今日の仮面ライダーセイバー総括
仮面ライダーセイバーの最終回は厳密には次回リバイスへの引き継ぎ回が残っていますが、本編は終了したという事で一応恒例にしている総括をしておこうと思います。
仮面ライダーセイバーに関しては、メインプロデューサー、メイン脚本共に同じというスタッフ体制から始まる前から期待と不安では不安の方が多目という形でしたが、ゴーストで感じた何とかならなかったのかというものは根っこのところで全く同じ事が繰り返されたかなと。
個人の好みでもあるのですが、個人的に入り組んだ設定の作品はその軸となる入り組んだ部分以外は極力シンプルにしないととっちらかって何がやりたいのか分からなくなるから詰め込み過ぎない事が重用だと考える性質だったりします。
コレクターズアイテムを出し続けなければいけないという昨今の大人の事情は承知していますが、フォームチェンジを大量に出し過ぎ、ほぼ使い捨て状態になってしまう問題は解決しないといけない物だと思っていますし、本作は登場ライダーが多すぎる問題と両方抱えてしまったため、登場ライダー紹介と新フォームチェンジ披露とで初期は説明しなければならない情報が多すぎで、本筋として何が問題として起っていて、何を守るために戦っているのか説明されないまま話が進みすぎてしまった、そのため何をしているのか分からない、全体の因果関係、各々何が目的なのか分からないままある程度放置されてしまったと。
主人公である飛羽真、小説家という設定は初期と終盤こそしっかりと機能しましたが、記憶喪失の設定は結局何で記憶喪失だったのか分かりやすく提示されていませんし生かし切れなかったかなとも。
剣士達との関わり方もソードオブロゴスについて知らない飛羽真と知っている剣士達、それでいて剣士達はきちんと意思の疎通を図ろうとしないし、何でそれをしないかというと必要以上にすれ違いをさせるためでしか無かった、中盤に飛羽真が倫太郎達と対立構造をつくるためだったとしか思えなかったのが残念でしたね。
そもそもソードオブロゴスがどういう組織なのかはっきり描かれず、それぞれの人間関係も表面的な物も描かれず、ノーザンベースとサウザンベースもよく分からないまま話が進むなどありましたし、ここら辺はスピンオフありきで、本編では深くやらないなんていう本末転倒もあったのかなというのもありますね。
結局は詰め込み過ぎて消化不良と説明不足、人間関係もほぼほぼ各々が各々の思惑で動いていて、その思惑について全くすりあわせをしない(これは違う常識の人達だから、浮き世離れしているんだろうと感じてくれというのが倫太郎やユーリのキャラ作りから見えたりはしますが)メギド側も何が目的なのか提示せず謎で引っぱるという作りそのものは悪く無いものの、明かすタイミングであったり引っぱった結果なにそれという感じにしか出来なかった事なども問題だなぁと。
本編通して設定のバランス、詰め込むところと削るところ、1年という尺の使い方、何を目的としてそれぞれが行動しているのか分かりやすさと整合性をもう少し大事にするところ、結局ここ何年も大人の事情で作るのが難しくなっているとはいえ、もう少しなんとか出来なかったのかというのは山積みかなと。
本編のストーリーとしては残念なところが目に付きすぎる作品と個人的には思わざるを得なかったセイバーですが、ゴーストとの共通点として今後に期待するところは、本編後の作品は本編の評価を見直すことになるという事ですね。
ゴーストは本編終了後のVシネや小説版などのスピンオフ作品は本編でそれを説明しておかないとダメな奴じゃんというのを補完していたり、一気に評価を変える事になりましたし、その後の映画などで他のライダー作品に登場した時のタケル殿のしっくりくる感など本編のストーリーはともかくキャラクターとしては非常に良い作品だったんだなと改めて思わせるものがありました。
セイバーも現段階で映画やテレビのゼンカイジャーとのコラボ回などで他の作品のキャラクター達とすでに絡んでいますが、ライダーとしての人数が多かった割にはそれぞれ独特のキャラの濃さがあり、それを生かした絡み方が出来ると言う強味を見せています。
今後の展開がどうなるのかは分かりませんが、仮面ライダーセイバーというテレビ作品全体が見直されることは難しいと思いますが、そこで生まれたキャラクター達は面白いよね、スピンオフ作品は面白いよねというような評価をされる可能性は高いかなと思っています。
そう考えると、本当に1年間の話を作ることが難しいという事なのかもしれないですねぇ。
そして、ゴーストとセイバーは偉人や本というものを使い、お子様が興味を持って教養水準が無意識のうちに上げる事になると良いなぁと勝手に思った作品ですが、ともにそういう方向は薄いよなぁというのも共通してしまいましたね。



