今日の読書 敗者烈伝/伊東潤

歴史上敗者と呼ばれる人物を主人公に据えた歴史小説を書く傾向の高い伊東潤による、敗者の要因について扱ったエッセイになります。

歴史の教訓から学ぶ事の重要性は大きいと思いますが、勝者よりも敗者から学ぶ事の方が得る物がある。

勝者を分析してまねる事というのは、条件次第で真似しようがない部分があるのに対して、敗者から学ぶ、失敗から学ぶ方は普遍性が高いというのはあると思います。

歴史上栄華を極めた存在が敗者として転がり落ちる要因というのは、油断という身も蓋もないものが多く、その油断の仕方も自信過剰、成功体験への囚われ、他人に対して興味が薄く空気が読めなかったり、増長し過ぎて必要以上に敵を作る、自分の行動は絶対正義としすぎて柔軟性に欠く、などなど枚挙にいとまが無いわりに、そのまま現代社会でいくらでも置き換え可能なものがありますね。

成功体験への囚われとか、大企業病や組織の官僚化といったものにそのまま当てはまりますし。

そういった敗者の失敗はどのようにして起きたのか、分岐点となる分かりやすいものはあったのか、そもそも敗者になりやすい立場にいたのか、敗者になったが故に必要以上に無能扱いされてしまっているのではないか、などなど興味深く読む事ができますね。

そして、扱っている人物を主人公とした小説がかなり被っていたりもしますので、もっと詳しく知りたい人向けに自著も宣伝していたりするのは、元々新聞連載だったからこそですかね、告知込みの仕事だったと(笑)

逆に今後本著で扱いながら、小説で書いていない人物を主人公にする作品が出るのかどうかというのも興味のあるところですね、古代とか難しそうですけれども、古代で扱っている人物は蘇我入鹿だけですね。

第1章 古代・平安・源平
  古 代 蘇我入鹿 頂点から一気に没落した国際派
  平 安 平 将門 調子に乗りすぎた野心家
  平 安 藤原頼長 厳格に過ぎた摂関政治への護持者
  源 平 平 清盛 事を急ぎすぎてすべてを失った独裁者
  源 平 源 義経 己の力量を過信した天才武将
  コラム 勝者烈伝 源 頼朝 恐妻家の墓穴

第2章 南北朝・室町
  南北朝 高 師直 建武の新政をぶち壊した婆娑羅者
  南北朝 足利直義 愚兄への甘えから墓穴を掘った賢弟
  室 町 太田道灌 己の手腕を恃みすぎた大軍略家
  室 町 足利義政 戦国時代を招いた無気力将軍
  コラム 勝者烈伝 足利尊氏 気分屋、天下を取る

第3章 戦国・江戸
  戦 国 今川義元 一瞬油断が命取りになった海道一の弓取り
  戦 国 武田勝頼 人間洞察力に欠けた最強の侍大将
  戦 国 織田信長 己を克服できなかった史上最強の英傑
  戦 国 明智光秀 白と黒の二面性を併せ持った謀反人
  戦 国 北条氏政 慎重さが足枷となった名家の四代目
  戦 国 豊臣秀次 独裁者に操られた悲劇の後継者
  戦 国 石田三成 有能でありながらも狭量の困った人
  江 戸 豊臣秀頼 時代の波に押し流された賢き人
  江 戸 天草四郎 勝算なき戦いに駆り出された美少年
  コラム 勝者烈伝 徳川家康 敵を知り、己を知れば

第4章 幕末・明治
  幕 末 松平容保 援軍に利用されて捨てられたお殿様
  幕 末 徳川慶喜 思いつきで動き回って自滅した小才子
  幕 末 大鳥圭介 最後まであきらめない理系指揮官
  幕 末 榎本武揚 薩長政府に徹底抗戦した気骨の人
  明 治 江藤新平 正義を貫きすぎた硬骨漢
  明 治 西郷隆盛 肥大化した人望にのみ込まれた人格者
  明 治 桐野利明 西郷への敬愛に準じた最後の志士
  コラム 勝者烈伝 大久保利通 そして誰もいなくなった

