今日のキュウレンジャー総括
昨日でキュウレンジャーは最終回を迎えたということで、一応恒例にしている総括を書いておこうかなと思います。
戦隊シリーズは基本的にやらなければいけないお約束が多く、様式美的なお決まりの流れの中で手を変え品を変え継続してきたシリーズですが、決まりが多いが故に数年に一度はどこまでお決まりの枠そのものに変化をつけることが可能かというのを調べるために、分かりやすい実験作を作っています。
実験作とそうではない、王道作はどう分けて考えるかというと、人によってこれは実験作だった、これは王道作だったと感じ方が変わると思いますし、どの作品にも多かれ少なかれ実験要素はあるのですが、少なくともキュウレンジャーに関しては実験作だという扱いに対し反対する意見は恐らく無いと思います。
なにしろ、レギュラー戦士が開始時点で9人と発表されていて、そのうち4人はいわゆる人間体なしの着ぐるみから変身、変身後の姿も色違いや個別にデザインが微妙に違うというのが慣例の中、造形的にも別物感あふれるものまであるという外見的に露骨に実験要素を前面に出していまいしたから。
個人的に実験作だという視点で見る作品に関しては、最初からある程度作品の完成度に関してハードルを下げて見るようにしています。
仮にその作品内で上手く消化しきれない要素があったとして、それを踏まえた後継作に良いところ取りを出来るように持って行けるか、また実験したけれども上手くいかなかったと判断されたものは、それはそれで上手くいかなかった部分を無理があったと実験失敗ということにするか、微調整をすれば大丈夫という風にするか、とにかく実験作という前提で次に繋げることそのものが重要であり、仮に作品として捨て石になったとしても意味があるものにしていけばいいという考え方にしています。
何回も書いていると思いますが、個人的には戦隊はメンバーが力を合わせて戦うからこそ醍醐味であるという前提からバランス至上主義(テンビンゴールド至上主義ではない)傾向があります。
それぞれの性格や戦闘能力において得手不得手があり、それを上手く組み合わせる事によって勝利する、誰か1人が突出し過ぎて、他の人がいるだけになるという状況は好ましくない、それぞれがメインになる話に偏りが無い事が好ましく、仮にメインではないメンバーであってもなにがしかに話に絡めるようにする、2人メインとなるような話の場合は、その組み合わせによって普段とは違う面が出るような話があったりするとより好ましいなどの個人的な好みがあります。
ある程度前置きを書きましたが、ぞれを踏まえるとキュウレンジャーに関しては、何よりも人数が多すぎたという結論にならざるを得ません。
これは、実験としてメインが何人までならば上手く回せるかというのを計るために通常より極端に増やしたというのもあるのでしょうから、これを踏まえて増やせば良いというものでは無かったと結論づける事は期待しておきます。
そして、増やしすぎてそれぞれのキャラクターが上手く回せなかったというなか、さらに足を引っ張った結果は、優遇しているキャラとそうではないキャラの差が激しすぎるという事になりますね。
何よりもラッキーは、幸運の持ち主という事でそれはそれでいいですし、何でも前向きに動く事によって運が勝手に向かってくるというような事は、幼児に向けてのメッセージとしては十分に意味があるというのは理解していますし、狙いもある程度果たしているという評価を与えることは出来ますが、1人だけパワーアップイベントがありすぎ。
ペガサスキュータマのペガさん、ヒカリキュータマと1人だけ特殊なキュータマを使用していましたが、ラスト近辺になって、パワーアップイベント皆無だったスパーダとハミィがいきなり使っていて、使えるならば最後に思い出したように使わないで、最初からその2人用に使わせてあげれば良かったんじゃないかと言うツッコミを本編中にしたりもしました。
ツルギの元仲間であるオライオンの血を引き継ぎシシレッドオリオンにパワーアップ可能であったり、実は惑星カイエンの王を父に持っているという設定が追加されたり、これだけ人数が多いのにも関わらず、ラッキーにいろいろなものが集中していくという展開は、もう少し何とかできなかったものかというのが本音ですね。
