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今日の仮面ライダー鎧武総括 その1

仮面ライダー鎧武、最終回を無事に終えたという事で、恒例にしている総括という名のまとまりに欠ける全体感想を。

鎧武は始まる前は期待と不安の割合はどちらかというと不安寄り、ただし実験作としての意味合いもあるだろうという事で、仮に鎧武という作品そのもので残念な結果になったとしても、後継作には何がしかの新たな影響を与える事はあるだろうなという考えではありました。

不安の割合が大きかった理由は、個人的な趣味というのもあるのですが、前情報の時点で戦国時代、フルーツ、ダンス、多人数ライダーという事とレギュラー準レギュラー陣の多さというものから、詰め込み過ぎによる全体的な消化不良の懸念。

いろいろな要素を詰め込むというのは、初めからしっかりと消化した上でのものであれば、問題は無いのですが、単に削るには勿体ないからというだけで詰め込んだ場合、全体像として軸がぼやけてしまい、とっちらかって何がやりたいんだが分からなくなってしまうという感想しか出来ないものになりがち。

登場人物が初期設定から多い場合もまた、登場人物が多いけれども軸が定まっているというのならば問題は無いのですが、せっかくキャスティングしたんだから勿体ないという形で、本筋に関係ない話にいつのまにか力点がずれていってしまい、バランスが悪く、この人って本来重要な役割じゃなかったの?という登場人物がないがしろにされてみたり、それぞれ伏線っぽい感じの話が作られながら、そんなのあったっけ?とばかりに放り投げられたりする傾向があったりする(これは、そういう傾向が強い脚本家がすぐに頭をよぎるのですが)

ここら辺の事は、単に私が理解の範疇を越えてしまっただけの場合も当然あるんでしょうが、少なくとも私は楽しめなくなる部分という事で。

逆に期待という意味では、W以降2話完ものが続いてきた中で久しぶりに2話完固定を辞めて連作短編型長編ではなく、1年を通しての長編の話作りにするという事、そして、ややマンネリ傾向のあるメイン脚本に、それまで全く特撮作品の脚本経験の無い虚淵玄を抜擢した事。

個人的には2話完ものは嫌いではないですし、2話完ベースの作品に好きなものは多いのですが、2話完固定による話作りの弊害というか、1年を通しての長編としてキーになる話が、固定によって無理矢理に尺を引き伸ばしたり、逆に説明不足に陥ったりというのも目につき始めていたので、そろそろ作品によって使い分ける時期だろうと思っていたので、それはそれで期待、また脚本家もそろそろ新規を出さないと、特にライダーは作品作りの自由さがある分作品毎の違いをはっきりさせないといけなかったりもするので、ちょうどいい時期だったのかなと。

しかし、この期待にあげた2つのポイントは同時に不安要素でもあったりしました。

長編型の作品作り、特に多人数ライダーでのものは、ライダー同士を戦わせる事をメインにすると、決着をある程度引き伸ばさなくてはならないので、中途半端になりがちで、決着がつかない理由をしっかりと出したり、2話完のようにある程度強制的に区切りがあるものではないからこそ、何がしかの区切りは常に意識しないと、グダグダになりがち。

また特撮作品初でいきなりメインという脚本家のチョイスも、当然ギャンブルである事は間違いなく、アニメ脚本との勝手の違いが悪い方に出る可能性も当然あったと。

実際に見始める前で想定していた事はこれくらいになるでしょうかね。

フルーツライダーなんていう外見の問題は、もはやライダーを見続けていたらば、初見で何これ!?であっても見ているうちに慣れるで済んでしまったりしますから。

見始めてからですが、ビートライダーズによるダンスバトルであるとかインベスゲームの頃、正直私は楽しめていたかというと、そうでもなかったというのが正直なところですね。

ダンスに対しての興味が薄いというのもありますが、仮面ライダーという装置を使って、ヤンキーマンガでの縄張り争いをしているような感じにしか思えなかったんですね(コメントの少ない当ブログで珍しくコメントされていて、ヤンキーマンガの方法論というよりも、ダンス絡みでウエストサイドストーリーじゃないかという、ありがたい指摘もありましたが)

