今日の読書 新型コロナとワクチンわたしたちは正しかったのか/峰宗太郎・山中浩之
『新型コロナとワクチン知らないと不都合な真実』に引き続き編集者が専門家に質問する形で、新型コロナウィルス、ワクチン接種および日常生活で気をつけておかなければならないことなどなどを立ち止まって考えるというものになります。
新型コロナウィルスによるいわゆるコロナ禍、それ以前の日常への回帰というのは現段階で全く達成されていませんし、果たして戻ってくる保証はあるのかどうかという疑心だらけになっていますが、それ故に安易な陰謀論がまかり通ってしまったり、専門家のふりをして適当な事を言って都合良く自分の儲けにしようと画策する人がいたり、政治的に利用してプロバガンダに組み込もうとしたりのカオス状況のまま。
ワクチン接種が進んだ事によって、以前までの日常に戻る事の希望は達成されていませんが、海外に目を向けるとワクチン接種後いきなり以前の生活を目指す極端さを出して、羨ましいなと思わせておいて感染拡大死亡者増大をやっていたりすると、日本の慎重さの方が死人を大量に出さないという意味では正解なのかとか、何を基準にすべきか分かりにくくなっていたりもします。
それらを含めて、現時点でどうなっているのか纏めてみましょうというのが本書であり、改めてメディア含め伝え方の重要性、言葉の定義づけの重要性にこだわり、安易に断言する事の危険性や安易に断言している人は疑っておいた方が無難だよと思わせるように誘導もしています。
ウイルスやワクチンの基礎知識をおさらいし、ワクチンの変異についても決して予期されない異常事態かのように扱う方がおかしく、変異する事が当たり前なのがウィルスであるということは知っておいて損はないでしょう。
また薬が効くかどうかの判定、きっちりと段階を踏んでやっていかなければいけないものであり、試験管でテストして上手くいったから人間にも有効であるという事は一切保証出来ることでは無い(だからその時点で治療薬を完成させたというような発表をするような会社があれば頭がいかれているとは中には書かれていませんが、そんな事をする会社があれば信用失墜ですし、それを嬉々として発表する政治家がいれば詐欺師と思った方が無難だというのは、私が勝手に深読みしたもの)
また最近流行の用語でもあるエビデンスというのも、エビデンスがあるというのが正解を表わすものではなくあくまでも根拠を示しているだけであって、別のエビデンスによって不正解であるとひっくり返されることもいくらでもある、最先端の研究では当たり前の事であり、ここら辺用語解説であるとか使用法をしっかりと統一していない事による言葉の一人歩きの危険性もあるよなと思えることですね。
正直私はここで説明されていること、ウイルスであるとかワクチンについての説明を自分で正しいかどうか判断する事は出来ませんが、説明する時の大前提である誰にでも分かりやすく説明するための断言系の危険性というのは、どの分野であろうとも普遍的なものだよねというのは分かりますね。
これが纏められたのは2020年の年末ですので、いわゆるオミクロンによる第6波前で日本国内では落ち着きを見せていた時期になるわけですが、日本は世界的に見て上手くやっていたのかどうかという判断では、日本は上手くやったという評価をして十分だというあたり。
政治家は足を引っ張る部分は目立ったが、それを上回る日本人の特質、安易に陰謀論に走らない、自然科学分野の説明に対し、社会科学分野である自由を認めろとかそういった話のすり替えはしない、国民全員が優秀というほどではないけれども、バカの割合が相対的に見て少ない、自由とわがままを混同させない社会性など世界的に見て参考にしにくい国であるというのが、アメリカ在住の医療専門家からの指摘というのは頭に入れておいて良いでしょうね。
今後どうなるか分かりませんが、日本の対策はそこそこ正しかったというスタンスが正解に近いのだろうというのと、そこそこ正しかったを踏まえて何が正しくて何が間違っているかの見極めは間違えてはいけないなというのは肝に命じておいた方が良いですし、極論を好む人はとりあえず落ち着いてこの本を読むと良いよと教えたくはありますね。
第1章 新型コロナを考える基礎知識
第2章 いよいりょ登場、治療薬が効くメカニズム
第3章 ヒト系の免疫系とワクチンがタッグを組む
第4章 「変異ウイルス」は本当にコワいのか?
