今日の読書 西洋の自死 移民・アイデンティティ・イスラム/ダグラス・マレー著 中野剛志・解説
リベラリズムに限らずですが、その言葉に込められた主義主張の本来の表看板と現実との乖離、それぞれが勝手に拡大解釈していたり、同じ言葉を使いながらも全く別の意味合いを持っている事は多々あるのではないかというのは個人的に思うものであったりします。
実際それが正解なのかどうかは分からないですが、私が本来あるべきリベラルという思想は古くからある固定概念によって、存在そのものが不利益にさらされるという社会制度や慣習から自由になるもの、それがリベラルの刺し示す自由なのではないかと解釈しています。
しかし、どうも現実に目にするリベラルは、存在そのものが固定概念によって被害を被っている人が自由に生存出来る事に寛容であれというものを逸脱し、寛容というものを表看板として非寛容な社会形勢を目論んでいる、自由を掴んだ事によって、人々が完全なる横の関係となる事を目指すのではなく、今まで下に見られていた恨みを晴らす下克上として利用されているようにしか思え無かったりします。
この手の話はリベラルに対する批判のものを好んで目を通すようにしているので、何度も繰り返す事をしていたりもしますが、リベラルという表看板を背負っている者に対しての批判の自由を封じている非寛容な社会って歪んでいるんじゃないかというのは、繰り返す事になりそうだなとは思っています。
また、個人的に移民積極策というものに対して反対する立場の書物に目を通す事も多く、人口減少社会に対応するためには移民推進しか無いであるとか、移民に反対する人間は差別主義者だという事を喧伝する人間に対しては、一切信用出来ない偽善者という扱いを私は崩すつもりはありませんが、移民推進主義が掲げる多様性のある社会というものが、その多様性を表看板にして独自文化という多様性を破壊しまくっているという現実を説明するにおいて、本書は非常に説得力があると考えています。
多様性のある社会を掲げるリベラルであるとか移民推進主義者がどうにもインチキ臭いと考えてしまうのは主義主張の非対称性を強く感じるからに他ならないわけですが、多様性も移民受け入れも、絶対的に軸にしなければいけないのは郷に入っては郷に従えがあると考えます。
またリベラルが恣意的に混同させるものとして、古い価値観と新しい価値観に対して古いを悪、新しいを善という対立構造に落とし込んでみたり、マジョリティとマイノリティもそういったものに当てはめがちな事になります。
当たり前ですが、古いは古いであって、それだけで善悪は関係無い古き良きものもあれば古き悪しき物もある、新しいもそれだけで善悪という評価とは直結しない。
マジョリティはあくまでもマジョリティ、土着民は土着民であって善悪とは関係無いし、マイノリティはマイノリティであって善悪は個々人の評価に他ならない。
こういった当たり前の前提条件を恣意的に混同し、移民が増えた事によって犯罪率が増加したというデータがあったとしても、そのデータを扱う事、事実を伝えるという事が人種差別になるという事が横行してしまったのが現在の欧州であるという実例が山ほど出てくるのが本書になります。
日本では現在マスメディアが報道の自由という表看板を使い、それって報道する意味がある?というようなものまで報道しまくるものもあれば、これは報道しないとまずいだろうというものを完全にスルーする報道しない自由というものが目に余る状況になり、マスゴミと批判される事も多々あります。
マスゴミ扱いの炎上が全て真っ当な指摘であるかというと、疑問符が付く物も当然ありますが、誰が見ても偏りがある報道姿勢だよねというのも枚挙に暇がない程にある事もまた事実だと実感している人も多いと思います。
この報道しない自由、欧州でも酷いようで、イスラム移民が近代国家の持ち得る価値観とは別の価値観で生活するために起きた犯罪が山ほど出て来たとしても、その事件と移民と結びつけて考える事そのものを全否定し、かすった指摘をするだけで人種差別のレッテルを貼るという言論の自由を封じる状況に陥っているという事例が出て来たりと、日本のマスメディアの偏りも酷いが無効も酷いねって。
移民が多数入ってくる事が、そのまま国内に好影響だけ起きるなんていう幻想、全ての人々は分かり合えるという幻想、国境なき世界こそが最高である幻想なんていうのは、多民族国家で国境を取っ払ったソ連邦やユーゴスラビアの崩壊で分かっているはずなのに繰り返される悲劇としか思え無いのですが、どうも、表看板の素晴らしさに結果も素晴らしい物になるという幻想からはなかなか抗えない物なのだなぁと考えられます。
暴走するリベラリズムは表看板を変えたファシズムでしかないと私は考えていますが、それに賛同するかどうかは別として、本書を読んで何かしら考える人が出てくれるといいなぁという気持ちはあります。
解説 日本の「自死」を予言する書
イントロダクション
第1章 移民受け入れの論議の始まり
第2章 いかにして移民にとりつかれたのか
第3章 移民大量受け入れ正当化の「言い訳」
第4章 欧州に居残る方法
第5章 水葬の墓場と化した地中海
第6章 「多文化主義」の失敗
第7章 「多信仰主義」の時代へ
第8章 栄誉なき預言者たち
第9章 「早期警戒警報」を鳴らした者たちへの攻撃
第10章 西洋の麻薬と化した罪悪感
第11章 見せかけの送還と国民のガス抜き
第12章 過激化するコミュニティと欧州の「狂気」
第13章 精神的・哲学的な疲れ
第14章 エリートと大衆の乖離
第15章 バックラッシュとしての「第二の問題」攻撃
第16章 「世俗後の時代」の実存的ニヒリズム