多人数ライダーで2話完ものを脱して、善悪の基準での戦いではなくそれぞれの戦う理由というのがバラバラというのが狙いであるというのは理解していても、少なくともインベスゲームなどで、チーム同士のバトルをやっていた頃は、これが1年続いたらばどうしようでした。

物語の構造として面白いなと思えるようになったのは、それまでビートライダーズが順位を上げるために戦ってきたのが、インベスゲームそのものがユグドラシルという巨大企業の実験台にされていただけではないかとなって、それまでの戦いの対立軸であるとか、戦う理由そういったものが変化した時ですね。

子供同士の遊びの延長としての戦いから、対企業という形を通して子供対大人という構図にスライドした。

これが、対ユグドラシルという形で、ユグドラシルという怪しげな企業が私利私欲のために何かしら悪だくみをしているのではないかという流れになり、この対立軸で話が進んで行くと、次にはユグドラシルは悪だくみをするために怪しげな隠蔽工作などをしていたのではなく、ヘルヘイムの森の侵食という人類の危機が迫っていて、人類を全て救う事は不可能だから、可能なだけ人類を救うという方向で活動していたとまたもや対立軸が変化。

これが、その次には実はヘルヘイムの森の侵食は絶対に食い止められないものというから、オーバーロードという存在がいて、さらにオーバーロードになるために知恵の実、黄金の果実というものがあり、それを得た者が世界を書きかえる権利を得るという人類とオーバーロードという新たな対立軸と黄金の果実争奪という明確な目的の登場。

それぞれ対立関係になった者が、外部からの新たな脅威で一致団結するというのは、1つのパターンではあり、全員が一致団結するというのはあり得ないとしても、その方向性に持って行って、対オーバーロードで決着をつけるのもそれはそれで1つの落とし所かと思った所、対オーバーロードを終着点とせず、オーバーロードに決着がついた後、最後はまた人類同士の黄金の果実争奪戦に対立軸を戻し、それぞれ果実争奪後を見据えての物になるという段階を踏んでの話の作り方になりました。

元々、初期段階から話の全体構成が出来上がっていたという事ですので基本線は予定に沿った形になってると思うのですが、それぞれの対立軸が変化した時の話の時期に好き嫌いがあるにせよ、対立軸の変化、戦う理由の変化、話のスケールの変化、それぞれの思惑の変化や離合集散は1年という長編をしっかりと計算されて出来ていて、私は今後の長編型の作品作りにも大いに影響を与えうるものとして高い評価をしても良いと思います。

主要登場人物ですが、主人公の紘汰は元々戦う理由というものをしっかりと持って戦っていたわけではないという意味では軸がはっきりしない扱いをされ続けましたが、基本的には普通の感覚なのではないかなぁという印象を私は持ち続けてはいたんですよね。

目の前に困っている人がいたらば、とりあえず理由なく助ける、ライダーに変身する力を得て、それが誰にでも出来るものではないからとりあえず変身して戦った。

最初のうちは家で変身ポーズを考えてみたり、バイトで無駄に変身してみたりとお調子者の反応を示しましたが、ヘルヘイムの侵食であるとか、そういうものを一切説明されないまま覚悟ばかり問われても困るかなぁと、何のために戦うのかというのも、とりあえず目の前に起きている事に対するリアクションとして戦っていても、ある意味ではそういうものではないかとか。

成り行きで変身するようになって、それが人の役に立っているからと戦う紘汰のある種のぼんやりとした戦う理由が何度も作中で回りに否定されますが、それは回りがある意味目的がはっきりし過ぎていたり、戦う事の正当化というか戦いそのもので決着をつける事に何の疑問も持っていなさ過ぎただけなんじゃないかなぁというのは結構思いました。

