今日の読書 ヴァイマル憲法とヒトラー/池田浩士
歴史のテストというものに対し苦手意識が強い理由のひとつとして、年号を覚えられないというのがあるわけですが、教室に響き渡る叫び声の影響で忘れられないものとなっているのが、ワイマール憲法発布年である1919年というものがあります。
中身は覚えていないのに、脳裏に刻み込まれているワイマール憲法についての知識はもう一度おさらいしておかなければいけないというのと、とかく独裁者であるとかタカ派的発言保守的民族主義的な発言をする政治家が現れると、脊髄反射のようにヒトラーの大安売りが始まってしまうので、その指摘が本当に正しいのかどうか再検証するために関連書を読むのも悪くは無いだろうと手を出してみました。
ただ、私はワイマールと覚えていたのですが、本書ではヴァイマル表記であることに戸惑いはありましたが。
副題が『戦後民主主義からファシズムへ』となっていて、基本ファシズムについての検証であるとか、ヒトラーやナチはどうやってドイツ人民の心を掴んでやりたい放題できるようにまでなり、ヒトラーに熱狂したドイツ国民の心理であるとかを検証するというものになっています。
個人的には、当時世界で最も人権重視であるワイマール憲法(こっちの表記の方が慣れ親しんでいるので)について具体的にガッツリと紹介するところがあるのかなと思ったのですが、この憲法が人権重視であるとか、反戦思想に溢れているという事で、具体的な条文も多少紹介しているのですが、この憲法がいかにして破壊されていったかであるとか、憲法の条文を解釈論で悪用されていって形骸化されていったことであるとかでは書かれている力点の入れ方になっていて、全体の力点は明らかにヒトラーであるとかファシズムですね。
筆者が完全に戦争を絶対悪というという視点から描こうとしているのは分かりますし、それそのものを間違いであるとは思わないのですが、当時のファシズム勢力である枢軸国サイドの悪行に関しては力点を置いて、連合国サイドも積極的に戦争を行っていた事に関してはスルー(そこまで踏み込むと、軸がぶれますが)ファシズムの問題点の指摘であるとか、ヒトラーは国民が選挙で選ばれた存在であり独裁者扱いする事に対する疑問があるというのを提示する一方で、悪行をあげていき、やはり独裁者であることは間違いないという落としどころは必ず用意していたりとか、ファシズムが善であるというつもりは毛頭ないですが、あたかもファシズムだけが好戦的であるとか、戦争の諸悪の根源であるかのような扱いは疑問を抱いてしまうのは、第二次世界大戦後70年経った間、規模の大小を問わなければ戦争が起き続けていて、その戦争の要因も決して1つではないという事があり、ドイツであるとか日本のことだけを分析していても、戦争が防げていないよねっていうのがあるからですかね。
ヒトラーの躍進としては、第一次世界大戦の敗戦によるヴェルサイユ体制下のドイツが不況に苦しんでいたという事で、そして敗戦を受け手の自虐史観を押しつけられ民族的にうちひしがれていたということ、倫理的な価値観が高まり物事の判断基準が過渡に善悪に捕らわれてしまったということ、こういった状況下でヒトラーが積極的に不況対策を行ったこと、またボランティを活用しまくって積極的に社会参加させて民族的な高揚感を与えた事などが軸として与えられています。
ここら辺から考察すると、結局は不況こそが悪というところに落ち着くのではないかと、どれだけ理想に溢れる憲法を作ったたとしても、あっさりと瓦解したという事は、高邁な理想主義では腹はふくれないという事ですかね。
国内を絶対的に反戦世論にするためには、国民皆が不満を抱かないように好景気にし続けること、現在の資本主義社会の問題点である格差社会を作り出さないように富裕層が金は天下の回りものとして、ガンガン天下の回り物にするような社会を構築しないといけないという事ですね。