スティンガーには兄との因縁で話を引っ張ったり、ナーガには闇墜ちというイベントをしたりと見せ場がありましたが、それと比べて本気で本編中出番が少ないことをいじられるくらいしか無かったガルであるとか、とりたてて長期に絡むような個人的な話が作られなかったスパーダ、ハミィ、ラプターとの差が何ともねぇと。
初期の頃は5人出撃するという制限をつけていて、キューレットで出番を決めていましたが、これが得手不得手に関係無い組み合わせにしているというのは、そのものは狙いとしては分かりますが、生かし切れなかったというか、組み合わせによってそれぞれのキャラクターについていろいろな面を出しきれなかったのは改めて痛かったというか、むしろ最初から得手不得手ではっきり色分けしてしまった方が、良かったというか中盤以降にキューレットに関係無く別行動するようになり、潜入ならばバランスとナーガのBN団が行うとかをやっていたりとか、スティンガーとチャンプの相棒にスティンガーを兄貴扱いの小太郎のユニットであるとか、そういう分け方をしていたことを考えると、多人数だからこそ逆に小ユニットの集合体に開き直ってやっておいた方が結果的に良かったのかもと考えてみたりもします。
基本的に、人数多すぎ問題はしっかりまとめるにはハードルが高すぎたという事で実験としては失敗扱いにしておきたいです。
多人数という事で、敵もそれに併せてスケールを大きくしないといけないとして、今回の敵であるジャークマターは宇宙を支配しているという壮大過ぎるものを設定しました。
そのため、キューレンジャーは宇宙を移動しながら戦うということにし、地球はそのうちの1つであり長居する事になりましたが、拠点とする理由としてジャークマターが集めてるプラネジュームが豊富だからということにして、たまに移動、もしくは誰かが目的によって移動というスタイルになりました。
壮大にするのは悪いことでは無いのですが、これはこれで消化不良を起こしていたというか組織として巨大すぎるという描写以外の部分、直接対峙する組織としては今ひとつになってしまったかなって。
いろいろと思わせぶりにしている伏線が今ひとつ生かし切れなかったと感じてしまうというのもあったかもしれないですね。
スティンガーの兄スコルピオは初期の敵としては兄弟対決として、キュウレンジャーの幹部級の敵としては上手く決着が付いたとは思いますが、イカーゲンは思いの外あっさり弱体化して、これで決着でいいんだというくらい急遽決着がついた印象がありますし、その後を引き継いだフクショーグン3人も下手に過去に倒したはずというネタをいれたために、過去で倒したけれども生きていましたというものでいろいろと引っ張りすぎる結果になった。
倒したはずなのに生きているというのが、それより前に登場しているマーダッコが体の一部が残っていれば性格が変わって復活するという面白い設定で先にやっているのに、フクショーグン3人だけではなく、チャンプの生みの親で死んだはずのアントン博士が生きていた、しかもチャンプが慕っていたアントン博士はアントン博士の中の二重人格として分裂したものであって、ジャークマターのマッドサイエンティストのアントン博士はデータ移動で生きていたであるとか、そもそもドン・アルマゲも過去に倒したはずなのに生きているというのをやってしまって、そのせいで倒したとしても本当に倒したのかどうか決着が付いても今ひとつ決着感をそいでしまう結果に繋がってしまったのではないかと改めて思いますし、実は生きていたというネタはギャグでなければ乱発してはいけないものだと。
改めて思うのは、出発点からキャラが多すぎたにも関わらず、追加戦士として最初から司令として存在していたショウ・ロンポーはともかく、チキュウ人の子供である小太郎、本来の追加枠として伝説の戦士だったツルギの2人はさらに多すぎたというのと同時に、小太郎は常識人枠として元からいたメンバー以上に最終的には目立つポジションに入りましたし、ツルギは過去にドン・アルマゲを倒したという事で司令ポジションになりましたし、さらにドン・アルマゲが憑依して生き残るという事で憑依先がかつての相棒として信頼していたクエルボだったという事で、完全にツルギのための話になっているよねというくらい話を持っていったりと、後半になればなるほど全体バランスが崩れてしまっていったなって。
