・ミルケンがジャンクボンドを餌に釣り
第11章 釣りと戦う英雄たち
第3部 自由市場の裏面
結論 自由市場のすばらしい物語を見直そう
あとがき 釣り均衡の重要性