今日の読書 戦争にチャンスを与えよ/エドワード・ルトワック 奥山真司・訳
米戦略国際問題研究所の上級顧問、戦略家、歴史家、経済学者、国防アドバイザーである筆者の論文と翻訳者のインタビューというものをまとめて1冊にしたものになります。
タイトルだけ見ると、戦争を積極的に肯定して、ガンガン戦争すれば良いよという超絶タカ派の言い分のように見えますが、そういう風に見せつける一種の炎上狙いのタイトルではあります。
戦争は倫理的には絶対悪と規定していいものですし、本来そうあるべきですが、有史以来規模の大小問わなければ戦争が地球上に存在しない時期の方が珍しく、むしろ戦争があることの方が常態と言っても過言では無いと思います。
それを前提に考えれば、戦争はけしからんからやめるべきという一種の正論は空虚な理想論で終わってしまい現実と向き合っていないと切って捨てることすら出来てしまうと私は考えます。
倫理的にけしからんという見方を一旦外し、戦争とは何か戦争が起きてしまったらばどうするべきなのかという分析をまとめているのですが、そのためには通常の価値観こそが足を引っ張り結果的に悪い方向に進める事があるという事を知っておく必要がある、戦争は国連やNGOや他国による中途半端な人道介入こそが戦争終結への道ではなく、戦争を永遠に長引かせる結果になりうる。
戦争は当事国同士が徹底的に戦い、戦争開始前に持っていた夢や希望が悉く破壊され、資源、資産、人材が枯渇し疲弊しきって終わる。
そこまでやって好戦的な価値観が破壊され、日常の復興へと切り替えが出来るという定義づけ。
これを中途半端なところで止めると、疲弊しきっていないので切り替えが効かず、相手への憎悪だけが残ってくすぶり続けて、戦後復興へと全く向かわないという考え方。
こういったものを中心に考えられていき、1つの考え方としては理解出来る部分と、今の時代の大量破壊兵器だと復興出来ないレベルにまでボッコボコになっているんじゃないかと思ったりはしますが、ある意味やりきる事の重要性と考えれば、中途半端こそが害悪というのも分かりやすいとも思えます。
日本向けに書かれているものですので、現在の日本が置かれている状況、中国や朝鮮といった日本に対して戦争を仕掛けて来ても不思議では無い存在に対して、どう考えるべきかという分析が多目になっていますし、どうにも日本では近代戦争における日本を絶対悪とする定義づけのもと教育なり社会風潮を作り上げすぎてしまっているというのも考慮してか、戦国大名を例にとって同盟のあり方や戦略について分析していたりしています。
中国に対しては日本国内では、はっきり物事を言うよりもあいまいにボカして話し合うことの方が多い文化でありますが、それを捨てないとダメ、中国は日本人のいわゆる空気を読めというような概念は一切通用しない、やられたらやり返す倍返しだ!というような態度をとり続けないとダメというのは出てきますね。
書かれていることが全部正しい分析かというと、倫理的に引っかかる部分が多く実行するにはなかなかハードルも高いかなぁちおうのはありますが、人道的というような表看板が素晴らしいからと言って結果も正しいものになるというような事にはならないというのは、絶対に頭の片隅に残しておいた方が良いでしょうね。
戦争にチャンスを与えよという、表看板としてふさわしくないものが、結果として逆に良かったということもあり得るというのもあるというのも同時に念頭に残しておく必要もあるでしょう。
本当に平和を祈るというのならば、読んだ後でどう評価するかは横に置いて一読しておいて損はないでしょう。
少なくとも、平和を望むと叫んでいれば平和なんだ武力なんかいらないというよりは現実と乖離していないと思います。
日本の読者へ――日本の新たな独立状態と平和
1 自己解題「戦争にチャンスを与えよ」
2 論文「戦争にチャンスを与えよ」
3 尖閣に武装人員を常駐させろ――中国論
4 対中包囲網のつくり方――東アジア論
5 平和が戦争につながる――北朝鮮論
6 パラドキシカル・ロジックとは何か――戦略論
7 「同盟」がすべてを制す――戦国武将論
8 戦争から見たヨーロッパ――「戦士の文化」の喪失と人口減少