第5章 いま、そこにある新型コロナ感染対策
第6章 科学はどうやって「正しさ」を保証しているのだろう
第7章 わたしたちはそこそこ“正しかった”?
第8章 正しさを誰も保証できないとき、どうするべきか
新型コロナウィルスによるいわゆるコロナ禍、それ以前の日常への回帰というのは現段階で全く達成されていませんし、果たして戻ってくる保証はあるのかどうかという疑心だらけになっていますが、それ故に安易な陰謀論がまかり通ってしまったり、専門家のふりをして適当な事を言って都合良く自分の儲けにしようと画策する人がいたり、政治的に利用してプロバガンダに組み込もうとしたりのカオス状況のまま。
ワクチン接種が進んだ事によって、以前までの日常に戻る事の希望は達成されていませんが、海外に目を向けるとワクチン接種後いきなり以前の生活を目指す極端さを出して、羨ましいなと思わせておいて感染拡大死亡者増大をやっていたりすると、日本の慎重さの方が死人を大量に出さないという意味では正解なのかとか、何を基準にすべきか分かりにくくなっていたりもします。
それらを含めて、現時点でどうなっているのか纏めてみましょうというのが本書であり、改めてメディア含め伝え方の重要性、言葉の定義づけの重要性にこだわり、安易に断言する事の危険性や安易に断言している人は疑っておいた方が無難だよと思わせるように誘導もしています。
ウイルスやワクチンの基礎知識をおさらいし、ワクチンの変異についても決して予期されない異常事態かのように扱う方がおかしく、変異する事が当たり前なのがウィルスであるということは知っておいて損はないでしょう。
また薬が効くかどうかの判定、きっちりと段階を踏んでやっていかなければいけないものであり、試験管でテストして上手くいったから人間にも有効であるという事は一切保証出来ることでは無い(だからその時点で治療薬を完成させたというような発表をするような会社があれば頭がいかれているとは中には書かれていませんが、そんな事をする会社があれば信用失墜ですし、それを嬉々として発表する政治家がいれば詐欺師と思った方が無難だというのは、私が勝手に深読みしたもの)
また最近流行の用語でもあるエビデンスというのも、エビデンスがあるというのが正解を表わすものではなくあくまでも根拠を示しているだけであって、別のエビデンスによって不正解であるとひっくり返されることもいくらでもある、最先端の研究では当たり前の事であり、ここら辺用語解説であるとか使用法をしっかりと統一していない事による言葉の一人歩きの危険性もあるよなと思えることですね。
正直私はここで説明されていること、ウイルスであるとかワクチンについての説明を自分で正しいかどうか判断する事は出来ませんが、説明する時の大前提である誰にでも分かりやすく説明するための断言系の危険性というのは、どの分野であろうとも普遍的なものだよねというのは分かりますね。
これが纏められたのは2020年の年末ですので、いわゆるオミクロンによる第6波前で日本国内では落ち着きを見せていた時期になるわけですが、日本は世界的に見て上手くやっていたのかどうかという判断では、日本は上手くやったという評価をして十分だというあたり。
政治家は足を引っ張る部分は目立ったが、それを上回る日本人の特質、安易に陰謀論に走らない、自然科学分野の説明に対し、社会科学分野である自由を認めろとかそういった話のすり替えはしない、国民全員が優秀というほどではないけれども、バカの割合が相対的に見て少ない、自由とわがままを混同させない社会性など世界的に見て参考にしにくい国であるというのが、アメリカ在住の医療専門家からの指摘というのは頭に入れておいて良いでしょうね。
今後どうなるか分かりませんが、日本の対策はそこそこ正しかったというスタンスが正解に近いのだろうというのと、そこそこ正しかったを踏まえて何が正しくて何が間違っているかの見極めは間違えてはいけないなというのは肝に命じておいた方が良いですし、極論を好む人はとりあえず落ち着いてこの本を読むと良いよと教えたくはありますね。
第1章 新型コロナを考える基礎知識
第2章 いよいりょ登場、治療薬が効くメカニズム
第3章 ヒト系の免疫系とワクチンがタッグを組む
第4章 「変異ウイルス」は本当にコワいのか?
第5章 いま、そこにある新型コロナ感染対策
第6章 科学はどうやって「正しさ」を保証しているのだろう
第7章 わたしたちはそこそこ“正しかった”?
第8章 正しさを誰も保証できないとき、どうするべきか