今日の読書 ケインズの逆襲ハイエクの慧眼 巨人たちは経済政策の混迷を問う鍵をすでに知っていた/松尾匡
近代経済学は大きく2つの流れがあり、市場原理主義と同義語になりえる新古典派と大きな政府として揶揄される事もあるケインズ経済学。
社会科学系の学問は理系学問と比べて絶対的な正解が無いというか、理論化する時に全部を分析するととっちらかってしまうために、あえて目をつぶったり軽視したりする部分がでてくるわけで、そのせいで現実と乖離してしまう事が多々あるというのが良くある事ですね。
学者が言う事は所詮は机上の空論だと馬鹿にする事もあったり、自分と意見の違う学説には政府の御用学者だと批判してみたり、同じ人が自分と反対する法案が通り、その反対する学者の意見があると、何でこんなに学者が皆おかしいと反対しているのに法案を通すんだと言ってみたり、世論ってカオスだよなと学者の言う事は絶対というのは中々見いだせず、それぞれの学説の得手不得手を踏まえたうえで学者の唱えたものの何が現実と乖離していたのかを考える物を読むのが後だしのものになっても実は説得力があるのかなと思ってみたりするんですが、それもまた学者の書いている物だなと私の考え方自体も定まらなくなるという状態になったりします。
本書はケインズとウィーン学派という新古典の流れをくむハイエクの学説それぞれ取りあげて、それぞれの学派が自分たちの学説の正しさを証明するために、批判し合った所をとりあえず、補完関係になっているという扱いをして、今現実の経済政策の混迷を説明しましょうというものになりますね。
市場原理主義批判は、現在のアメリカの超格差社会を始め、金融業界のやりたい放題など枚挙に暇がない問題が山積み状態であり、日本は独自路線として戦後ケインズ政策による土建業を中心にした財政政策で順調に右肩上がりを見せた後、バブル崩壊以降手のひらを返してそれまでの財政政策を全否定する流れが出来あがったり、デフレスパイラルという先進国初の状況に陥ったり。
また、新古典派の勢いをつけたソ連型共産主義の崩壊と、その崩壊分析の間違いなどなど出てきています。
基本右も左も勘違いという事で、市場原理主義批判をメインに説明していきますが、最初に結論として「リスク・決定・責任の一致が必要」「予想は大事」という命題を出して、全てここに帰結すると説明するものですね。
この「リスク・決定・責任の一致」が出来ていない事が、どの学説であろうとも経済政策が失敗する大本になると。
それでもって、改めて日本の政治家の経済政策の軸の無さと共に、マスメディアも経済学説を軸に考え無さ過ぎて、そのせいでカオスになっているよなぁと再確認する事になりますよね。
アベノミクス批判をするのは良いのですが、何故か自称リベラルであるとか左派が躍起になって不況期の財政支出や金融緩和を批判するのかと、この筆者はそこかしこに安部首相のやり口が気に食わないというのがさしはさまれているのですが、ケインズ型不況対策として正しいというか、ポール・クルーグマンやジョセフ・スティグリッツというようなアメリカの左派経済学者が指示する政策を出してきているのに何だかなぁってなっているんですよね。
結局は、日本の政治家に経済学を専門にしてきた(専門にしていても近代経済学では無くマルクス経済だろうと言う)人が圧倒的に不足しているという事でしょうね・・・
基本的に経済学を多少は知っている人向きに書かれていますが、それほど知らなくても問題なく、ある程度ネタ的に読める趣がありますね。
第1章 三十年続いた、経済政策の大誤解
「小さな政府」の二つの路線の行き詰まり
一九七〇年代までの世界の見取り図
国が経済に介入する体勢が行き詰ったわけ
「小さな政府」路線の誤解
「資本vs労働」の国家予算をめぐる攻防
転換に抵抗した旧左翼と転換を誤解した「第三の道」
一九七〇年代からの「転換X」への誤解が現在の混乱を招いている
第2章 ソ連型システム崩壊が教えてくれる事 コルナイの理論から
ソ連型システムとはどんなものだったのか
「ソ連では競争が無かったから怠けた」は間違い
ソ連型システムが崩壊した理由は慢性的な不足経済