9 もしも私が米国大統領顧問だったら――ビザンティン帝国の戦略論
10 日本が国連常任理事国になる方法
タイトルだけ見ると、戦争を積極的に肯定して、ガンガン戦争すれば良いよという超絶タカ派の言い分のように見えますが、そういう風に見せつける一種の炎上狙いのタイトルではあります。
戦争は倫理的には絶対悪と規定していいものですし、本来そうあるべきですが、有史以来規模の大小問わなければ戦争が地球上に存在しない時期の方が珍しく、むしろ戦争があることの方が常態と言っても過言では無いと思います。
それを前提に考えれば、戦争はけしからんからやめるべきという一種の正論は空虚な理想論で終わってしまい現実と向き合っていないと切って捨てることすら出来てしまうと私は考えます。
倫理的にけしからんという見方を一旦外し、戦争とは何か戦争が起きてしまったらばどうするべきなのかという分析をまとめているのですが、そのためには通常の価値観こそが足を引っ張り結果的に悪い方向に進める事があるという事を知っておく必要がある、戦争は国連やNGOや他国による中途半端な人道介入こそが戦争終結への道ではなく、戦争を永遠に長引かせる結果になりうる。
戦争は当事国同士が徹底的に戦い、戦争開始前に持っていた夢や希望が悉く破壊され、資源、資産、人材が枯渇し疲弊しきって終わる。
そこまでやって好戦的な価値観が破壊され、日常の復興へと切り替えが出来るという定義づけ。
これを中途半端なところで止めると、疲弊しきっていないので切り替えが効かず、相手への憎悪だけが残ってくすぶり続けて、戦後復興へと全く向かわないという考え方。
こういったものを中心に考えられていき、1つの考え方としては理解出来る部分と、今の時代の大量破壊兵器だと復興出来ないレベルにまでボッコボコになっているんじゃないかと思ったりはしますが、ある意味やりきる事の重要性と考えれば、中途半端こそが害悪というのも分かりやすいとも思えます。
日本向けに書かれているものですので、現在の日本が置かれている状況、中国や朝鮮といった日本に対して戦争を仕掛けて来ても不思議では無い存在に対して、どう考えるべきかという分析が多目になっていますし、どうにも日本では近代戦争における日本を絶対悪とする定義づけのもと教育なり社会風潮を作り上げすぎてしまっているというのも考慮してか、戦国大名を例にとって同盟のあり方や戦略について分析していたりしています。
中国に対しては日本国内では、はっきり物事を言うよりもあいまいにボカして話し合うことの方が多い文化でありますが、それを捨てないとダメ、中国は日本人のいわゆる空気を読めというような概念は一切通用しない、やられたらやり返す倍返しだ!というような態度をとり続けないとダメというのは出てきますね。
書かれていることが全部正しい分析かというと、倫理的に引っかかる部分が多く実行するにはなかなかハードルも高いかなぁちおうのはありますが、人道的というような表看板が素晴らしいからと言って結果も正しいものになるというような事にはならないというのは、絶対に頭の片隅に残しておいた方が良いでしょうね。
戦争にチャンスを与えよという、表看板としてふさわしくないものが、結果として逆に良かったということもあり得るというのもあるというのも同時に念頭に残しておく必要もあるでしょう。
本当に平和を祈るというのならば、読んだ後でどう評価するかは横に置いて一読しておいて損はないでしょう。
少なくとも、平和を望むと叫んでいれば平和なんだ武力なんかいらないというよりは現実と乖離していないと思います。
日本の読者へ――日本の新たな独立状態と平和
1 自己解題「戦争にチャンスを与えよ」
2 論文「戦争にチャンスを与えよ」
3 尖閣に武装人員を常駐させろ――中国論
4 対中包囲網のつくり方――東アジア論
5 平和が戦争につながる――北朝鮮論
6 パラドキシカル・ロジックとは何か――戦略論
7 「同盟」がすべてを制す――戦国武将論
8 戦争から見たヨーロッパ――「戦士の文化」の喪失と人口減少
9 もしも私が米国大統領顧問だったら――ビザンティン帝国の戦略論
10 日本が国連常任理事国になる方法