今日の読書 鎌倉幕府の真実/本郷和人
一般向け歴史書をどれだけ書いているんだよという東京大学史料編纂所教授である本郷和人による日本史上最も血腥いと言っても過言では無い扱いとなる鎌倉時代前半についてと、史料の読み方についてという大きく2つのテーマでまとめられたものとなります。
日本の歴史学者としては貴重な軍事史を研究している筆者として、戦争史としてロマンの戦争と現実の戦争両方の面があって、この時代ですと源平合戦は軍記物ととして華のあるもので、それはそれとして時代の動きとして興奮しても構わないものとして、でも現実戦争って殺し合いだからカッコイイ扱いにするわけにもいかないよねと、その両面どちらも理解して全肯定か全否定というものにしないようにというのはありますね。
ロマンの歴史という事からですと、源義経というのは判官贔屓という言葉があるくらい人気が高いものですが、奇襲戦法が有名で、それを天才扱いする場合があるけれども、空気を読まないヤバい奴の側面の方が正しいのではないか説を出してきていて、ある程度定説として出来上がっているキャラクター造形にはケンカを売ることになっていますが、同時にキャラクター造形の元となる歴史上の評価の作られ方についても触れられているので、それはそれで興味深いですな。
そして史料の読み方について、唯物史観を全否定するというスタンスであり個人的に共感してしまうと部分ですね。別に歴史の専門家でもなんでも無いのですが唯物史観や進歩主義史観、いわゆる左側が使ってきた分析ツールについては役目は終わったと言うか、皇国史観からのカウンターとして極論から極論にぶっ飛んだ事で成立していたのが日本の左側の学者でしたので、極論にぶっ飛んだ事での誤りというものが現在は分析しやすくなって、極論に対する反論ができるようになった状況は望ましいのかなとは思ったり。
本郷和人は中道の歴史学者だと自分の事を捉えているようで、著書を楽しく読める要因はそういう事だなと思ったり、極論という分かりやすい手段を封じると大変そうだよなってのはありますが、務めている大学のことを考えると極論を使わないと理解出来ないという層では無いでしょうから問題はないのかなと。
とはいえ研究者に対するダメだしは随分と愚痴のように書かれているので一概には言えないのでしょうけれども。
第1章 鎌倉時代の武士の謎
第2章 鎌倉幕府を分析してみた
第3章 人物像を掘り下げる
第4章 古文書抜きに日本史は語れない
第5章 「実証」と「推測」
第6章 歴史研究者を悩ませる「自作自演」
日本の歴史学者としては貴重な軍事史を研究している筆者として、戦争史としてロマンの戦争と現実の戦争両方の面があって、この時代ですと源平合戦は軍記物ととして華のあるもので、それはそれとして時代の動きとして興奮しても構わないものとして、でも現実戦争って殺し合いだからカッコイイ扱いにするわけにもいかないよねと、その両面どちらも理解して全肯定か全否定というものにしないようにというのはありますね。
ロマンの歴史という事からですと、源義経というのは判官贔屓という言葉があるくらい人気が高いものですが、奇襲戦法が有名で、それを天才扱いする場合があるけれども、空気を読まないヤバい奴の側面の方が正しいのではないか説を出してきていて、ある程度定説として出来上がっているキャラクター造形にはケンカを売ることになっていますが、同時にキャラクター造形の元となる歴史上の評価の作られ方についても触れられているので、それはそれで興味深いですな。
そして史料の読み方について、唯物史観を全否定するというスタンスであり個人的に共感してしまうと部分ですね。別に歴史の専門家でもなんでも無いのですが唯物史観や進歩主義史観、いわゆる左側が使ってきた分析ツールについては役目は終わったと言うか、皇国史観からのカウンターとして極論から極論にぶっ飛んだ事で成立していたのが日本の左側の学者でしたので、極論にぶっ飛んだ事での誤りというものが現在は分析しやすくなって、極論に対する反論ができるようになった状況は望ましいのかなとは思ったり。
本郷和人は中道の歴史学者だと自分の事を捉えているようで、著書を楽しく読める要因はそういう事だなと思ったり、極論という分かりやすい手段を封じると大変そうだよなってのはありますが、務めている大学のことを考えると極論を使わないと理解出来ないという層では無いでしょうから問題はないのかなと。
とはいえ研究者に対するダメだしは随分と愚痴のように書かれているので一概には言えないのでしょうけれども。
第1章 鎌倉時代の武士の謎
第2章 鎌倉幕府を分析してみた
第3章 人物像を掘り下げる
第4章 古文書抜きに日本史は語れない
第5章 「実証」と「推測」
第6章 歴史研究者を悩ませる「自作自演」