経営者が責任をとらないシステムが混乱を生んだ
福島第一原発事故の「失敗の本質」
日本型株式会社=無責任経営!? 「そごう問題の例」
リーマンショックはソ連崩壊と同じ原理で起きた
沿岸漁業が漁業者の「自己経営」である合理的理由
労働運動や住民運動の必要性
生協・労働者管理企業・医療法人が存在するわけ
第3章 一般的ルールか、さじ加減の判断か ハイエクが目指した社会とは
ケインズと対立した自由主義の巨匠ハイエク
ハイエクの「社会主義経済論争」の骨子
「事件は現場て起きている!」というハイエクの主張
ハイエク的な国家の役割とは何か
「前もって決まっている形式的ルール」を提唱したハイエク
判決の積み重ねで自然と形成されるルール
ハイエクの望む競争社会の姿
国家の役割は民間人の予想を確定する事
役所を民間企業のようにせよ、という大きな誤解
第4章 反ケインズ派のマクロ経済学者たちの革命 フリードマンとルーカスと「予想」
反ケインズ革命の旗手フリードマン
ケインズ派とフリードマンの主張の違いとは
ケインズ政策の批判の要点=インフレ予想を加速させる
フリードマンも「不況下の金融緩和は必要」としていた
ノーベル賞経済学者ルーカスの「合理的期待」革命とは
経済学に大きな変化をもたらしたルーカスの「島モデル」
モデルが政策無効となるからくり
「合理的期待」と景気対策が効くかどうかは関係ない
合理的期待が説明する「バブル」のメカニズム
第5章 ゲーム理論による制度分析と「予想」 日本型雇用がとられたわけを題材に
画期的手法「ゲーム理論」の起こり
ゲーム理論の発展から導かれた「制度」の研究
青木昌彦らの「比較制度分析」
欧米企業と日本企業で求められるスキルが異なる
「企業特殊的技能」を身につけさせるための仕組み
日米の企業文化の違いは「ゲーム理論」で読みとける
多数者の戦略に合わせると制度は再生産される
「あなたが不幸になったのは自己責任」という論が間違っているわけ
日本型システムはなぜ終わりを迎えているのか
企業別労働組合と「スーパー人事部」の存在理由
日本で株式持ち合い・メインバンク・行政指導が広まったのはなぜか
マグリブ型システムとじぇのアガタシステムの制度モデル
「男は働き女は家庭を守る」をゲーム理論で説明すると
第6章 なぜベーシックインカムは左右を問わず賛否両論なのか 「転換X」にのっとる政策その1
政府は「人々の予想をかくていさせる」役割を担うべし
転換Xにのっとった政府の役割とは
右にも左にも賛成者と反対者がいる「ベーシックインカム理論」
労働と所得は切り離さない
ベーシックインカムによって社会福祉が減らされる?
行政担当者個人の判断が要らないのが本質
ベーシックインカムがあれば安心して起業できる
現行の「措置制度」支持者からのベーシックインカム批判
あまりにもひどい生活保護の判定システムの実情
現行の措置制度では「リスク・決定・責任」がずれる
ベーシックインカム導入で、景気を自動的に安定させる力が作用する
ベーシックインカムがあれば「逃げる」だけで世の中がよくなる?
「何も決めなくていい」のが一番の長所かつ限界
第7章 失業とたたかう「ケインズ復権」と「インフレ目標政策」 「転換X」にのっとる政策その2
ケインズ政策は経済成長が前提だって?
「成長しない社会」をそもそも想定していたケインズ
ケインズ死後の「物価が下がらない」という解釈
「価格」に対する見方が陣営を分けた時代
デフレは不況の悪化を招く
「流動性のわな」が起きると、デフレが人々の予想に組み込まれる
デフレがデフレを呼び、インフレがインフレを呼ぶスパイラル
ノーベル賞経済逆者クルーグマンが提唱した「インフレ目標」
構造改革派vsリフレ派の時代
「流動性のわな」モデルはみなインフレ目標政策と両立する
インフレ目標時代の労賃の政策対抗
ナチスの完全雇用実現の教訓を思い出せ
第8章 「新スウェーデンモデル」に見る、あるべき福祉の姿 「転換X」にのっとる政策その3
「第三の道」と呼ばれた、ブレア政権の社会政策
「新スウェーデンモデル」は「第三の道」か?