結局結論としては、人数多すぎでスケールを大きくし過ぎで収集をつけるのに全体のバランスであるとか、細かな伏線についてしっかりやりきれなかった、論理的に解決できなそうのものは、とりあえずよっしゃラッキーで解決すれば何とかなるになってしまったという事になりますかね。
何となくマイナス評価が多くなってしまっていますが、序盤は宇宙人やロボット達をメインキャラクターにする事によって、性格や一般常識が別物であるというのを極端に描けるという事は実験作として思い切りやれる部分であり、これをもっと生かせるものと期待していましたし、救世主が集まってくる過程というのは、王道展開として楽しめていましたので全く失敗であったかというとそうではないとは言っておきたいですね。
終盤失速感を強めてしまったのは、番組編成の変更によってスーパーヒーロータイムの時間帯の変更、特に戦隊の次がライダーと続いてきたものを逆にしてライダーから戦隊となってしまったことは実は大きいとも思っています。
壮大に話を作り、これから終盤に向けて緊迫感あるものになっていくという中、仮面ライダービルドの方が話としてはスケールが小さいのに、シリアス度は段違いにシリアスで緊迫した状況になっていて、それと比べてしまうとたいしたことが無いように錯覚してしまう。
特に終盤に設定としては緊迫している中、ほぼ日常回扱いにやっておくべきだった野球回のような遊び回を持ってきてしまった辺り、全体の構成のバランスもなんとかならなかったかと溜息をついてしまい、いろいろな意味で順番って大切って思い知らされました。
ただまぁ、実験作ですから粗があったり失敗があったとしてもそれを踏まえて次に繋げればいいと思いますし、面白い部分は面白い部分としてある作品ではありましたから良いんじゃ無いかなと思っていたりもしたんですが、まさか次も2つの戦隊が同時に出てくるという露骨な実験作になって驚きました(苦笑)
戦隊シリーズは基本的にやらなければいけないお約束が多く、様式美的なお決まりの流れの中で手を変え品を変え継続してきたシリーズですが、決まりが多いが故に数年に一度はどこまでお決まりの枠そのものに変化をつけることが可能かというのを調べるために、分かりやすい実験作を作っています。
実験作とそうではない、王道作はどう分けて考えるかというと、人によってこれは実験作だった、これは王道作だったと感じ方が変わると思いますし、どの作品にも多かれ少なかれ実験要素はあるのですが、少なくともキュウレンジャーに関しては実験作だという扱いに対し反対する意見は恐らく無いと思います。
なにしろ、レギュラー戦士が開始時点で9人と発表されていて、そのうち4人はいわゆる人間体なしの着ぐるみから変身、変身後の姿も色違いや個別にデザインが微妙に違うというのが慣例の中、造形的にも別物感あふれるものまであるという外見的に露骨に実験要素を前面に出していまいしたから。
個人的に実験作だという視点で見る作品に関しては、最初からある程度作品の完成度に関してハードルを下げて見るようにしています。
仮にその作品内で上手く消化しきれない要素があったとして、それを踏まえた後継作に良いところ取りを出来るように持って行けるか、また実験したけれども上手くいかなかったと判断されたものは、それはそれで上手くいかなかった部分を無理があったと実験失敗ということにするか、微調整をすれば大丈夫という風にするか、とにかく実験作という前提で次に繋げることそのものが重要であり、仮に作品として捨て石になったとしても意味があるものにしていけばいいという考え方にしています。
何回も書いていると思いますが、個人的には戦隊はメンバーが力を合わせて戦うからこそ醍醐味であるという前提からバランス至上主義(テンビンゴールド至上主義ではない)傾向があります。