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今日の読書 ラトヴィアを知るための47章/志摩園子・編著

一般的にはラトビアと表記されるものの、編者のこだわりでラトヴィアと統一表記するというこだわりも込めた、ラトヴィア全般の知識をコンパクトにまとめた1冊。

リトアニア、ラトヴィア、エストニアのバルト三国というのは、かつてソ連邦崩壊で真っ先に飛び出た地域と言う事で、非常に存在感を示したわけですが、正直私の知識は偏っているので、ひとまとめとしてのバルト三国という以外の知識はバスケットボール選手から。

リトアニアは早い段階からNBA選手として活躍するだけではなくオリンピック代表でメダルを捕ったり、アメリカのバスケットボールとは全く違うタイプの戦い方をしたり、また名前がサボニスやイルガウスカス、ストンベルガス、ヤシケビシャスと最後がスとつくだけではなく、何となくリトアニアっぽいよねと感覚的に分かる存在感を持っていたのですが、お隣のラトビアも昨シーズンのルーキーであるクリスタプス・ポルジンギスという規格外の選手が出てきて、バルト三国という括りでバスケも凄いんだねと意識するようになりました。

まぁアンドリス・ビエドリンシュという選手もNBAでは短期間だけ活躍していましたけれどもね。

偏った知識を持っているだけでは面白くないですし、バルト三国という存在はソ連という壮大な社会実験に関わった国。

共産主義という経済的実験なだけではなく、ヨーロッパにおける近代民族国家が成立してまだ間もないところから、一気に民族的独自性や土着文化をないがしろにする全体主義という2つを柱とした社会制度の実験につきあわされた被害者という意味でも、やはり歴史的教訓としてしっかりと意識しないといけないですね。

私は、ソ連にしろ旧ユーゴスラビアにしろ、異民族国家を無理矢理一つにまとめる事の無謀さという所に力点を置いて、混ぜるな危険という事にして、行きすぎたグローバリゼーションは土着性破壊の全体主義であり、かつての共産主義国家の過ちを繰り返す可能性が高いという考え方に固まっているので、混ぜすぎる事の悲劇は必要上に喧伝する立場だったりします。

ラトヴィアについて歴史的な背景も少し振れますが、基本は現在についてなので、ソ連から独立した後のことを中心として扱われていますが、やはりソ連に組み込まれていた反動というのは1つのカギになっています。

国家として独立して基本ラトヴィア人のための民族国家となるのを理想としてはいるものの、ソ連時代に移住してきたロシア人の割合が一定数いて、それまではラトヴィア人のアイデンティティとしてラトビア語を話せるようにしている一方、共通語としてのロシア語は必須。

ロシア人は共通語としてのロシア語しか知る必要はなく生活してきたのが、今度はラトヴィア回帰路線に巻き込まれて、それまでのソ連では多数派のロシア人という立場から少数派の立場に入れ替わるという状況。

そしてロシア系ラトヴィア人として生きていくという選択をし、完全ラトヴィア回帰をしたいという、ラトヴィア系ラトヴィア人に対してロシア語も使えるような社会に残して行き、これが逆に完全ラトヴィア化したいけれども、ラトヴィア語しか話せないラトヴィア人は就職で不利になるという、いろいろな捻れというか、独立国家として振り切りたいし、全体的に民族国家回帰しきりたいのに、振り切れないジレンマを抱えている社会というのが何とも皮肉というか何というか。

