今日の読書 威風堂々/伊東潤
幕末の佐賀藩士であり明治維新後は第8代、第17代の総理大臣を務め、早稲田大学の創設者でもある大隈重信を主人公にした歴史小説になります。
上巻が『幕末佐賀風雲録』下巻が『明治佐賀風雲録』と時代を分けている事になりますが、幕末はいち早く葉隠に代表されるような佐賀藩の朱子学詰め込み型の教育から逸脱し西洋文明を勉強し、殺伐とした幕末の志士とは違う道を歩みながらも、欧米列強相手に幕府の限界を感じ、薩長だけにその後をもって行かれないように何とか食い込ませて薩長土肥となるように持ち込むというもの。
明治となってからは日本という国を欧米列強に飲み込まれないように、どうやって強くしていくのか、藩閥政治から脱却した民主政治へどう持っていくのかというのを、政治の世界の中に入ったり外に出て行ったりとしながら奮闘していくというものになっていますね。
幕末ものは結構多く扱われていますし目を通しているものが多いので流れはほぼほぼ把握しているのですが、明治の世になってからの権力争いは西南戦争くらいまでは幕末の主役の1人である西郷隆盛がいるので扱われる事が多いのですが、それ以降は小説のネタになるものはぐっと減っていてあまり目にしないというか、議会制になってからのカオスぶり、歴史の授業で扱っていても歴代首相交代しすぎだし再任もあるしで嫌がらせのようになっているくらいなので、扱われないのもわかるよなと思わずにはいられなかったですね。
逆に幕末と比べて小説のネタとして見る機会が少なかった明治期の政治家の入れ替わりが読んでいて面白かったですね、それぞれの思惑の違いであるとか、しがらみの違いであるとか、見ている視点の違いであるとか、目的は同じでも手段は違うとかで簡単に仲違いしたり、再び利害が一致してみたり。
そして作者の伊東潤は早稲田大学卒業ですから、自分の出身大学の創設時の事をネタに書けるとか嬉しいだろうなと勝手に思いましたし、小説の主人公として十分に成り立つ創設者がいるって本当に羨ましく思いますね。
大日本国憲法をどうするかという時期に、フランス人法律顧問が名前だけ出てきた時には個人的には喜んでみたりもしましたが。


威風堂々(上) 幕末佐賀風雲録 (単行本) [ 伊東 潤 ]威風堂々(下) 明治佐賀風雲録 (単行本) [ 伊東 潤 ]
上巻が『幕末佐賀風雲録』下巻が『明治佐賀風雲録』と時代を分けている事になりますが、幕末はいち早く葉隠に代表されるような佐賀藩の朱子学詰め込み型の教育から逸脱し西洋文明を勉強し、殺伐とした幕末の志士とは違う道を歩みながらも、欧米列強相手に幕府の限界を感じ、薩長だけにその後をもって行かれないように何とか食い込ませて薩長土肥となるように持ち込むというもの。
明治となってからは日本という国を欧米列強に飲み込まれないように、どうやって強くしていくのか、藩閥政治から脱却した民主政治へどう持っていくのかというのを、政治の世界の中に入ったり外に出て行ったりとしながら奮闘していくというものになっていますね。
幕末ものは結構多く扱われていますし目を通しているものが多いので流れはほぼほぼ把握しているのですが、明治の世になってからの権力争いは西南戦争くらいまでは幕末の主役の1人である西郷隆盛がいるので扱われる事が多いのですが、それ以降は小説のネタになるものはぐっと減っていてあまり目にしないというか、議会制になってからのカオスぶり、歴史の授業で扱っていても歴代首相交代しすぎだし再任もあるしで嫌がらせのようになっているくらいなので、扱われないのもわかるよなと思わずにはいられなかったですね。
逆に幕末と比べて小説のネタとして見る機会が少なかった明治期の政治家の入れ替わりが読んでいて面白かったですね、それぞれの思惑の違いであるとか、しがらみの違いであるとか、見ている視点の違いであるとか、目的は同じでも手段は違うとかで簡単に仲違いしたり、再び利害が一致してみたり。
そして作者の伊東潤は早稲田大学卒業ですから、自分の出身大学の創設時の事をネタに書けるとか嬉しいだろうなと勝手に思いましたし、小説の主人公として十分に成り立つ創設者がいるって本当に羨ましく思いますね。
大日本国憲法をどうするかという時期に、フランス人法律顧問が名前だけ出てきた時には個人的には喜んでみたりもしましたが。


威風堂々(上) 幕末佐賀風雲録 (単行本) [ 伊東 潤 ]威風堂々(下) 明治佐賀風雲録 (単行本) [ 伊東 潤 ]