それぞれの性格や戦闘能力において得手不得手があり、それを上手く組み合わせる事によって勝利する、誰か1人が突出し過ぎて、他の人がいるだけになるという状況は好ましくない、それぞれがメインになる話に偏りが無い事が好ましく、仮にメインではないメンバーであってもなにがしかに話に絡めるようにする、2人メインとなるような話の場合は、その組み合わせによって普段とは違う面が出るような話があったりするとより好ましいなどの個人的な好みがあります。
ある程度前置きを書きましたが、ぞれを踏まえるとキュウレンジャーに関しては、何よりも人数が多すぎたという結論にならざるを得ません。
これは、実験としてメインが何人までならば上手く回せるかというのを計るために通常より極端に増やしたというのもあるのでしょうから、これを踏まえて増やせば良いというものでは無かったと結論づける事は期待しておきます。
そして、増やしすぎてそれぞれのキャラクターが上手く回せなかったというなか、さらに足を引っ張った結果は、優遇しているキャラとそうではないキャラの差が激しすぎるという事になりますね。
何よりもラッキーは、幸運の持ち主という事でそれはそれでいいですし、何でも前向きに動く事によって運が勝手に向かってくるというような事は、幼児に向けてのメッセージとしては十分に意味があるというのは理解していますし、狙いもある程度果たしているという評価を与えることは出来ますが、1人だけパワーアップイベントがありすぎ。
ペガサスキュータマのペガさん、ヒカリキュータマと1人だけ特殊なキュータマを使用していましたが、ラスト近辺になって、パワーアップイベント皆無だったスパーダとハミィがいきなり使っていて、使えるならば最後に思い出したように使わないで、最初からその2人用に使わせてあげれば良かったんじゃないかと言うツッコミを本編中にしたりもしました。
ツルギの元仲間であるオライオンの血を引き継ぎシシレッドオリオンにパワーアップ可能であったり、実は惑星カイエンの王を父に持っているという設定が追加されたり、これだけ人数が多いのにも関わらず、ラッキーにいろいろなものが集中していくという展開は、もう少し何とかできなかったものかというのが本音ですね。
スティンガーには兄との因縁で話を引っ張ったり、ナーガには闇墜ちというイベントをしたりと見せ場がありましたが、それと比べて本気で本編中出番が少ないことをいじられるくらいしか無かったガルであるとか、とりたてて長期に絡むような個人的な話が作られなかったスパーダ、ハミィ、ラプターとの差が何ともねぇと。
初期の頃は5人出撃するという制限をつけていて、キューレットで出番を決めていましたが、これが得手不得手に関係無い組み合わせにしているというのは、そのものは狙いとしては分かりますが、生かし切れなかったというか、組み合わせによってそれぞれのキャラクターについていろいろな面を出しきれなかったのは改めて痛かったというか、むしろ最初から得手不得手ではっきり色分けしてしまった方が、良かったというか中盤以降にキューレットに関係無く別行動するようになり、潜入ならばバランスとナーガのBN団が行うとかをやっていたりとか、スティンガーとチャンプの相棒にスティンガーを兄貴扱いの小太郎のユニットであるとか、そういう分け方をしていたことを考えると、多人数だからこそ逆に小ユニットの集合体に開き直ってやっておいた方が結果的に良かったのかもと考えてみたりもします。
基本的に、人数多すぎ問題はしっかりまとめるにはハードルが高すぎたという事で実験としては失敗扱いにしておきたいです。
多人数という事で、敵もそれに併せてスケールを大きくしないといけないとして、今回の敵であるジャークマターは宇宙を支配しているという壮大過ぎるものを設定しました。
そのため、キューレンジャーは宇宙を移動しながら戦うということにし、地球はそのうちの1つであり長居する事になりましたが、拠点とする理由としてジャークマターが集めてるプラネジュームが豊富だからということにして、たまに移動、もしくは誰かが目的によって移動というスタイルになりました。
壮大にするのは悪いことでは無いのですが、これはこれで消化不良を起こしていたというか組織として巨大すぎるという描写以外の部分、直接対峙する組織としては今ひとつになってしまったかなって。
