今日の読書 行動経済学入門/多田洋介
2003年に書かれたものを、2014年に文庫化したものという事で、基本的な内容が変化するほど行動経済学が進化発展はしなかったので、多少のつけたしをしただけというものです。
文庫化といいながらも、サイズとしては新書だと思うのですが、それはそれとして。
経済学というのは、基本的には金が絡んだ人間の社会行動を分析するという、社会科学の学問だという事は、経済学系の書物を読むたびに書いているとは思いますが、それを前提にして。
実際の社会を分析しようとすると、分析するためのデータが膨大すぎるため、どこかで何かしらの単純化をする事によって、大掴みの傾向を捉えるとするまでが限界であり、そういう意味では、分析のための単純化というものの前提からある程度しっかりとはっきりとできる、自然科学分野が羨ましく感じられる所であるのですが、本来結果がはっきりするはずの自然科学分野のもので、壮大な捏造が今年はあったばかりなのですが、あれも、社会科学系の研究結果ならば捏造という扱いにならないというか、捏造であると誰にでも指摘できないという事で、逆説的に自然科学分野って、しっかりと証明できていいよねという事になるのですが、それはまた別の話になりますかね。
社会科学分野の場合、捏造という事にはならないのですが、経済学の分野ですと、実際の経済政策であるとか、景気予想というものが、現実と大きく乖離していく事が、一種の捏造と言い換えてもいいのかもしれません、自然科学分野と違って、捏造のための捏造ばかりではなく、分析手法そのものが現実と乖離していた結果と考えると、単に能力が低かったから現実と乖離していたとも言えるでしょうが。
実際問題、経済学の分析を使ったものが現実と乖離している事は枚挙にいとまが無くなっていますが、じゃあ何故乖離しているのかと考えると、いわゆる古典的な経済学の分析手法の前提そのものが、現実離れしているからというのが、最近の風潮になっていると思いますし、その最たるものが行動経済学であると思います。
古典的というかいわゆる市場原理主義者として有名となっている新古典主義の経済学のミクロ分析やマクロ分析、実際の社会を分析するためには、何かしらの簡略化が必要という事で、その簡略化の前提として、あまねく人間をいわゆる経済学的人間として前提する事から始めています。
この経済学的人間というのは、無尽蔵の合理性、完璧な自制心、極端な利己主義の3拍子揃った人間という事になりますが、正直そんな奴いねぇ!と総ツッコミが来る事請け合いというか、社会不適合者扱いですね。
しかし、そんな非現実な人間であろうとも、分析の簡略化、結果の簡略化のためにはとりあえず、多かれ少なかれ人はこういう傾向があるから、ここから外れる行動をする人がいたとしても、誤差で済むという事にして長らくやってきたのが、経済学、とりわけ新古典派経済学派という事になりますね。
しかし、当然この前提を崩さないまま、どんどん分析やら何やら進化し複雑化していけば、逆に現実と大きく乖離していくのが当たり前の結果になるという事で、リーマンショックに代表されるようなアメリカの市場原理主義者の暴走による、世界経済のふっ飛ばしというのは、ある意味現実とのすり合わせを忘れたからこそ起きた事と言っても過言ではないでしょうと。
という事で、行動経済学は経済学に心理学を融合し、前提として無理がある新古典主義経済学の合理性ありきを、人間は不合理があって当たり前だから、不合理まで加味して分析すべきという流れになっています。
本書は古典的な経済学のアプローチを例に出して、これってやっぱり現実と乖離しているよねという形で示して、実際現実はその古典的な分析手法とどれだけ乖離しているのか、実験した結果と照らし合わせて説明するというものを繰り返しています。
行動経済学は、今の所、いわゆる古典的伝統的な経済学の限界を示し、現実と乖離した部分を修正するというまでで、踏みとどまっている段階であると思います。
多くの実験結果を積み重ねて、現実との乖離を埋めるという作業から先に進むためのブレイクスルーというか、じゃあ経済政策としてどういう方向性を分かりやすく示す事がきるのか、分かりやすい分析ツールとして一定の法則性を示せるのかというと、まだ完成には程遠いというのが本書でも現状として出されています。
社会科学系の限界とも言えるのかもしれないのですが、極論というものは分かりやすく簡略化して提示できるものになります、その省いた所の影響力こそが実は大事だよねとすると、全体像がぼやけてしまうのは、全ての社会科学系分野の人たちが頭を抱えている事ではないかと思ったりしています。
政治や法律などでも、制度を決めるとなると、ノイジーマイノリティの意見が目立ち過ぎて、そこに構っている間に、いわゆるサイレントマジョリティをないがしろにしてしまうなんていうのは、思い当たる人も多そうですしね。
とりあえず、個人的には行動経済学は読み物として面白いのですが、まだまだ伝統的な経済学が現実経済と乖離している問題点を指摘する補助的な役割以上のもになるには、発展途上分野でしかないなと思いますかね。
逆に、発展途上だからこそ伸びる可能性はあるとは思いますが。
第1章 行動経済学とは何か? 「限界知らずの経済人間」への挑戦
第2章 人間はどこまで合理的か? 限定合理性の経済学
第3章 近道を選ぶと失敗する 信念や判断に潜む罠
第4章 プロスペクト理論 リスクが存在するしたでの選好理論
第5章 非合理な投資家は市場を狂わす 行動ファイナンスの世界
第6章 人間は「超」自制的か? 先送り、その場の快楽、自己制御
第7章 人間は他人の目を気にするもの 「目には目を歯には歯を」の経済学