あと、反戦思想を広めたいのであれば、ナチス台頭を許したドイツを反面教師として敗戦国は敗戦国であって、そこに倫理的な善悪を持ち込んだ自虐史観を持ち込まず、戦争が起こった事例を勝敗関係無く、普遍的な要因を探るという作業にしないといけないという事かなと、ドイツの近代について扱っていますが、それこそ戦国時代の戦争を見ても、結局は不況からの脱出というところに行き着くんじゃないかなって思いますしね。
どれだけ、理想的な法律を作るとか、これだけ立派な法律があったというのに悪用されてしまったとか、そういう視点ももちろん必要ですが、政治家はいかに国民全体の生活水準を上げることが出来るか、それが全てといっても過言では無いという結論にするのが一番なんじゃ無いかと思いますし、どうにも日本で法律を語ったり政治を語ったり、反戦を叫んだりする人はこの視点が大いに欠如している事こそが問題なのではないかと思わずにはいられなかったりしますね。
ボランティアに頼るような状況は、まるでヒトラーの再来であり、社会参加そのものに生きがいや意義を与えるような事は危険、どんな些細な仕事であってもガンガン給料を与え、下手に社会的意義とか考えさせず、金のためとドライにさせることこそが全体主義を防ぐ手段というのは的外れでは無いと思いますが、そういう事を言い出す政治家とかは現れないでしょうね。
Ⅰ もう1つの戦後民主主義とドイツのファシズム
はじめに 戦争とファシズムの世紀
1 1933年1月30日 ヒトラー内閣の誕生
2 ナチスは合法的に国家権力を掌握した
3 革命運動としてのナチズム
Ⅱ ドイツの敗戦、もっとも民主的な憲法
はじめに 民族・国家・国民
1 ドイツ革命からヴァイマル共和国へ
2 ヴァイマル憲法と最初の戦後民主主義
3 匕首の伝説の説得力
Ⅲ 戦争する国をボランティアが担う
はじめに ファシズムとは何か
1 国民はなぜナチズムを支持したのか
2 自発性と社会参加 善意とやる気の組織化
3 「労働奉仕」の法制化と義務化
Ⅳ 死と政治
はじめに ヴァルハラという靖国神社
1 ヒトラー政権はまず最初に誰を抹殺したのか
2 国家儀礼から戦争国家へ ファシズム政治の大道
3 ボランティア労働からホロコーストまで
Ⅴ 遥かな国の遠い昔ではなく
はじめに ふたたびファシズムとは何か?
1 ナチス・ドイツと歴史認識
2 2つの憲法と2つの戦後民主主義
3 「戦争のできる国」から「戦争する国」へ
中身は覚えていないのに、脳裏に刻み込まれているワイマール憲法についての知識はもう一度おさらいしておかなければいけないというのと、とかく独裁者であるとかタカ派的発言保守的民族主義的な発言をする政治家が現れると、脊髄反射のようにヒトラーの大安売りが始まってしまうので、その指摘が本当に正しいのかどうか再検証するために関連書を読むのも悪くは無いだろうと手を出してみました。
ただ、私はワイマールと覚えていたのですが、本書ではヴァイマル表記であることに戸惑いはありましたが。
副題が『戦後民主主義からファシズムへ』となっていて、基本ファシズムについての検証であるとか、ヒトラーやナチはどうやってドイツ人民の心を掴んでやりたい放題できるようにまでなり、ヒトラーに熱狂したドイツ国民の心理であるとかを検証するというものになっています。
個人的には、当時世界で最も人権重視であるワイマール憲法(こっちの表記の方が慣れ親しんでいるので)について具体的にガッツリと紹介するところがあるのかなと思ったのですが、この憲法が人権重視であるとか、反戦思想に溢れているという事で、具体的な条文も多少紹介しているのですが、この憲法がいかにして破壊されていったかであるとか、憲法の条文を解釈論で悪用されていって形骸化されていったことであるとかでは書かれている力点の入れ方になっていて、全体の力点は明らかにヒトラーであるとかファシズムですね。