いろいろと思わせぶりにしている伏線が今ひとつ生かし切れなかったと感じてしまうというのもあったかもしれないですね。
スティンガーの兄スコルピオは初期の敵としては兄弟対決として、キュウレンジャーの幹部級の敵としては上手く決着が付いたとは思いますが、イカーゲンは思いの外あっさり弱体化して、これで決着でいいんだというくらい急遽決着がついた印象がありますし、その後を引き継いだフクショーグン3人も下手に過去に倒したはずというネタをいれたために、過去で倒したけれども生きていましたというものでいろいろと引っ張りすぎる結果になった。
倒したはずなのに生きているというのが、それより前に登場しているマーダッコが体の一部が残っていれば性格が変わって復活するという面白い設定で先にやっているのに、フクショーグン3人だけではなく、チャンプの生みの親で死んだはずのアントン博士が生きていた、しかもチャンプが慕っていたアントン博士はアントン博士の中の二重人格として分裂したものであって、ジャークマターのマッドサイエンティストのアントン博士はデータ移動で生きていたであるとか、そもそもドン・アルマゲも過去に倒したはずなのに生きているというのをやってしまって、そのせいで倒したとしても本当に倒したのかどうか決着が付いても今ひとつ決着感をそいでしまう結果に繋がってしまったのではないかと改めて思いますし、実は生きていたというネタはギャグでなければ乱発してはいけないものだと。
改めて思うのは、出発点からキャラが多すぎたにも関わらず、追加戦士として最初から司令として存在していたショウ・ロンポーはともかく、チキュウ人の子供である小太郎、本来の追加枠として伝説の戦士だったツルギの2人はさらに多すぎたというのと同時に、小太郎は常識人枠として元からいたメンバー以上に最終的には目立つポジションに入りましたし、ツルギは過去にドン・アルマゲを倒したという事で司令ポジションになりましたし、さらにドン・アルマゲが憑依して生き残るという事で憑依先がかつての相棒として信頼していたクエルボだったという事で、完全にツルギのための話になっているよねというくらい話を持っていったりと、後半になればなるほど全体バランスが崩れてしまっていったなって。
結局結論としては、人数多すぎでスケールを大きくし過ぎで収集をつけるのに全体のバランスであるとか、細かな伏線についてしっかりやりきれなかった、論理的に解決できなそうのものは、とりあえずよっしゃラッキーで解決すれば何とかなるになってしまったという事になりますかね。
何となくマイナス評価が多くなってしまっていますが、序盤は宇宙人やロボット達をメインキャラクターにする事によって、性格や一般常識が別物であるというのを極端に描けるという事は実験作として思い切りやれる部分であり、これをもっと生かせるものと期待していましたし、救世主が集まってくる過程というのは、王道展開として楽しめていましたので全く失敗であったかというとそうではないとは言っておきたいですね。
終盤失速感を強めてしまったのは、番組編成の変更によってスーパーヒーロータイムの時間帯の変更、特に戦隊の次がライダーと続いてきたものを逆にしてライダーから戦隊となってしまったことは実は大きいとも思っています。
壮大に話を作り、これから終盤に向けて緊迫感あるものになっていくという中、仮面ライダービルドの方が話としてはスケールが小さいのに、シリアス度は段違いにシリアスで緊迫した状況になっていて、それと比べてしまうとたいしたことが無いように錯覚してしまう。
特に終盤に設定としては緊迫している中、ほぼ日常回扱いにやっておくべきだった野球回のような遊び回を持ってきてしまった辺り、全体の構成のバランスもなんとかならなかったかと溜息をついてしまい、いろいろな意味で順番って大切って思い知らされました。
ただまぁ、実験作ですから粗があったり失敗があったとしてもそれを踏まえて次に繋げればいいと思いますし、面白い部分は面白い部分としてある作品ではありましたから良いんじゃ無いかなと思っていたりもしたんですが、まさか次も2つの戦隊が同時に出てくるという露骨な実験作になって驚きました(苦笑)