そういうった社会背景、強烈なアイデンティティ回帰というのを軸に、伝統的なラトヴィアの文化、特に歌の祭典が好きであるとか知らない事ばかりで読んでいて楽しめました。

個人的に興味を惹いたのは、リーマンショックを発端とする世界不況期に、不況期の緊縮財政という普通とは逆、欲しがりません勝つまでは精神で乗り越えたという事ですかね。

日本でも参考にしてみればという扱いではありますが、人口198万人という名古屋と札幌の間くらいの国民の数ということと、国のトップが先頭きって給料減らしたり、共産主義時代の多くの省けるだけの無駄が残っていたという事と、まだ独立国家に戻って間もないと言う事で、国家総動員してナショナリズムを良い方向に使えたし、金持ちがちょろまかそうにも誤魔化すには国家として監視するにはちょうど良い規模、それこそ日本でも国全体では機能しきらない部分が、地方自治体だと何とか経費削減を本当の意味で削減もでき、失業の嵐になってもそれはそれで国民一体で乗り切ろうとする下地があったからこそというのも感じたり。

単純に本気で食えなければ、EUの他の地域に出稼ぎに行っていたというのもあるんですけれどもね、実際に日本国内の地方では食えない人が都市部に流入するのと同じ構図で。

ただまぁ、現段階では国民国家として復活したからこその勢いみたいなのはあるのかもしれないなぁと思ったり、また日本と比較するならば、それこそ戦後復興期かもしれないと思ったり。

あと、ラトヴィアだけのことだとなかなか親近感がわかないので、日本との関係性について触れられていて、日本人に対しては、ロシアを挟んだ隣の国という見方であるとか、小国なのにロシアに勝った国というインパクトであるとか、翻訳された文学のイメージとか、まだまだ実際の日本人との関係がそれほどないからこその偏見はあるものの、その偏見込みで印象は悪くはないようですね。

そのイメージと違う日本人を目の当たりにしてどう思うのかは知りませんが。

このシリーズはとりあえず全体を網羅しているので楽しめますね。

1 自然と都市
2 歴史
3 言語と生活
4 文化
5 社会
6 政治と経済
7 国際関係

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今日の読書 違和感の正体/先崎彰容

盲目的に自分の正義を振りかざし、単純に善悪二元論に持ち込んでいたり、理想と現実に乖離があった場合その理想が現実的に無理があったんじゃないのかという疑問を持たずに現実の方が間違っていると一足飛びで結果をだして断言する人を見てしまうと、なんだかなぁと思わずにはいられません。

そのなんだかなぁと思ってしまう正義のもって行き方の代表にいわゆるマスメディア、特に左系であるとかリベラルという立ち位置で、かつては良識派であるとか進歩派であるとか、知性をリードする存在であるかのような扱いをされた人々が目立っているような感覚に陥り、保守と改革という単純な二分化をするとして、その改革側の頑ななまでの保守的な思想や態度の捻れ具合は酷いなという感想を持つばかりになっています。

保守と改革という立ち位置という意味での硬直化はむしろ政治家の方が目立ってしまっている気もしますけれどもね、保守や右翼というものが絶対悪であるかのようなレッテル貼りばかりが目立ちますから。

そこら辺、私のそういった感覚が絶対的に正しいと言うつもりはないですし、ある程度感覚的なものであって、何かしらの理論付けが出来ているというものでもなく、単純な二項対立構造、特にその分け方が自分が善という立ち位置と規定して、それに反するものは悪という一番たちの悪い極論の殴り合い状態であるとか、善悪二項対立構造にしてしまったがために、自分の行動は善だから何をしても許されるというような手段を使っていて、例えば戦争反対を叫んでいる人が、平気で暴力手段に訴えたり、手段と目的が完全に入れ替わっているだろうとか思えない事が目に付くなと。

もちろん、目に付くのが酷いだけで、極論をふるって目立とうとしている人と一切関わりを持たない人の方が大多数ですが、そういう目立っている人に対しても全否定か全肯定のどちらかしか許されないかのような空気感があるのではないかと、ここら辺もとりたてて根拠はありませんが。