筆者が完全に戦争を絶対悪というという視点から描こうとしているのは分かりますし、それそのものを間違いであるとは思わないのですが、当時のファシズム勢力である枢軸国サイドの悪行に関しては力点を置いて、連合国サイドも積極的に戦争を行っていた事に関してはスルー(そこまで踏み込むと、軸がぶれますが)ファシズムの問題点の指摘であるとか、ヒトラーは国民が選挙で選ばれた存在であり独裁者扱いする事に対する疑問があるというのを提示する一方で、悪行をあげていき、やはり独裁者であることは間違いないという落としどころは必ず用意していたりとか、ファシズムが善であるというつもりは毛頭ないですが、あたかもファシズムだけが好戦的であるとか、戦争の諸悪の根源であるかのような扱いは疑問を抱いてしまうのは、第二次世界大戦後70年経った間、規模の大小を問わなければ戦争が起き続けていて、その戦争の要因も決して1つではないという事があり、ドイツであるとか日本のことだけを分析していても、戦争が防げていないよねっていうのがあるからですかね。
ヒトラーの躍進としては、第一次世界大戦の敗戦によるヴェルサイユ体制下のドイツが不況に苦しんでいたという事で、そして敗戦を受け手の自虐史観を押しつけられ民族的にうちひしがれていたということ、倫理的な価値観が高まり物事の判断基準が過渡に善悪に捕らわれてしまったということ、こういった状況下でヒトラーが積極的に不況対策を行ったこと、またボランティを活用しまくって積極的に社会参加させて民族的な高揚感を与えた事などが軸として与えられています。
ここら辺から考察すると、結局は不況こそが悪というところに落ち着くのではないかと、どれだけ理想に溢れる憲法を作ったたとしても、あっさりと瓦解したという事は、高邁な理想主義では腹はふくれないという事ですかね。
国内を絶対的に反戦世論にするためには、国民皆が不満を抱かないように好景気にし続けること、現在の資本主義社会の問題点である格差社会を作り出さないように富裕層が金は天下の回りものとして、ガンガン天下の回り物にするような社会を構築しないといけないという事ですね。
あと、反戦思想を広めたいのであれば、ナチス台頭を許したドイツを反面教師として敗戦国は敗戦国であって、そこに倫理的な善悪を持ち込んだ自虐史観を持ち込まず、戦争が起こった事例を勝敗関係無く、普遍的な要因を探るという作業にしないといけないという事かなと、ドイツの近代について扱っていますが、それこそ戦国時代の戦争を見ても、結局は不況からの脱出というところに行き着くんじゃないかなって思いますしね。
どれだけ、理想的な法律を作るとか、これだけ立派な法律があったというのに悪用されてしまったとか、そういう視点ももちろん必要ですが、政治家はいかに国民全体の生活水準を上げることが出来るか、それが全てといっても過言では無いという結論にするのが一番なんじゃ無いかと思いますし、どうにも日本で法律を語ったり政治を語ったり、反戦を叫んだりする人はこの視点が大いに欠如している事こそが問題なのではないかと思わずにはいられなかったりしますね。
ボランティアに頼るような状況は、まるでヒトラーの再来であり、社会参加そのものに生きがいや意義を与えるような事は危険、どんな些細な仕事であってもガンガン給料を与え、下手に社会的意義とか考えさせず、金のためとドライにさせることこそが全体主義を防ぐ手段というのは的外れでは無いと思いますが、そういう事を言い出す政治家とかは現れないでしょうね。
Ⅰ もう1つの戦後民主主義とドイツのファシズム
はじめに 戦争とファシズムの世紀
1 1933年1月30日 ヒトラー内閣の誕生
2 ナチスは合法的に国家権力を掌握した
3 革命運動としてのナチズム
Ⅱ ドイツの敗戦、もっとも民主的な憲法
はじめに 民族・国家・国民
1 ドイツ革命からヴァイマル共和国へ
2 ヴァイマル憲法と最初の戦後民主主義
3 匕首の伝説の説得力
Ⅲ 戦争する国をボランティアが担う
はじめに ファシズムとは何か
1 国民はなぜナチズムを支持したのか
2 自発性と社会参加 善意とやる気の組織化
3 「労働奉仕」の法制化と義務化
Ⅳ 死と政治
はじめに ヴァルハラという靖国神社
1 ヒトラー政権はまず最初に誰を抹殺したのか
2 国家儀礼から戦争国家へ ファシズム政治の大道
3 ボランティア労働からホロコーストまで
Ⅴ 遥かな国の遠い昔ではなく
はじめに ふたたびファシズムとは何か?
1 ナチス・ドイツと歴史認識
2 2つの憲法と2つの戦後民主主義
3 「戦争のできる国」から「戦争する国」へ