今日の読書 メタル脳 天才は残酷な音楽を好む/中野信子
脳科学者である筆者が、自分が好きで聞いていたヘヴィメタルという音楽と、研究領域である脳と音について結びつけて調べ上げ、科学的データや根拠と本人の体験とメタル好きな人々に対する考察し脳科学と社会科学両方のアプローチでまとめ上げたものになります。
日本の社会科学的なアプローチ、特に表立ってマスメディア(特にテレビ)に出たがる人々の考察は、戦後教育の優等生的なきれい事が主軸としてあって、それに対するカウンター的なものとして昭和の経験至上主義な老害的ご意見番が用意されているというような偏見を私は持っています。
ここら辺の偏見が上書きされていないのは、私がバラエティやワイドショーのようなもので扱う社会分析じみたものをテレビで見るという機会を一切なくしているというのがあり、この指摘事態が間違っている可能性は重々承知しています。
優等生的なきれい事の暴走としての一形態がリベラルという看板を盾に、気にくわない論者を差別主義者というレッテルを貼って言動を封じ込めようとする、寛容を強要する非寛容にあったりするわけですが、以前に読んだ筆者の書いたものからはそういったものと真逆に感じられ、好感を持ったりしましたが、脳科学者という社会科学と違って検証結果は検証結果として好もしいとか好ましくないとか倫理的判断を勝手に作り上げてはいけないという事があるのでは無いかと勝手に思っています。
そういった前置きの上で、筆者はヘヴィメタル、特にメタリカなどスラッシュメタルに影響を受けているのですが、75年生まれという今以上に流行の音楽が中高生時代に共有言語として成り立っていた時代、アイドルや当時のヒットソングが全く響かない中、洋楽番組で耳にして、求めていたのはこれだと心底感じたことからのめり込んでいったとの事。
当時、メタル好きは一般的では無く(日本でメタル好きが一般的だった時代があるかと言われればないんでしょうが)全てひっくるめてうるさくて怖い音楽というイメージだけが存在していて、それこそ、神戸連続児童殺傷事件でジャーナリストの有田芳生が犯人の少年Aはデスメタルバンドのメガデスを聞いていたという、フェイクニュースを平気で流すような時代。
メガデスはスラッシュメタルでデスメタルじゃないし、根本的に聞いてもいなかったという事実もないのに、それが広まっても違和感を感じさせなかったという、ことメタル好きはヘイトにさらされていたと。
そういった偏見満載なメタル愛好者ですが、メタルに救われたという筆者はそうではないと強く感じていて、科学的に証明しようとまでしているのが、まずそれだけで凄いです。
メタルを聞くことによって、孤独を癒やし、孤独である事そのものが悪という概念を消し、破壊衝動満載の音楽を聴くことによって、現実世界で破壊に走るのではなく、破壊衝動を浄化し、信念を貫くメタルバンドを信じることによって欺瞞を見破り、世間に流されないと良い事だらけだと、良くもここまで肯定的にとなるくらいにあげまくっています。
脳科学的な分析だけではなく、メタル好きの特徴分析は読んでいて笑ってしまう部分は多々あるのですが、基本メタルバンドの中でもメガバンド好きよりもサブジャンルが多々ある中、そのサブジャンルから逸脱しない、一般的な知名度がほぼほぼないようなバンド好きの事を想定している節があって、これはこれで狙ってバイアスかけていないかと思う部分も(笑)
私はメタル好きですが、メタルしか聞かないというわけでもないですし、ライブに出かけるようなものでもないので当てはまらない部分も多くありすぎるのですが、メタルが天才になるための音楽と持ち上げているので、もっと早くにメタルにどっぷり浸かっていれば、多少なりともまともな知性を持ち得ていたのかと考えてみたりも。
私の場合は世間に流されない非社会性を持つというメタル愛好者の特性は持たずに、単なる社会不適合者ですから手遅れですが、現在思春期ど真ん中であるとか、そういったお子さんをお持ちの方とかは、この本を読んでメタルの効能について理解しヘヴィメタル愛聴者になると、素晴らしい未来が開けるかもしれないですね。