そういった、ものを社会思想史で考えてみようというのが本書になります。

私は社会思想史というものに対して専門的な知識はありませんので、何となく分かっている気になっているものが、実は社会思想ではこう扱われてきたというのを知る事は新鮮ではありますが、概ね何だかなぁと思っている事そのものは私が感じている事はすでに扱われてきた事に過ぎないんだなと、私の感覚的な事を理論的に補助してくれているなと思えるものでした。

全部が全部、私と感覚的に同じものであるかというと違いますし、扱っている事全てにおいて私が考えている事ではないですけれどもね。

基本的に、今は世間的には『政治の季節』として、何か政治的なネタがあるとみんなが食いついて、ルサンチマンを爆発させている、またはその爆発させている人を揶揄する、単純に分類すると前者をデモ左翼、後者をネット右翼として考えると分かりやすい。

そして、物事の善悪であるとか、寄ってすがれる存在が喪失した状態を「ものさし不在」、何か問題が起きた時に、脊髄反射的に文句を言ったり、短期的に解決する事を声高に迫ったりする「処方箋を焦る社会」として、特に「ものさし不在」故に生じている問題、ものさしが不在だからこそ、俺が正義だ!となってしまい、それぞれがそれぞれの正義を振りかざし、何か建設的な議論をするのではなく、対立構造を作りだしては相手をぶちのめす事に終始したり、スキがあれば足を引っぱって苦しむ顔を見たくてウズウズそのくせ決まった顔で道徳を気取っているという感じになってしまったり。

そんな事を、ある程度自覚的にやっているのならば、それこそ差別反対を叫びながら為政者の人格否定を連呼するような事を、自分達は一線を踏み越えた自己矛盾をはらみながらやらざるを得ないんだという自覚があるのならばまだしも、無自覚に当たり前の正義としてやられている事に違和感を感じるというのが、いろいろな角度でまとめているというのが本書なのかなと思いますね。

そういった分析をするのが社会思想であり、その処方箋たり得るものが文学であるという考え方は果たして正しいのかどうか、私には判断しかねますが、違和感そのものの分析と言う事に関しては非常に腑に落ちるものだらけですね。

どうにも、現在の何でも善悪二項対立と言う事に違和感を感じる人があれば読んでみると分かりやすく説明されていると思いますし、なにがしかの社会的な恨みを市民運動をして憂さを晴らしているような人は、自分のやっている事が本当に正しいのかどうか、むしろ自分のやっている事が社会的に憎悪をまき散らしているだけなのではないかと冷静に判断するために読んでみるのも良いんじゃないですかね。

社会的な繋がりを持ちたくて市民運動とかやって、何か悪を糾弾して正義を振りかざして気分良くなっているような人は、そんな事やめてもっと建設的な事をやろうよとしか私には思えないんですよね。

むしろ、そのパワーをお前らが悪いんだ!と叫ぶよりも、お前らが良いんだ!と叫ぶような活動をすると良いと思うんですよね。

それこそ、サッカーのサポーターなどのようにスポーツの応援をするでもよし、ライブ会場に行って一緒になって歌うも良しって。

デモ論 「知識人」はなぜ舐められるのか
差別論 何が「自由」を衰弱させるのか
教育論 「権威とサービス」は両立するのか
時代閉塞論 「新しいこと」などあるものか
近代化論 「反知性主義」を批評できるか
平和論 「勢力均衡の崩壊」にどう向き合うか
沖縄問題論 「弱者」への同情は正義なのか
震災論 「自己崩壊の危機」をどう生き抜くか

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今日の読書 EU騒乱 テロと右傾化の次に来るもの/広岡裕児

相次ぐテロ、移民問題、財政破綻などなど、現在のEUは混沌とした状態であり、本来望まれた理想としての共同体からは著しく乖離している状況であると言っても過言では無いでしょう。