第17章 西洋の終わり
第18章 ありえたかもしれない欧州
第19章 人口学的予想が示す欧州の未来像
実際それが正解なのかどうかは分からないですが、私が本来あるべきリベラルという思想は古くからある固定概念によって、存在そのものが不利益にさらされるという社会制度や慣習から自由になるもの、それがリベラルの刺し示す自由なのではないかと解釈しています。
しかし、どうも現実に目にするリベラルは、存在そのものが固定概念によって被害を被っている人が自由に生存出来る事に寛容であれというものを逸脱し、寛容というものを表看板として非寛容な社会形勢を目論んでいる、自由を掴んだ事によって、人々が完全なる横の関係となる事を目指すのではなく、今まで下に見られていた恨みを晴らす下克上として利用されているようにしか思え無かったりします。
この手の話はリベラルに対する批判のものを好んで目を通すようにしているので、何度も繰り返す事をしていたりもしますが、リベラルという表看板を背負っている者に対しての批判の自由を封じている非寛容な社会って歪んでいるんじゃないかというのは、繰り返す事になりそうだなとは思っています。
また、個人的に移民積極策というものに対して反対する立場の書物に目を通す事も多く、人口減少社会に対応するためには移民推進しか無いであるとか、移民に反対する人間は差別主義者だという事を喧伝する人間に対しては、一切信用出来ない偽善者という扱いを私は崩すつもりはありませんが、移民推進主義が掲げる多様性のある社会というものが、その多様性を表看板にして独自文化という多様性を破壊しまくっているという現実を説明するにおいて、本書は非常に説得力があると考えています。
多様性のある社会を掲げるリベラルであるとか移民推進主義者がどうにもインチキ臭いと考えてしまうのは主義主張の非対称性を強く感じるからに他ならないわけですが、多様性も移民受け入れも、絶対的に軸にしなければいけないのは郷に入っては郷に従えがあると考えます。
またリベラルが恣意的に混同させるものとして、古い価値観と新しい価値観に対して古いを悪、新しいを善という対立構造に落とし込んでみたり、マジョリティとマイノリティもそういったものに当てはめがちな事になります。
当たり前ですが、古いは古いであって、それだけで善悪は関係無い古き良きものもあれば古き悪しき物もある、新しいもそれだけで善悪という評価とは直結しない。
マジョリティはあくまでもマジョリティ、土着民は土着民であって善悪とは関係無いし、マイノリティはマイノリティであって善悪は個々人の評価に他ならない。
こういった当たり前の前提条件を恣意的に混同し、移民が増えた事によって犯罪率が増加したというデータがあったとしても、そのデータを扱う事、事実を伝えるという事が人種差別になるという事が横行してしまったのが現在の欧州であるという実例が山ほど出てくるのが本書になります。
日本では現在マスメディアが報道の自由という表看板を使い、それって報道する意味がある?というようなものまで報道しまくるものもあれば、これは報道しないとまずいだろうというものを完全にスルーする報道しない自由というものが目に余る状況になり、マスゴミと批判される事も多々あります。
マスゴミ扱いの炎上が全て真っ当な指摘であるかというと、疑問符が付く物も当然ありますが、誰が見ても偏りがある報道姿勢だよねというのも枚挙に暇がない程にある事もまた事実だと実感している人も多いと思います。
この報道しない自由、欧州でも酷いようで、イスラム移民が近代国家の持ち得る価値観とは別の価値観で生活するために起きた犯罪が山ほど出て来たとしても、その事件と移民と結びつけて考える事そのものを全否定し、かすった指摘をするだけで人種差別のレッテルを貼るという言論の自由を封じる状況に陥っているという事例が出て来たりと、日本のマスメディアの偏りも酷いが無効も酷いねって。
移民が多数入ってくる事が、そのまま国内に好影響だけ起きるなんていう幻想、全ての人々は分かり合えるという幻想、国境なき世界こそが最高である幻想なんていうのは、多民族国家で国境を取っ払ったソ連邦やユーゴスラビアの崩壊で分かっているはずなのに繰り返される悲劇としか思え無いのですが、どうも、表看板の素晴らしさに結果も素晴らしい物になるという幻想からはなかなか抗えない物なのだなぁと考えられます。
暴走するリベラリズムは表看板を変えたファシズムでしかないと私は考えていますが、それに賛同するかどうかは別として、本書を読んで何かしら考える人が出てくれるといいなぁという気持ちはあります。
解説 日本の「自死」を予言する書
イントロダクション
第1章 移民受け入れの論議の始まり
第2章 いかにして移民にとりつかれたのか
第3章 移民大量受け入れ正当化の「言い訳」
第4章 欧州に居残る方法
第5章 水葬の墓場と化した地中海
第6章 「多文化主義」の失敗
第7章 「多信仰主義」の時代へ
第8章 栄誉なき預言者たち
第9章 「早期警戒警報」を鳴らした者たちへの攻撃
第10章 西洋の麻薬と化した罪悪感
第11章 見せかけの送還と国民のガス抜き
第12章 過激化するコミュニティと欧州の「狂気」
第13章 精神的・哲学的な疲れ
第14章 エリートと大衆の乖離
第15章 バックラッシュとしての「第二の問題」攻撃
第16章 「世俗後の時代」の実存的ニヒリズム
第17章 西洋の終わり
第18章 ありえたかもしれない欧州
第19章 人口学的予想が示す欧州の未来像
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