基本紘汰は長期視点や大勢を意識したものではなく、まずは目の前の事だけを考えるものであり、インベスは話が通用しない害虫駆除のような意識ですが、これが話が通じる人間同士であるとか、話が通じると分かったオーバーロード相手ならば、話せば分かるという理想論による平和的解決主義者。

理想論ですから、話し合いで解決不能な現実があると突きつけられて初めて覚悟を決めるというか強制的に覚悟を決めさせられる。

黄金の果実争奪戦にしても、黄金の果実を手に入れた者が世界の作り替えの権利を手にするということになるので、話しても分からない相手に渡すわけにはいかないから自分で手にせざるを得ないと、それこそ戒斗との最終決戦直前まで自分の主体的な決断というよりも、強制的に決断させられたにすぎない。

主体性であるとか芯が感じられないので、主人公としてはいろいろとブレて見えますが、一般的よりも少し自己犠牲の精神があるだけで、極々一般的な感覚なのではないかと思います。

それは、最終的に戒斗が黄金の果実を手にした後のビジョンが現在の人類は強者が弱者を虐げる、だからそうではない世界に作り替えるために何のためらいもなく現在の人類を書き変えようとするに至って、戒斗が二元論による改革主義者という分かりやすい立場と対比するように、現在は理想的な社会とは言い切れないかもしれないが、だからと言って全否定するしか答えは無いというものに対して否と言う、ぼんやりとした保守主義者としてはっきりしたのではないかと。

保守と革新という二元論で済ましてしまうと、戦う理由が善悪二元論ではない作品世界を単純化しすぎてしまう形になりますが、極論の戒斗と仮に方向性は正しいとしても極論はおかしいという紘汰という対立軸にして考えてみると、なかなか興味深く思え、意図されたものかどうかは知りませんが、終盤はちょっとしたイデオロギー闘争として楽しんでいたりしました。

黄金の果実が世界の王になる権利、世界を書きかえる権利と言う名の、種の進化のために世界を強制的に書きかえる義務でしかないとなった答えも、自己犠牲であるとか自分のやるべき事を見つけたとか大きな事をしているようで、実は目の前の問題を解決しただけと考えると作中では芯がないような扱いをされていたのに、実は一番自分を貫いたというように見えるのは、私の勝手すぎる解釈かなと。

戒斗は強者と弱者という単純な二元論が行動原理であり、自分の親が小規模工場の主という弱者の立場で、ユグドラシルという強者の大企業に蹂躙された事から、強さだけを追い求めるという分かりやすく、それが一貫されて最後までブレ無かったキャラだと思います。

初期は、自分が強者になる事で弱者をないがしろにする事を良しとするのかなぁと思える描写も多かったのですが、途中からはただただ強さを求める、一度負けてもあきらめなければ本当の負けではないみたいなストイックなものだったと思います。

黄金の果実を手に入れた者が世界を書きかえる権利になると知ってからの戒斗は、自分が強くならなければいけない理由と、同時に強くなった先に求めていたものの実現というのが、これ以上ないくらい一致すると言う事で、余計にブレ無くなった感じがあります。

私は自分が理解しやすいように自分の持っている知識の中で近似性のあるものに置き換えて考えますが、戒斗の究極の目的は本当の意味での革命による共産主義の実現のようなものだったのだと。

強者と弱者という単純な二元論は、そのままマルクスのいう搾取するものと搾取されるものという二元論に限りなく近いですし、その構造がいずれ終焉を迎えるとその先には平等な社会へと移行するという。

マルクスは資本主義の崩壊が共産主義への始まりという幻想を持ち得ていましたが、戒斗は現在の人類ではそんなのは幻想でしか無いとして、マルクスの資本主義全否定の更に上を行く現在の人類全否定というところまで行ってしまったと。

元々、二元論というのは力強く分かりやすいのですが、単純に過ぎるために自分と相いれないものは全否定につながりやすいですし、信念の出発点や方向性が正しい事が、目的達成のための手段をも全肯定しやすく、暴走すらも肯定する危険なものなのですが、戒斗はそれを分かりやすく提示してくれたかなと。

長くなりそうなので続きにします。
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