理想が理想的すぎて現実を見据えていなかったという出発点から無理があったという考え方もあれば、EUという共同体構想は間違いでは無いけれども想定外の事が起きすぎているという考え方、出発点は悪くないけれども社会の変化が速すぎて制度疲労や硬直化が起って現実と乖離してしまったなどいくらでも現在の状況を分析することは可能でしょう。

それらの全てが当たっている部分もあれば見当外れのものもあり、絶対的な正解を持ち得てる人はいないでしょうし、単純な全肯定か全否定という分析や解決方法を提示すると、さらに現実と乖離していくというのが正解でしょうね、ある意味問題が複雑過ぎてどこから手をつけて良い物やらというのが実情。

この本が書かれた時点ではイギリスのEU離脱は国民投票に委ねられると言うまでの段階で結果は出ておらず、どちらかというとEU離脱の引き金はギリシャにありというところで、でもまだ引き金は引いていないギリギリの所という感じですね。

イギリスのEU離脱が決まった直後も全肯定か全否定かどっちかの予測であるとか世論誘導が行われていましたが、正直私はこれからどうなるのか分からないというのが正解じゃないかなぁと思っていたりします。

まぁ予測できないが答えだったりすると、そういう分析をして飯を食っている人は困るでしょうが、問題解決と言うことでは、全肯定か全否定の二択で答えを出そうとすると現実と乖離したものしか提示できなくなるというのが実情でしょうね。

良い方に転がるか悪い方に転がるか、両方とも考えられる要因はありますし、その予想通りに動くかどうかは実際問題中にいる人達が、どう受け止めどう修正するかに掛かっていているわけですからね。

絶対に避けねばならないのは単純な善悪二分論、手段と目的の入れ替えということになると思いますが、単純な二択の論理って力強いですからねぇ・・・

私も偉そうにやってはいけない事として提示までは出来ますが、じゃあ単純な二択にならないような最適なバランスってどういうものかとなると、提示できませんし、たぶん極論を廃したところで最適なバランスを考える事って机上で出来たとしても、現実的に調整可能なのかというと大人の事情でだいたいダメになると思っていたりも諦めていたりもしますしね。

前置きが長々となってしまいましたが、本書の著者はフランスの大学に留学し、現在はフランス在住のジャーナリストということで、視点は基本的にフランスが中心となっています。

フランスの中にいるからこそ分かる問題点とフランス外から扱われる指摘であるとかイメージの乖離を埋める事はかなり意識している感じがします。

特に昨今の移民問題は、イスラム難民、偽装難民テロリストがテロし放題という事ではなく、テロを起こしているのは、それ以前に移民してきた人々の2世や3世が実は多いと言うこと。

そういった人々がテロを起こす理由として経済困窮問題があり、歴史的に移民を低賃金労働者として扱ってきて、不法労働者も好景気時代には目をつぶって定住させてしまった事。

定住してしまった者を、景気が悪いからと言って追い出すわけにもいかず、低賃金労働者は低賃金労働者として格差固定から抜けられるわけでもなく、景気が悪くなれば一番最初に使い捨てられる存在であり、また低賃金労働者として移民が大量移入してきた影響で、土着民もまた低賃金労働者として低賃金という社会的ダンピングから逃れられず、そういう社会的ダンピングが行われる社会状況が、社会のグローバル化という資本家による格差固定システムであり、アメリカ主導のそういった悪しきグローバル経済が悪用しやすい土壌をEUは結果的に補佐する形になってしまったと言う事ですね。

ここら辺はEUに限らず世界的問題であり、いわゆるアメリカが提唱するグローバル経済というものは、市場原理主義であったり、投機金融型資本主義であったりとで問題がありすぎるとして散々そういう者を否定する者を読んできていますから私は理解しやすいと同時にEU独自問題としては目新しさは感じませんね。

新自由主義的なグローバル化は結局対立構造を作り続けると結論を出して構わないと思い、人によってグローバル化という単語の定義づけそのものが違って、定義づけすらすりあわせをしないで、反グローバルというものに対して脊髄反射で対立しているのを目にするようなしないようなという感じですし。

