今日の読書 日本経済学新論/中野剛志
グローバリズムという言葉は受ける側のイメージによって大きく意味合いが変わってきてしまう言葉だと思っていますし、どうにもそこに理想型であると強く感じている人も多く、グローバリズムに反対する人は人種差別主義者であるとか排他的な国粋主義者というようなレッテルを脊髄反射でべったべたに貼りまくる人がいてどうにもならないわけですが、私自身は行きすぎたグローバリズムは行きすぎたナショナリズム以上に危険で暴力的になり得る物という考え方で凝り固まっています。
基本的に単純な二項対立構造で物事を考える事自体が、極論の殴り合いでまともな着地点を見失い何も生み出さないと考えているので、全ての極論をいかに排除するか、極論を言っている人は自分が極論を言っている自覚を持っているかどうかを、どうやって判断し、極論を無自覚に使ってそれこそが絶対真理であると考えている人がいるなら、どれだけそれが危険な事なのか警鐘を鳴らすような価値基準というのが浸透していればいいなと考える次第ですね。
著者はグローバリズムに対する警鐘を鳴らし続け、自由貿易こそ経済活動において至上であり保護貿易や関税というものは経済停滞を招くからどんどん取っ払っていけば良いという主張を全否定し、保護貿易こそが経済成長に置いていかに重要であったか、自由主義経済至上主義であるアメリカですら経済成長を促していたのは関税がしっかりと機能し一定以上の保護貿易をしていた時期として提示するほどのものですね。
そういった著者の著書を読むわけですから私がアンチグローバリズム、アンチ市場原理主義というようなものを期待するのは当然であり、その期待に存分に答えるというか、扱っているものが経済理論としてあまりきちんと理解していない分野である制度学派などなどであることで理解しきるには多少ハードルが高かったというかありますが、きちんと理解していなくても概ね内容としては理解できる範囲で助かるものになっています。
渋沢栄一、高橋是清、岸信介、下村治という4人が実戦したものから日本という国だからこそ成立した日本経済学というものを分析するというものになります。
近代経済学における主流派経済学、市場原理主義と言われ基本的に経済活動に政府が口出しをするな、政府は均衡財政とインフレ抑制さえしておけばいい、市場は合理的で全てを解決するという合理主義の極地がありますが、それに対して理論から出発するのでは無く実践ありきで出発するプラグマティズムというのが合理主義の逆側にあるとします。
合理主義というのは普遍的真理として世界各地であまねく通用する物という結論を導きだしますが、実践主導は人間ありきと考えると地域性、国民性、国家として与えられている条件などなど違いがあり、普遍性は限定的でしかないとして、いかにそこから日本の経済を向上させるかという視点となります。
結論としては経済ナショナリズムとしていかに国民を向いて国力を上げることが重要な事か、デフレ放置は国力を下げることでしか無く、積極的な財政政策の重要性、緊縮財政がいかに弱者をさらにおとしめることになるか、平成のデフレ不況だけではなく日本経済歴代のデフレ期の悲惨さなどなど取り上げていて、現在の日本に蔓延する不況感の脱出に対する大いなるヒントになると思えるものばかりですね。
経済ナショナリズムからのデフレ脱却、これを真剣に検討する政治家こそが次代の日本を引っ張ることが出来ると思える物だらけですので、歴史に学ぶという意味でも多くの人に目を通されるといいなと思います。
ただ、表看板として弱者保護を掲げている人達は、岸信介というだけで脊髄反射で全否定しますし、それこそ財政再建しか考えていない市場原理主義という最悪の捻れ方をしているので、これを参考にすることはないのだろうなと言うのは分かります(遠い目)
第1章 日本の経済学
第2章 論語とプラグマティズム
第3章 算盤とナショナリズム
第4章 資本主義の大転換
第5章 社会政策の起源
第6章 明治の通貨論争
第7章 経済ナショナリスト・高橋是清
第8章 危機の経済思想
第9章 産業政策の誕生
第10章 岸信介の論理と倫理
第11章 下村治の予言
基本的に単純な二項対立構造で物事を考える事自体が、極論の殴り合いでまともな着地点を見失い何も生み出さないと考えているので、全ての極論をいかに排除するか、極論を言っている人は自分が極論を言っている自覚を持っているかどうかを、どうやって判断し、極論を無自覚に使ってそれこそが絶対真理であると考えている人がいるなら、どれだけそれが危険な事なのか警鐘を鳴らすような価値基準というのが浸透していればいいなと考える次第ですね。
著者はグローバリズムに対する警鐘を鳴らし続け、自由貿易こそ経済活動において至上であり保護貿易や関税というものは経済停滞を招くからどんどん取っ払っていけば良いという主張を全否定し、保護貿易こそが経済成長に置いていかに重要であったか、自由主義経済至上主義であるアメリカですら経済成長を促していたのは関税がしっかりと機能し一定以上の保護貿易をしていた時期として提示するほどのものですね。
そういった著者の著書を読むわけですから私がアンチグローバリズム、アンチ市場原理主義というようなものを期待するのは当然であり、その期待に存分に答えるというか、扱っているものが経済理論としてあまりきちんと理解していない分野である制度学派などなどであることで理解しきるには多少ハードルが高かったというかありますが、きちんと理解していなくても概ね内容としては理解できる範囲で助かるものになっています。
渋沢栄一、高橋是清、岸信介、下村治という4人が実戦したものから日本という国だからこそ成立した日本経済学というものを分析するというものになります。
近代経済学における主流派経済学、市場原理主義と言われ基本的に経済活動に政府が口出しをするな、政府は均衡財政とインフレ抑制さえしておけばいい、市場は合理的で全てを解決するという合理主義の極地がありますが、それに対して理論から出発するのでは無く実践ありきで出発するプラグマティズムというのが合理主義の逆側にあるとします。
合理主義というのは普遍的真理として世界各地であまねく通用する物という結論を導きだしますが、実践主導は人間ありきと考えると地域性、国民性、国家として与えられている条件などなど違いがあり、普遍性は限定的でしかないとして、いかにそこから日本の経済を向上させるかという視点となります。
結論としては経済ナショナリズムとしていかに国民を向いて国力を上げることが重要な事か、デフレ放置は国力を下げることでしか無く、積極的な財政政策の重要性、緊縮財政がいかに弱者をさらにおとしめることになるか、平成のデフレ不況だけではなく日本経済歴代のデフレ期の悲惨さなどなど取り上げていて、現在の日本に蔓延する不況感の脱出に対する大いなるヒントになると思えるものばかりですね。
経済ナショナリズムからのデフレ脱却、これを真剣に検討する政治家こそが次代の日本を引っ張ることが出来ると思える物だらけですので、歴史に学ぶという意味でも多くの人に目を通されるといいなと思います。
ただ、表看板として弱者保護を掲げている人達は、岸信介というだけで脊髄反射で全否定しますし、それこそ財政再建しか考えていない市場原理主義という最悪の捻れ方をしているので、これを参考にすることはないのだろうなと言うのは分かります(遠い目)
第1章 日本の経済学
第2章 論語とプラグマティズム
第3章 算盤とナショナリズム
第4章 資本主義の大転換
第5章 社会政策の起源
第6章 明治の通貨論争
第7章 経済ナショナリスト・高橋是清
第8章 危機の経済思想
第9章 産業政策の誕生
第10章 岸信介の論理と倫理
第11章 下村治の予言
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