第1章 私を救ってくれたメタル
第2章 メタルが真の強い「個」を育む
第3章 モーツァルトよりメタリかを聴く
第4章 メタルは世界の欺瞞を見抜く
日本の社会科学的なアプローチ、特に表立ってマスメディア(特にテレビ)に出たがる人々の考察は、戦後教育の優等生的なきれい事が主軸としてあって、それに対するカウンター的なものとして昭和の経験至上主義な老害的ご意見番が用意されているというような偏見を私は持っています。
ここら辺の偏見が上書きされていないのは、私がバラエティやワイドショーのようなもので扱う社会分析じみたものをテレビで見るという機会を一切なくしているというのがあり、この指摘事態が間違っている可能性は重々承知しています。
優等生的なきれい事の暴走としての一形態がリベラルという看板を盾に、気にくわない論者を差別主義者というレッテルを貼って言動を封じ込めようとする、寛容を強要する非寛容にあったりするわけですが、以前に読んだ筆者の書いたものからはそういったものと真逆に感じられ、好感を持ったりしましたが、脳科学者という社会科学と違って検証結果は検証結果として好もしいとか好ましくないとか倫理的判断を勝手に作り上げてはいけないという事があるのでは無いかと勝手に思っています。
そういった前置きの上で、筆者はヘヴィメタル、特にメタリカなどスラッシュメタルに影響を受けているのですが、75年生まれという今以上に流行の音楽が中高生時代に共有言語として成り立っていた時代、アイドルや当時のヒットソングが全く響かない中、洋楽番組で耳にして、求めていたのはこれだと心底感じたことからのめり込んでいったとの事。
当時、メタル好きは一般的では無く(日本でメタル好きが一般的だった時代があるかと言われればないんでしょうが)全てひっくるめてうるさくて怖い音楽というイメージだけが存在していて、それこそ、神戸連続児童殺傷事件でジャーナリストの有田芳生が犯人の少年Aはデスメタルバンドのメガデスを聞いていたという、フェイクニュースを平気で流すような時代。
メガデスはスラッシュメタルでデスメタルじゃないし、根本的に聞いてもいなかったという事実もないのに、それが広まっても違和感を感じさせなかったという、ことメタル好きはヘイトにさらされていたと。
そういった偏見満載なメタル愛好者ですが、メタルに救われたという筆者はそうではないと強く感じていて、科学的に証明しようとまでしているのが、まずそれだけで凄いです。
メタルを聞くことによって、孤独を癒やし、孤独である事そのものが悪という概念を消し、破壊衝動満載の音楽を聴くことによって、現実世界で破壊に走るのではなく、破壊衝動を浄化し、信念を貫くメタルバンドを信じることによって欺瞞を見破り、世間に流されないと良い事だらけだと、良くもここまで肯定的にとなるくらいにあげまくっています。
脳科学的な分析だけではなく、メタル好きの特徴分析は読んでいて笑ってしまう部分は多々あるのですが、基本メタルバンドの中でもメガバンド好きよりもサブジャンルが多々ある中、そのサブジャンルから逸脱しない、一般的な知名度がほぼほぼないようなバンド好きの事を想定している節があって、これはこれで狙ってバイアスかけていないかと思う部分も(笑)
私はメタル好きですが、メタルしか聞かないというわけでもないですし、ライブに出かけるようなものでもないので当てはまらない部分も多くありすぎるのですが、メタルが天才になるための音楽と持ち上げているので、もっと早くにメタルにどっぷり浸かっていれば、多少なりともまともな知性を持ち得ていたのかと考えてみたりも。
私の場合は世間に流されない非社会性を持つというメタル愛好者の特性は持たずに、単なる社会不適合者ですから手遅れですが、現在思春期ど真ん中であるとか、そういったお子さんをお持ちの方とかは、この本を読んでメタルの効能について理解しヘヴィメタル愛聴者になると、素晴らしい未来が開けるかもしれないですね。
第1章 私を救ってくれたメタル
第2章 メタルが真の強い「個」を育む
第3章 モーツァルトよりメタリかを聴く
第4章 メタルは世界の欺瞞を見抜く