フランス国内からの視点として面白いのは、トマ・ピケティの扱いですね。

日本でも一時もてはやされたというか、現在の経済学者の名前が一般的に流布する事が珍しいので、なかなかインパクトがありましたが、フランス国内では別段新しい視点でも何でもなく、アメリカが極端に振れすぎているから目新しく感じる、またはアメリカの現在の経済状況がおかしいという外からの視点を導入するという意味で目新しかった程度だと。

そして、ピケティが一見格差の問題を重視していてしっかりと解説できているかというと、上位層と中位層の断絶と言う事に関しては説明していても、ガッツリ最下層については基本スルーしているという扱いでしかなないと、結構辛辣ですね。

そして、面白いというか混乱せざるを得ないのはリベラルという言葉の定義づけがアメリカであるとか日本とフランスでは完全に別物であって、日本のイメージするリベラルというのは左側の思想の人を指し示すのに対し、フランスでは自由主義者としてリベラル、だからそれこそアメリカの共和党はリベラルど真ん中に当たり、ここら辺用語をどう解釈しているか、きちんと分かっていないと意味不明になるなという事ですね。

逆に日米でイメージされるリベラルに相当する単語はソシアルであり、これもいわゆる社会主義者とも違うという、またややこしいですが、イメージとしてはバブル崩壊前の最も成功した社会主義国家日本と言われた頃の日本とすると結構近いと言う事ですかね(ただし、国家としての日本は島国とほぼ単一民族という特殊性ありきなので、国境が地続きであるとか、移民がアホほど流入してきて人種やバックボーンがバラバラな状況で成り立たせるとなるといろいろと苦労が違うので単純比較は出来ない)

とりあえず、ギリシャの財政破綻とEU離脱問題や移民やテロの問題が山積みのEUですが、表沙汰になっている悲観的な部分だけを必要以上に取り上げる必要は無いのでは無いかというのが著者の視点になっています。

民主主義のあり方が変わってきていて、現在はその過渡期、そもそも民主主義の成り立ちもエリート主義が色濃く残っていて、格差固定、身分固定システムがヨーロッパ全体に実は張り巡らされている状況であり、騒乱は騒乱として問題ではあるが、格差拡大格差固定さえ修正すれば新たな時代が生まれてもおかしくはないのではないかとしています。

まぁEUが戦争が巨大化しすぎて、外交手段として得る物がなくなりすぎた時代だからこそ出来たシステムだからこそ、どこかで戦争回避する方向に進むという、ある種の楽観論ありきではありますが、実際問題どうなるのか、私には予想出来ません。

別に戦争が起きて欲しいという思いは全くないですけれどもね。

第1章 欧州議会選挙ショック
第2章 EUとギリシャの危険なドラマ
第3章 「共同体」の選択
第4章 別の欧州
第5章 民主主義の出口

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今日の読書 なぜ私は韓国に勝てたか 朴槿恵政権との500日戦争/加藤達也

日頃からマスメディア全般で、政府筋がなにがしかの反論があったりすると、権力による言論弾圧であるとか、まるで日本は戦時中に戻ったかのようだというような扱いをすることがあります。

言論の自由は大切なものであると思いますし、権力による言論弾圧はあってはならないことであるとも思います。

もちろん、自由の裏には責任というものがしっかりと貼り付いていて剥がせないものであり、根拠のない誹謗中傷やデマに関しては自由に流布して言いものではないという事を忘れて自由だけ謳歌しようという者に自由を語る資格は無いと思いますが、それとは別として批判のための批判の定番である、日本の戦時中にたとえた形の批判というものは、もちろん歴史に学ばなければいけないことは多々あるという前提は理解できますが、同時に当時生まれてもいない人が例えに使うには無理がありすぎるのではないかとしか、定型文過ぎて逆に思考停止しているようにしか、私には思えません。