新スウェーデンモデルは「大きな政府である」
金融緩和で雇用を増やしたスウェーデンの社民党時代
NPOや協同組合を公的資金で支えるのが政府の役割
なぜ社会サービスの担い手はNPOや協同組合がふさわしいのか
「公立」の名のもとの非効率とは
新スウェーデンモデルで重要なのは個人の参加
実質的に当事者の様々な意見を汲み上げる事が重要
リーダーに決定が集中するフェーズとその終わり
リーダー主導と一般当事者合議の繰り返しを通じて
終 章 未来へ希望をつなぐ政策とは
左派の側からの「転換X」にのっとる政策
ルールとしての政策には、世界的なすり合わせが必要
これまでの誤解を解く合理的な政策配置図はこれだ
社会科学系の学問は理系学問と比べて絶対的な正解が無いというか、理論化する時に全部を分析するととっちらかってしまうために、あえて目をつぶったり軽視したりする部分がでてくるわけで、そのせいで現実と乖離してしまう事が多々あるというのが良くある事ですね。
学者が言う事は所詮は机上の空論だと馬鹿にする事もあったり、自分と意見の違う学説には政府の御用学者だと批判してみたり、同じ人が自分と反対する法案が通り、その反対する学者の意見があると、何でこんなに学者が皆おかしいと反対しているのに法案を通すんだと言ってみたり、世論ってカオスだよなと学者の言う事は絶対というのは中々見いだせず、それぞれの学説の得手不得手を踏まえたうえで学者の唱えたものの何が現実と乖離していたのかを考える物を読むのが後だしのものになっても実は説得力があるのかなと思ってみたりするんですが、それもまた学者の書いている物だなと私の考え方自体も定まらなくなるという状態になったりします。
本書はケインズとウィーン学派という新古典の流れをくむハイエクの学説それぞれ取りあげて、それぞれの学派が自分たちの学説の正しさを証明するために、批判し合った所をとりあえず、補完関係になっているという扱いをして、今現実の経済政策の混迷を説明しましょうというものになりますね。
市場原理主義批判は、現在のアメリカの超格差社会を始め、金融業界のやりたい放題など枚挙に暇がない問題が山積み状態であり、日本は独自路線として戦後ケインズ政策による土建業を中心にした財政政策で順調に右肩上がりを見せた後、バブル崩壊以降手のひらを返してそれまでの財政政策を全否定する流れが出来あがったり、デフレスパイラルという先進国初の状況に陥ったり。
また、新古典派の勢いをつけたソ連型共産主義の崩壊と、その崩壊分析の間違いなどなど出てきています。
基本右も左も勘違いという事で、市場原理主義批判をメインに説明していきますが、最初に結論として「リスク・決定・責任の一致が必要」「予想は大事」という命題を出して、全てここに帰結すると説明するものですね。
この「リスク・決定・責任の一致」が出来ていない事が、どの学説であろうとも経済政策が失敗する大本になると。
それでもって、改めて日本の政治家の経済政策の軸の無さと共に、マスメディアも経済学説を軸に考え無さ過ぎて、そのせいでカオスになっているよなぁと再確認する事になりますよね。
アベノミクス批判をするのは良いのですが、何故か自称リベラルであるとか左派が躍起になって不況期の財政支出や金融緩和を批判するのかと、この筆者はそこかしこに安部首相のやり口が気に食わないというのがさしはさまれているのですが、ケインズ型不況対策として正しいというか、ポール・クルーグマンやジョセフ・スティグリッツというようなアメリカの左派経済学者が指示する政策を出してきているのに何だかなぁってなっているんですよね。
結局は、日本の政治家に経済学を専門にしてきた(専門にしていても近代経済学では無くマルクス経済だろうと言う)人が圧倒的に不足しているという事でしょうね・・・
基本的に経済学を多少は知っている人向きに書かれていますが、それほど知らなくても問題なく、ある程度ネタ的に読める趣がありますね。
第1章 三十年続いた、経済政策の大誤解
「小さな政府」の二つの路線の行き詰まり
一九七〇年代までの世界の見取り図
国が経済に介入する体勢が行き詰ったわけ
「小さな政府」路線の誤解
「資本vs労働」の国家予算をめぐる攻防
転換に抵抗した旧左翼と転換を誤解した「第三の道」
一九七〇年代からの「転換X」への誤解が現在の混乱を招いている
第2章 ソ連型システム崩壊が教えてくれる事 コルナイの理論から
ソ連型システムとはどんなものだったのか
「ソ連では競争が無かったから怠けた」は間違い
ソ連型システムが崩壊した理由は慢性的な不足経済
経営者が責任をとらないシステムが混乱を生んだ
福島第一原発事故の「失敗の本質」
日本型株式会社=無責任経営!? 「そごう問題の例」
リーマンショックはソ連崩壊と同じ原理で起きた
沿岸漁業が漁業者の「自己経営」である合理的理由
労働運動や住民運動の必要性
生協・労働者管理企業・医療法人が存在するわけ
第3章 一般的ルールか、さじ加減の判断か ハイエクが目指した社会とは
ケインズと対立した自由主義の巨匠ハイエク
ハイエクの「社会主義経済論争」の骨子