仮面ライダーセイバーに関しては、メインプロデューサー、メイン脚本共に同じというスタッフ体制から始まる前から期待と不安では不安の方が多目という形でしたが、ゴーストで感じた何とかならなかったのかというものは根っこのところで全く同じ事が繰り返されたかなと。
個人の好みでもあるのですが、個人的に入り組んだ設定の作品はその軸となる入り組んだ部分以外は極力シンプルにしないととっちらかって何がやりたいのか分からなくなるから詰め込み過ぎない事が重用だと考える性質だったりします。
コレクターズアイテムを出し続けなければいけないという昨今の大人の事情は承知していますが、フォームチェンジを大量に出し過ぎ、ほぼ使い捨て状態になってしまう問題は解決しないといけない物だと思っていますし、本作は登場ライダーが多すぎる問題と両方抱えてしまったため、登場ライダー紹介と新フォームチェンジ披露とで初期は説明しなければならない情報が多すぎで、本筋として何が問題として起っていて、何を守るために戦っているのか説明されないまま話が進みすぎてしまった、そのため何をしているのか分からない、全体の因果関係、各々何が目的なのか分からないままある程度放置されてしまったと。
主人公である飛羽真、小説家という設定は初期と終盤こそしっかりと機能しましたが、記憶喪失の設定は結局何で記憶喪失だったのか分かりやすく提示されていませんし生かし切れなかったかなとも。
剣士達との関わり方もソードオブロゴスについて知らない飛羽真と知っている剣士達、それでいて剣士達はきちんと意思の疎通を図ろうとしないし、何でそれをしないかというと必要以上にすれ違いをさせるためでしか無かった、中盤に飛羽真が倫太郎達と対立構造をつくるためだったとしか思えなかったのが残念でしたね。
そもそもソードオブロゴスがどういう組織なのかはっきり描かれず、それぞれの人間関係も表面的な物も描かれず、ノーザンベースとサウザンベースもよく分からないまま話が進むなどありましたし、ここら辺はスピンオフありきで、本編では深くやらないなんていう本末転倒もあったのかなというのもありますね。
結局は詰め込み過ぎて消化不良と説明不足、人間関係もほぼほぼ各々が各々の思惑で動いていて、その思惑について全くすりあわせをしない(これは違う常識の人達だから、浮き世離れしているんだろうと感じてくれというのが倫太郎やユーリのキャラ作りから見えたりはしますが)メギド側も何が目的なのか提示せず謎で引っぱるという作りそのものは悪く無いものの、明かすタイミングであったり引っぱった結果なにそれという感じにしか出来なかった事なども問題だなぁと。
本編通して設定のバランス、詰め込むところと削るところ、1年という尺の使い方、何を目的としてそれぞれが行動しているのか分かりやすさと整合性をもう少し大事にするところ、結局ここ何年も大人の事情で作るのが難しくなっているとはいえ、もう少しなんとか出来なかったのかというのは山積みかなと。
本編のストーリーとしては残念なところが目に付きすぎる作品と個人的には思わざるを得なかったセイバーですが、ゴーストとの共通点として今後に期待するところは、本編後の作品は本編の評価を見直すことになるという事ですね。
ゴーストは本編終了後のVシネや小説版などのスピンオフ作品は本編でそれを説明しておかないとダメな奴じゃんというのを補完していたり、一気に評価を変える事になりましたし、その後の映画などで他のライダー作品に登場した時のタケル殿のしっくりくる感など本編のストーリーはともかくキャラクターとしては非常に良い作品だったんだなと改めて思わせるものがありました。
セイバーも現段階で映画やテレビのゼンカイジャーとのコラボ回などで他の作品のキャラクター達とすでに絡んでいますが、ライダーとしての人数が多かった割にはそれぞれ独特のキャラの濃さがあり、それを生かした絡み方が出来ると言う強味を見せています。
今後の展開がどうなるのかは分かりませんが、仮面ライダーセイバーというテレビ作品全体が見直されることは難しいと思いますが、そこで生まれたキャラクター達は面白いよね、スピンオフ作品は面白いよねというような評価をされる可能性は高いかなと思っています。
そう考えると、本当に1年間の話を作ることが難しいという事なのかもしれないですねぇ。
そして、ゴーストとセイバーは偉人や本というものを使い、お子様が興味を持って教養水準が無意識のうちに上げる事になると良いなぁと勝手に思った作品ですが、ともにそういう方向は薄いよなぁというのも共通してしまいましたね。




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