それこそ、リアルタイムで起きていて、リアルタイムで経験している人が多い事と比較対象にすべき事であると思うのは私だけでは無いはずです。

言論弾圧や言論の自由というものだけではなく、やれ戦争がどうこうであるとか、徴兵制が復活するとか騒いでいる人などは、自分が生まれる前の事例を引っ張ってくるのではなく、リアルタイムで戦争をしているところをしっかりと伝えたり、それが日本に当てはまるならばどういう状況なのか、また徴兵制を絶対悪と定義づけたいのであれば、同時に現在徴兵制を行っている国について徹底的に調べ上げ、それがどういった問題を引き起こしているか、そしてその上で絶対悪と定義づけたいのであれば、その徴兵制を敷いている国については国自体を絶対悪であると位置づけた上で、日本はその絶対悪に対してどうつきあうべきか、または、距離をしっかりとるかという議論をして欲しいと思っている人は私だけでは無いはずです。

ようは、こと日本国内の問題点が起きた時に、決まり事のようにリアルタイムでしっかりと社会人としての経験している人がほとんどいないはずの時代に当てはめて批判するのではなく、もっと現代の社会に即した批判をすべきであり、言論の自由が保障されていない国なんていうのは、国外に例があるのですから、そういった問題が出た時は日本も、ああいった国外問題が他人事では無くなるぞというような警鐘をした方がリアリティがあるのではないかと思ったりします。

と言うことで、言論の自由の侵害、そして昨今騒がれているヘイトスピーチであるとかヘイトクライム、この両方の事例として分かりやすい事件として、産経新聞の記者である著者が、韓国で朝鮮日報に書かれた記事を翻訳したと言うことで、名誉毀損で訴えられた事件というのは、言論の自由であるとか人種差別問題として大々的に検証するに値する事件であったと思います。

この事件は、日本人の感覚では理解できない事、公正性や公平性を著しく欠いていることとして特徴的なのは、翻訳元は何一つおとがめが無かった事。

そして、翻訳した記事は沈没の事故があった時に朴槿恵大統領が空白の7時間というものがあり、その時間に何をしていたかとして、下衆な噂が出ているというものでしたが、それが名誉毀損にあたるという訴えが当事者が訴えを起こすのではなく、他人が名誉毀損で訴えることが可能という韓国国内の法律上の問題があり、訴えた側は、日本の産経新聞は右翼新聞だから絶対悪であるからこそ訴えるに値するということで、日本語で書かれた記事を再翻訳したものしか読んでいないのに訴えてくると言う無理筋であった。

しかし、無理筋の訴えであっても、それが日本人だから訴えるに値すると言うことが社会的に黙認されているという、国籍差別があり、差別的な考え方を持っていない一般人であったとしても、それを表沙汰にすると社会的に抹殺されるだけの世論形成がしっかりとなされていたと。

そういった無理筋な訴えであったが、世界的に言論の自由の侵害というのが広がってしまって、何とかそれを治めようと言う形で決着していくという物になりますが、日本も他人事では無く、こういう人権侵害があってはいけないと言うことを周知するためにも、もっとマスメディアが一丸となって日本国民報せる義務があったんじゃないかと思わずにはいられない事件ですね。

もし、今の日本が言論の自由が許されていない国になっていきそうだという不安を持っている人、もしそうなった場合どういうことが想定できるのかというのを気にしている人、法治国家というものが形骸化してしまったらばどうしようと心配している人、その1つの答えを知るには非常に貴重なサンプルになると思いますので、一読しこういう風にならないように世論を形成しましょうと広めると良いと思います。


韓国は法治国家に非ず 序文に代えて
第1章 3つのコラムが存在した
第2章 加藤さん、謝った方がいい
第3章 法廷に立つユニークな人々
第4章 情治主義の国
第5章 検察の焦り
第6章 韓国はこれからも韓国なのか

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