終 章 心理学的アプローチの限界と今後の展望
文庫化といいながらも、サイズとしては新書だと思うのですが、それはそれとして。
経済学というのは、基本的には金が絡んだ人間の社会行動を分析するという、社会科学の学問だという事は、経済学系の書物を読むたびに書いているとは思いますが、それを前提にして。
実際の社会を分析しようとすると、分析するためのデータが膨大すぎるため、どこかで何かしらの単純化をする事によって、大掴みの傾向を捉えるとするまでが限界であり、そういう意味では、分析のための単純化というものの前提からある程度しっかりとはっきりとできる、自然科学分野が羨ましく感じられる所であるのですが、本来結果がはっきりするはずの自然科学分野のもので、壮大な捏造が今年はあったばかりなのですが、あれも、社会科学系の研究結果ならば捏造という扱いにならないというか、捏造であると誰にでも指摘できないという事で、逆説的に自然科学分野って、しっかりと証明できていいよねという事になるのですが、それはまた別の話になりますかね。
社会科学分野の場合、捏造という事にはならないのですが、経済学の分野ですと、実際の経済政策であるとか、景気予想というものが、現実と大きく乖離していく事が、一種の捏造と言い換えてもいいのかもしれません、自然科学分野と違って、捏造のための捏造ばかりではなく、分析手法そのものが現実と乖離していた結果と考えると、単に能力が低かったから現実と乖離していたとも言えるでしょうが。
実際問題、経済学の分析を使ったものが現実と乖離している事は枚挙にいとまが無くなっていますが、じゃあ何故乖離しているのかと考えると、いわゆる古典的な経済学の分析手法の前提そのものが、現実離れしているからというのが、最近の風潮になっていると思いますし、その最たるものが行動経済学であると思います。
古典的というかいわゆる市場原理主義者として有名となっている新古典主義の経済学のミクロ分析やマクロ分析、実際の社会を分析するためには、何かしらの簡略化が必要という事で、その簡略化の前提として、あまねく人間をいわゆる経済学的人間として前提する事から始めています。
この経済学的人間というのは、無尽蔵の合理性、完璧な自制心、極端な利己主義の3拍子揃った人間という事になりますが、正直そんな奴いねぇ!と総ツッコミが来る事請け合いというか、社会不適合者扱いですね。
しかし、そんな非現実な人間であろうとも、分析の簡略化、結果の簡略化のためにはとりあえず、多かれ少なかれ人はこういう傾向があるから、ここから外れる行動をする人がいたとしても、誤差で済むという事にして長らくやってきたのが、経済学、とりわけ新古典派経済学派という事になりますね。
しかし、当然この前提を崩さないまま、どんどん分析やら何やら進化し複雑化していけば、逆に現実と大きく乖離していくのが当たり前の結果になるという事で、リーマンショックに代表されるようなアメリカの市場原理主義者の暴走による、世界経済のふっ飛ばしというのは、ある意味現実とのすり合わせを忘れたからこそ起きた事と言っても過言ではないでしょうと。
という事で、行動経済学は経済学に心理学を融合し、前提として無理がある新古典主義経済学の合理性ありきを、人間は不合理があって当たり前だから、不合理まで加味して分析すべきという流れになっています。
本書は古典的な経済学のアプローチを例に出して、これってやっぱり現実と乖離しているよねという形で示して、実際現実はその古典的な分析手法とどれだけ乖離しているのか、実験した結果と照らし合わせて説明するというものを繰り返しています。
行動経済学は、今の所、いわゆる古典的伝統的な経済学の限界を示し、現実と乖離した部分を修正するというまでで、踏みとどまっている段階であると思います。
多くの実験結果を積み重ねて、現実との乖離を埋めるという作業から先に進むためのブレイクスルーというか、じゃあ経済政策としてどういう方向性を分かりやすく示す事がきるのか、分かりやすい分析ツールとして一定の法則性を示せるのかというと、まだ完成には程遠いというのが本書でも現状として出されています。
社会科学系の限界とも言えるのかもしれないのですが、極論というものは分かりやすく簡略化して提示できるものになります、その省いた所の影響力こそが実は大事だよねとすると、全体像がぼやけてしまうのは、全ての社会科学系分野の人たちが頭を抱えている事ではないかと思ったりしています。
政治や法律などでも、制度を決めるとなると、ノイジーマイノリティの意見が目立ち過ぎて、そこに構っている間に、いわゆるサイレントマジョリティをないがしろにしてしまうなんていうのは、思い当たる人も多そうですしね。
とりあえず、個人的には行動経済学は読み物として面白いのですが、まだまだ伝統的な経済学が現実経済と乖離している問題点を指摘する補助的な役割以上のもになるには、発展途上分野でしかないなと思いますかね。
逆に、発展途上だからこそ伸びる可能性はあるとは思いますが。
第1章 行動経済学とは何か? 「限界知らずの経済人間」への挑戦
第2章 人間はどこまで合理的か? 限定合理性の経済学
第3章 近道を選ぶと失敗する 信念や判断に潜む罠
第4章 プロスペクト理論 リスクが存在するしたでの選好理論
第5章 非合理な投資家は市場を狂わす 行動ファイナンスの世界
第6章 人間は「超」自制的か? 先送り、その場の快楽、自己制御
第7章 人間は他人の目を気にするもの 「目には目を歯には歯を」の経済学
終 章 心理学的アプローチの限界と今後の展望
![]() | 行動経済学入門 (日経文庫) (2014/07/16) 多田 洋介 商品詳細を見る |
- 関連記事