「事件は現場て起きている!」というハイエクの主張
ハイエク的な国家の役割とは何か
「前もって決まっている形式的ルール」を提唱したハイエク
判決の積み重ねで自然と形成されるルール
ハイエクの望む競争社会の姿
国家の役割は民間人の予想を確定する事
役所を民間企業のようにせよ、という大きな誤解
第4章 反ケインズ派のマクロ経済学者たちの革命 フリードマンとルーカスと「予想」
反ケインズ革命の旗手フリードマン
ケインズ派とフリードマンの主張の違いとは
ケインズ政策の批判の要点=インフレ予想を加速させる
フリードマンも「不況下の金融緩和は必要」としていた
ノーベル賞経済学者ルーカスの「合理的期待」革命とは
経済学に大きな変化をもたらしたルーカスの「島モデル」
モデルが政策無効となるからくり
「合理的期待」と景気対策が効くかどうかは関係ない
合理的期待が説明する「バブル」のメカニズム
第5章 ゲーム理論による制度分析と「予想」 日本型雇用がとられたわけを題材に
画期的手法「ゲーム理論」の起こり
ゲーム理論の発展から導かれた「制度」の研究
青木昌彦らの「比較制度分析」
欧米企業と日本企業で求められるスキルが異なる
「企業特殊的技能」を身につけさせるための仕組み
日米の企業文化の違いは「ゲーム理論」で読みとける
多数者の戦略に合わせると制度は再生産される
「あなたが不幸になったのは自己責任」という論が間違っているわけ
日本型システムはなぜ終わりを迎えているのか
企業別労働組合と「スーパー人事部」の存在理由
日本で株式持ち合い・メインバンク・行政指導が広まったのはなぜか
マグリブ型システムとじぇのアガタシステムの制度モデル
「男は働き女は家庭を守る」をゲーム理論で説明すると
第6章 なぜベーシックインカムは左右を問わず賛否両論なのか 「転換X」にのっとる政策その1
政府は「人々の予想をかくていさせる」役割を担うべし
転換Xにのっとった政府の役割とは
右にも左にも賛成者と反対者がいる「ベーシックインカム理論」
労働と所得は切り離さない
ベーシックインカムによって社会福祉が減らされる?
行政担当者個人の判断が要らないのが本質
ベーシックインカムがあれば安心して起業できる
現行の「措置制度」支持者からのベーシックインカム批判
あまりにもひどい生活保護の判定システムの実情
現行の措置制度では「リスク・決定・責任」がずれる
ベーシックインカム導入で、景気を自動的に安定させる力が作用する
ベーシックインカムがあれば「逃げる」だけで世の中がよくなる?
「何も決めなくていい」のが一番の長所かつ限界
第7章 失業とたたかう「ケインズ復権」と「インフレ目標政策」 「転換X」にのっとる政策その2
ケインズ政策は経済成長が前提だって?
「成長しない社会」をそもそも想定していたケインズ
ケインズ死後の「物価が下がらない」という解釈
「価格」に対する見方が陣営を分けた時代
デフレは不況の悪化を招く
「流動性のわな」が起きると、デフレが人々の予想に組み込まれる
デフレがデフレを呼び、インフレがインフレを呼ぶスパイラル
ノーベル賞経済逆者クルーグマンが提唱した「インフレ目標」
構造改革派vsリフレ派の時代
「流動性のわな」モデルはみなインフレ目標政策と両立する
インフレ目標時代の労賃の政策対抗
ナチスの完全雇用実現の教訓を思い出せ
第8章 「新スウェーデンモデル」に見る、あるべき福祉の姿 「転換X」にのっとる政策その3
「第三の道」と呼ばれた、ブレア政権の社会政策
「新スウェーデンモデル」は「第三の道」か?
新スウェーデンモデルは「大きな政府である」
金融緩和で雇用を増やしたスウェーデンの社民党時代
NPOや協同組合を公的資金で支えるのが政府の役割
なぜ社会サービスの担い手はNPOや協同組合がふさわしいのか
「公立」の名のもとの非効率とは
新スウェーデンモデルで重要なのは個人の参加
実質的に当事者の様々な意見を汲み上げる事が重要
リーダーに決定が集中するフェーズとその終わり
リーダー主導と一般当事者合議の繰り返しを通じて
終 章 未来へ希望をつなぐ政策とは
左派の側からの「転換X」にのっとる政策
ルールとしての政策には、世界的なすり合わせが必要
これまでの誤解を解く合理的な政策配置図はこれだ
- 関連記事
-
- 今日の読書 城を攻める 城を守る/伊東潤 (2015/08/29)
- 今日の読書 物語バルト三国の歴史 エストニア・ラトビア・リトアニア/志摩園子 (2015/08/24)
- 今日の読書 ケインズの逆襲ハイエクの慧眼 巨人たちは経済政策の混迷を問う鍵をすでに知っていた/松尾匡 (2015/08/17)
- 今日の読書 世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠/ジョセフ・E・スティグリッツ (2015/08/03)
- 今日の読書 戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか/池田信夫 (2015/07/28)